●四国縦断往復ツーリング2005 (2005.04.21〜23)

 2004年(平16年)に独身生活から卒業し、生活環境が大きく変わってしまった@管理人。それまでの好きな時期に長距離ツーリングに出かけていた自由な生活から一転、ブラリと出かけることすら難しい状況になってしまいました。

 恒例だった3月下旬か4月上旬の春の長距離ツーリングは当分の間中止に追い込まれてしまい、天候が安定して絶好のツーリングシーズンにもかか

わらず自宅と仕事場を往復するという生活を強いられたのでした。

 「これではあか〜ん!」と、ついに積もり積もったストレスが爆発。4月の第4週にまとまった休みを取ることが分かると、それに合わせてツーリングを計画。久々のソロツーリングに出かけたのでした。(=゚ω゚)ノ旦~

2005年4月21日(木)

■悩めるだけ幸せ?

 さてツーリングに出かけるとは言っても、期間は4月21日〜23日の3日間。2泊3日での長距離ツーリングを考えた。久々に九州をR265で縦断しようかと思ったものの、時間的・金銭的な都合から宿泊のツーリングは難しいと判断。0泊2日という強行軍ツーリングとなった。これならフェリー泊だけで済むので宿をどこにするか悩む必要もない。

 九州阿蘇までなら0泊2日で行けることは分かっていたが、今回はフェリーの都合が良い四国に決定。R439とR494を走っての四国縦断ツーリングとした。高知特急フェリーがあれば非常に計画を立てやすかったのだが、すでに会社自体が無くなっており瀬戸内側から四国入りしなくてはならない。 各フェリー会社に問い合わせるが、関西汽船とダイヤモンドフェリーは予約満杯だった。さすがに10日前では無理か。結局、比較的余裕のある四国オレンジフェリーを予約。東予入り・東予出という大まかな予定が決まった。

■2年ぶりの長距離フェリー

 前日の4月20日は雨で、その影響が残っていたのか翌21日は曇り空だった。20時過ぎに自宅を出発して大阪南港に向かう。途中でほんの少しだけ雨がパラついたが、南港に到着すると月が見えていた。明日は晴れるようだ。

 ターミナルに向かい乗船手続き。往路の寝台が空いているとのことで2等寝台に変更。これで往復とも同じ条件で利用となったので往復割引が適用された。やはり寝台にしないと寝付けないし疲れがとれない。

 やることがないが、21時半頃から外に出てぼけ〜と過ごす。21時50分頃にオレンジフェリーのフェリー『オレンジ7』が入港・ 接岸。慌ただしく車両の積み下ろしと積み込み作業が始まる。プロドライバーのキビキビした運転で、次々とトレーラーや大型貨物車の入れ替え作業が進んでいる。

 22時20分頃に乗船。バイク乗船は私1人だけ。いつもなら左舷か右舷の端で固定されるのだが、今回は車両甲板中央にトレーラーに挟まれるような形で固定となった。長距離フェリーでは初めてのことだったので意外だった。

 荷物を降ろして寝台室に移動する。着替えて船内散策。中学生の修学旅行の団体がいたので賑やかだった。22時50分、フェリーは定刻出港し、一路東予FTに向かう。他にやることもなく、一段落すると早々に寝ることにした。

【本日の走行距離:38km】

【写真】フェリー前で乗船を待つ。

2005年4月22日(金)

■寒いぞ。四国

 午前4時頃に目が覚める。そのままダラダラしていたが5時過ぎに起きることにした。朝食は5時半からだったが、料金が高いのでパスする。昨晩、朝食を買っていなかったのが悔やまれる。しばらく朝食はおあずけだ。

 6時10分、フェリーは定刻に東予FTに到着。車両甲板に下りるが、昨晩上がった階段とは別の階段から下りてきたので場所が違う。大型トラックとトレーラーの僅かな隙間を縫うように歩いてZRX1100にたどり着く。まるで迷路だった。

 6時15分、下船。四国にバイクで上陸するのは2年ぶりぐらいか。天気は快晴。絶好のツーリング日和だ。ただ4月下旬に近いと言うのに寒い。風が強いために余計に寒く感じるのだろう。2年ぶりの四国は寒かった・・・。

 

【写真】東予FTの埠頭に接岸したオレンジ7。

■やっぱり寒いぞ。四国

 寒いのは朝だけで太陽が上がれば暖かくなるだろうと思い、特に防寒具を着ることもなく出発する。まずはコンビニに寄って朝食を確保しないとならない。R196〜R11を走ってコンビニを探す。いよ小松ICを過ぎた辺りでコンビニを発見。ここで朝食を食べることができた。

