●波照間島(はてるまじま)日記

 20世紀も残りあと2ヶ月ほどになった2000年(平12年)10

月末、『20世紀の間に訪問可能な全ての日本最端地に立つ』

という壮大な(?)計画を達成すべく、最後に残った 日本最南端の有人島である波照間島に向かった管理人@福岡亭あめ

ふらし。

 今回も台風を喚んでしまうのでしょうか?

>>期間:2000年(平12年)10月26日(木)〜10月29日(日)

>>主な移動交通手段:飛行機、フェリー

>>Update:2001.02.26/Last Update:2005.07.28

 

波照間島日記【出発までの出来事】

出発までにもいろいろな出来事がありました。文章だけです。m(_ _)m

 

 

波照間島日記【前編】

大阪出発から波照間島到着〜最南端の地到達と波照間島放浪(徒歩編)まで。

 

 

波照間島日記【後編】

波照間島放浪(バイク編)/石垣島散策〜帰阪まで。

 

 

 

 

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波照間島日記【出発までの出来事】

 

◇波照間訪問計画

 

『日本最南端の地に立つ!』

 

 ・・・と、心に固く誓ったのは1999年(平10年)10月、 『与那国島ダイビングツアー』に参加して日本最西端の地である与那国島西崎に立った時のことでした。この時までにすでに (日本人が訪問可能な最端地としての)最東端の納沙布岬、最北端の宗谷岬に立っており、日本の端地4箇所のうち3箇所に立っていた訳ですから、「こうなったら何が何でも(最後の)端地である波照間島の高那崎に立ってやる 」と思うのは当然でした。ただ思うだけではいけません。『20世紀が終わるまでに』という条件を付けて、期限を限定して (日本人が訪問可能な最端地としての)最南端の地に立つことにしました。

 行き先は石垣島の南にある波照間島。大阪からバイクに乗って簡単に行ける場所ではありません。フェリーを利用するとしても、石垣島に行くまでに最低3日はかかります。期間が限られるので、あっさりと飛行機利用で向かうことにしました。

 与那国ダイビングツアーから帰ってきた私は、ただちに波照間島訪問計画を立て始めました。まず最初に設定したのは2000年(平12年)2月。この時に行っておけばサイトアップ時にも載せることが可能です。しかし、早割チケットを取り損ねたのと、冬の沖縄地方は北よりの風が強く天候が悪いということでやめてサイトのアップに全力を注ぐことにしました。(注1)

 次に設定したのは2000年(平12年)5月。台風の発生は少なく比較的天候に恵まれ、晴れてもそう暑くはないからでした。GWは割引は効かないし人だらけだと思い、観光客が少なくなるGW明けの5月25〜28日を狙いました。が、3月25日の午前10時頃にインターネット予約(注2)で早割チケットを確保しようと、JALの予約サイトにアクセスしたのですが、時既に遅し。25日の関空→石垣便の早割チケットは全て満員御礼に・・・早くも5月計画は挫折しました。(注3)

 6月は沖縄地方は梅雨に入るのでパス。7〜8月の沖縄地方は夏本番で暑いのでこの時期もパス。9月は北海道ツーリング(注4)に行くつもりだったのでこれまたパス。

 最終的に決定したのは10月末。台風の発生も少なくなり、沖縄地方は比較的天候に恵まれるためです。過去数回の沖縄離島ダイビングもこの時期に行っていましたから天候は大丈夫だろうと判断し、2000年(平12年)10月26(木)〜29日(日)に決定しました。