 トラックや車の多いR11を走るのが嫌だったので、いよ小松ICから松山道に入り川内ICまで移動することにした。松山道を走り出すが、横風が強くて流される。さらに寒い。予想外の寒さだった。オーバーパンツをはこうかどうか迷ったが、そのまま走り続けて川内ICには7時過ぎに到着した。

 松山道を下りてR11に入る。高松方面に5kmほど引き返してR494に入る。『四国縦断ツーリング』の始まりだ。R494は愛媛県松山市と高知県須崎市を結ぶ全長約120kmの3ケタ国道。くねくねしながらも四国を縦断するように走っている。

 R11から離れたR494は2車線のまま山間に入って行き、やがて急カーブ・急勾配の坂道が連続するワインディング区間に入る。4kmほどの間は山間の農村地帯を進むが、やがて民家はなくなり山中へ入った。それにしても寒い。そろそろ気温が上がってくれてもいいのだが、空気はひんやりとしたまま。ついに寒さに耐えきれず、ジーパンの上にオーバーパンツをはいた。

【写真】四国縦断国道に入る。山に入ると寒かった。

■3ケタ国道堪能

 やがて道は1車線幅の狭路となった。同時に杉林の中に入り、見通しの悪い急カーブと急坂が続く区間に突入する。路面には落ち葉や枯れ枝があちこちに散らばり、路面にコケが生えている箇所すらある。いわゆる『悪路』区間。こんな道ばかり走ってい

る@管理人なので、そういう悪路であってもそう気にしていない。むしろ”普通の道”と感じて走っていたりする。(;´∀`)

 R494は大阪近郊で言えばR480鍋谷峠の大阪府側区間という感じの道だった。途中で何度も止まって撮影などし、ゆっくりと走っていたので黒森峠までの約17kmに1時間もかけてしまった。

黒森峠到着は8時20分だった。黒森峠は標高985mの峠。峠付近は切り通しになっている。ここを過ぎると愛媛県東温市(旧:温泉郡川内町)から愛媛県上浮孔郡久万高原町(旧:上浮孔郡面河村)に入る。

【写真】R494最初の難所、黒森峠を越える。

 黒森峠南側の久万高原町に入ったからと言って道路状態が劇的に変わるものでもない。相変わらず鬱蒼とした山中を進む狭路が続く。感じとしては多少走りやすくなったような気がするが。急カーブ・急坂が連続する四国の 悪路らしい道を進むが、やがて谷間に出て川沿いに進むようになると、道は2車線道となって南に向かう。整備された道で走行ペースが上がる。

 淡々と2車線道を走り続け、9時半頃に久万高原町東川の町に着いた。黒森峠から約26kmに1時間ほどかけて走っている。撮影したり寄り道して走っているのでこんなものか。まだ朝ということもあって余裕があったのだろう。東川町の町中でr12

(県道西条久万線)との交差点に着く。ここで鋭角に曲がると道は狭路となる。それまでの快走2車線道から、1〜1.5車線幅の狭路国道にまた戻る。先ほど分岐したr12の方が遙かに立派な道だった。3ケタ国道らしい扱いを受けている。

 R494はローカル国道となって山間の農村を繋ぎながら進んで行く。東川町から8kmほど走ると塩野トンネルを越えて高知県吾川郡池川町に入った。高知県に入ったからと言っても道路状態が良くなるわけはなく、相変わらず急カーブが連続し1〜1.5車線狭路が続く悪路である。なかなか進まない。まぁ、これが四国の道であろう。

 広狭混在区間を抜け、1時間ほどかけて走ると池川町土井の町に到着。町中を過ぎて四国の3ケタ国道として名高いR439との交差点に到着したのは10時半頃であった。ひとまず、R494の7割ぐらいの区間は走り終えたことになる。

【写真】高知県に入ると、R494は美しい渓谷を見ながら走る。

■8年ぶりの与作〜大峠〜

 R439に入るとR33方面には行かずに反対方向のR194方向に向かう。R439のR194・R33間を前回走ったのは1997

年(平9年)6月のこと。実に約8年ぶりの走行となる。その間の2002年(平14年)4月に新大峠トンネルが開通しており、これを気にR439は大きく変わっている。その姿を確かめるべく大峠越えを含めて往復して来ようという算段なのだ。