(注1)2000年(平12年)に入ってからサイトの製作を始めました。この頃は毎日毎日写真ネガのスキャンを行っており、かなり壊れていました。

(注2)早割チケットは2ヶ月前から予約(確保)出来ました。正規の料金だと往復だけで8万円ほどしましたが、早割だと4万円ほどで済んだのです。

(注3)代わりにKSRUで『しまなみ海道』を走って来ました。5月25日晩大阪南港発のフェリーで松山へ。翌26日に『しまなみ海道』の全ての橋を渡って

    残っている連絡船に乗り、26日晩新居浜発のフェリーに乗って5月27日に大阪南港に帰って来るという、 0泊2日フェリー泊のみという強行軍でした。

(注4)2000年(平12年)9月7日出発するも、往路のフェリー内で腎結石が爆発・・・七転八倒の痛みと苦しみ。仙台のYH到着後病院に直行でした。

◇チケット確保

 日程を決定しても航空券を確保出来なければなんの意味もありません。全ては早割チケットの確保が可能かどうかで決まります。

 大阪から石垣までは、JAL(日本航空)系列のJTA(日本トランスオーシャン航空)とANA(全日本空輸)の飛行機が飛んでいました。飛行機の時刻と運賃の関係から利用する便はJTAにする事にしました。JTA085便(往路)と086便(復路)です。これらの便は関西空港発着なので、私の自宅からだと都合が良いのです。

 2000年8月26日(土)がやって来ました。早割チケット発売2ヶ月前の日です。3月の確保失敗の教訓から、購入可能になる午前9時半になったら即アクセスすることにしまし た。前日までにJMB(JALマイレージバンク)に登録しID番号を獲得するなど前準備を終わらせておきました。(注5)

 8月26日(土)午前9時20分頃にPCを起動させ、同25分頃にJALの予約サイトにアクセス。瞬時にクリック出来る様にカーソルを配置して待つこと5分。めちゃくちゃ長い時間に思えました。同29分、携帯で時刻を聞きながら待機。『午前9時29分30秒をお知らせします。40秒・・・50秒・・・』。緊張が走ります。

 『午前9時30分をお知らせします。プップップッ・・・ぽ〜ん』。この『ぽ〜ん』と同時にマウスをダブルクリック!

必要事項を記入して即送信。この時のキーボードを打つ速さは普段の178%【本人比】だったとか・・・数秒後、『予約 ご利用ありがとうございました』との画面が現れました。おっしゃぁ〜〜〜!チケット確保!復路のチケットはまだでしたが、なにはともあれ石垣までは行くことが出来ます。

 8月29日(火)。今度は復路のチケット確保です。この日も26日同様に準備して午前9時半を待ちます。26日ほどではありませんが緊張します。午前9時半にアクセス。数十秒後、『予約 ご利用ありがとうございました』との画面が現れました。よっしゃ!これで往復のチケット(前売り21)を確保。石垣までの航空券を確保したので、波照間島の玄関となる街(石垣市)までは移動出来ることができます。

 インターネット予約の場合、チケットの引き替え期間が限られているので翌8月30日(水)、さっそく仕事先近くのJTB旅行代理店にてチケットを貰いました。手元には2枚の航空券。これで波照間訪問計画は一気に現実のモノとなったのでした。

 と、いうより『必ず行くことが出来る』と思いこんでいました。そのことを裏付けるように、2001年(平13年)の正月は、『21世紀に間に合いました』(注6)との文字を付けて4箇所の最端地に立つ私の写真が載った年賀状を知人に送るのだと、早くも来るべき新世紀の年賀状のネタを考えていたのでした。

(注5)インターネット予約は、2ヶ月前の同一日の9:30から出ないと予約出来ません。

(注6)『21世紀に間に合いました』は、トヨ○のプリ○スというハイブリットカーのテレビCFで使われた宣伝のキャッチフレーズ。2000年(平12年)のト○タ

    のプリウ○のCFでずっと使い続けられました。この年のテレビのCFは、『20世紀に残して行くモノ』とかいうように『世紀モノ』のCFが多かったのです。

    結局、この語句は年賀状には使わず『日本最端地制覇』と書きました。

◇危うし!波照間 島訪問

 2000年(平12年)9月、腎結石に悩まされたりもしましたが無事に東北&北海道ツーリングから帰阪。翌10月初旬に体調を崩して風邪を引きましたが、20日頃までには治して10月下旬に入りました。この頃まで『波照間島に必ず行けるだろう』とず〜っと思っていたのですが、実は『飛行機が欠航しなければ・・・』という絶対条件があることをすっかり忘れていました。

 そのことを思い出させる出来事が起こりました。飛行機が欠航となる一番の理由・・・そう台風です。10月18日頃に沖縄から遠く離れた太平洋の東海上に台風19号が発生したのです。例年なら台風は、東に移動した太平洋高気圧の縁に沿って北上し、北日本をかすめるかかすめないかの進路をとるのですが、今年はその太平洋高気圧の勢力が異常に強く10月になってもど〜んと日本列島付近に横たわって居ました。本来ならばオホーツク高気圧が南下して来て涼しくなるはずの10月になっても本州では夏日が続いていたのです。

 太平洋の遙か東海上に発生した台風19号は、太平洋高気圧の南縁に沿って発達しながら西北西に進みました。そのうち北に進路を変えるだろうと思っていたのですが、いつになっても変わる気配はなく発達しながら西北西に向かい続けました。その先には沖縄が・・・そう台風19号は沖縄直撃コースをとったのです。

 9月のツーリングの時は、台風ではなく台風で活発になった秋雨前線を引き連れて北上しましたが、今回は訪れる前に台風を 喚んでしまったようです。『あめふらし』の異名はダテではないですね・・・(注7)そんな悠長なことを言ってもどうにもなりません。毎日、暇さえあれば気象庁のサイトにアクセスして台風情報を見ていました。予報進路では、台風19号は沖縄本島と宮古島の間付近を通過して10月26日頃には台湾の北西付近に達するとの事でした。

 ところが10月23日(月)、台風19号は進路を西北西から西北西〜西方向に向け始めました。そのまま進むと八重山諸島が・・・そう、台風19号はこともあろうか石垣島直撃コースをとったのです。このころになって何故か台風の速度が下がりゆっくりと進むようになりました。まるで私が来るのを待っているかのように・・・

 10月25日(水)、出発の前日に台風19号は石垣島を直撃。瞬間最大風速35.5m/sを記録するなどして、島のあちこちに大きな被害を出しました。石垣島と他の島を結ぶ船・フェリーは全て欠航。石垣空港に発着する航空機も全ての会社の便が欠航となりました。よりによって私が訪れる前日にです・・・

 台風19号は25日夕方には石垣島を通過して石垣の北西付近の海上に抜けました。石垣島は暴風域から脱しましたが、波照間訪問は石垣島にすら行けない可能性が出て来てしまったのでした。

 めちゃくちゃ焦りました。これまでの私の努力は全て水泡と化してしまうのかも知れないのです。今回の機会を逃すと、いつ行くことが出来るか分かりません。年賀状のネタも考え直さなくてはなりません。『21世紀に・・・』というネタも、今回を逃せばあと100年は使うことが出来ないのです。えらいこっちゃ。えらいこっちゃ。あっちゃこっちゃでっち(注8)。頭が混乱して何も考えられません。でもこればかりはどうにもならないのです。

 翌10月26日(木)、出発当日。午前7時半にJALのサイトにアクセスすると、JTA085便は『運航』と記されていました。どうやら石垣島までは移動することが出来るようです。そこから先は分かりません・・・波照間訪問危機一髪の状態です。午前7時現在、台風19号は石垣島の北北西〜北〜北北東付近の海上で迷走しながら停滞しつつある状態でした。

(注7) 管理人が長距離ツーリングやダイビングに行くと、なぜか雨を呼んでしまうのです。そこから『あめふらし』という名前が付いたのです。台風はしばらく

    喚んでなかったのですけど・・・詳しくは自己紹介をご覧下さい。

(注8) 管理人が小学生の頃に大阪のテレビで放送していた吉本のお笑い番組。昭和初期(?)のとある老舗の店を舞台にした ハチャメチャコメディ。

    今の吉本新喜劇よりも面白かったと思っています。夏休みの『赤ふんどし大会』は巷では有名。

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