 整備された2車線道をしばらく走ると、静かな農村風景が広がる山間に高規格のトンネルが現れた。新大峠トンネルである。1997年走行時は工事の真っ只中で影も形もなかったトンネルだ。しかしトンネルには入らずに分岐する狭路に入る。その道が大峠トンネルを越える旧道なのだ。

 旧道は標高の高い所にまで集落があるために、生活道路として静かな余生をおくっていた。道路状態は8年前とほとんど変わらない。変わったのは途中にあったR439国道標識が撤去されたぐらいだろう。昔ながらの山間の農村をつなぐ長閑なローカル道であった。

 大峠トンネルを越えると吾川郡いの町(旧:吾川郡吾北村)に入る。農村地帯を結ぶ生活道路と

なった旧道を淡々と走ってR439本道に戻った。

 本道に戻ってからはR197方面に走る。R439のR197・R33間は全区間が改良されたのではなく、一部は昔のまま狭路として残っている区間がある。その区間だけは悪路時代の与作を思い出させてくれる。 しかしその区間もわずかで、すぐに高規格道路区間に入り、しばらく走るとR194との交差点に到着する。

 R194交差点で引き返すと、今度は新大峠トンネル経由でR33に向かうことにする。全長292

8mのトンネルは新しいだけあって高速道路並みの快適なトンネルだった。内部もヒンヤリとしている。あっという間にトンネルを抜けると、再び吾川郡池川町に戻った。バイパス道路とトンネルの効果を実感した。そして、また一区間、R439の3ケタ国道区間が消えたことを実感した。

 仁淀川町内のR439は整備された2車線道。そのまま淡々と進んで吾川郡吾川村川口のR33交差点に到着したのは12時過ぎであった。

 

【上写真】旧道区間にて撮影。ここには97年当時はR439おにぎり標識があった。

【下写真】かつての悪路も今は快適な2車線国道になっていた。

■8年ぶりの与作〜矢筈峠〜

 吾川郡吾川村川口の町中で給油。その後、仁淀川沿いにR33を西に向かう。川沿いの区間は平坦な2車線道が続く。ウネウネした川に沿う適度なカーブが続く区間だ。

 大渡交差点で左折してR439に入る。仁淀川をまたぐ上仁淀橋を渡り、川の右岸に出る。しばらくは対岸にR33を見て進むが、やがて支流の長者川沿いに山間に入って行く。R33とR197の間、矢筈峠を越える区間も1997年(平9年)6月以来の走行の走行となる。今回は前回とは逆、すなわちR33→R197方向に向かって走ることになる。

 仁淀村森の町中を抜けると、整備された2車線道で淡々と山間を進んで行く。以前もこんな道だったように思う。やがて長者トンネルに到着。ここを過ぎると未整備区間が現れ、狭路区間がぼちぼちと出てくる。悪路区間の始まりである。とはいうものの、見通しと路面状態の悪い狭路が延々と続くだけで、R494黒森峠区間よりも楽な区間であった。8年前はきつい道だと感じたのだが、これはやはり”慣れ”なのだろうか。

 仁淀村太郎田地区を過ぎると急勾配の狭路坂道が連続するようになる。悪路らしい区間に入ってからしばらくすると矢筈トンネルに到着。ここを過ぎると高岡郡津野町(旧:高岡郡東津野村)に

入る。しばらく狭路坂道を下るが、やがて谷間を進む平坦な狭路を延々と走ることになる。道路自体はまだ未整備区間が多いのだが、8年前と比べると整備された区間が延びているのは確かだ。この区間も少しずつ変化してきている。

 整備された2車線道となるとR197も近い。やがて津野町新田の町中を抜けてR197交差点に到着する。この交差点も8年前と同じく、見通しの悪い交差点のままであった。

【写真】矢筈トンネルに到着。トンネルを越えて津野町に入る。

■地芳峠、断念

 R197に入るが、すぐ先のR439交差点付近で少しだけR439を調査してからR197本道に戻って檮原に向かう。予定では檮原からR440で地芳峠を越えてR33に入り、そのままR33を高知方面に走ってR494の残りの区間を走行することにしていた。遠く離れて単独区間のある国道の走破はコースを考えるのが大変である。

 かつては『行くな』国道と呼ばれたR197も、整備・改良が進んで今では快適な2車線国道となった。随所に残る旧道はかつての悪路時代を思い起こさせてくれるものと思われるが、今回は時間がないのと全く下調べをしていない。なのでR197旧道走行はいずれの機会にでも・・・。

 途中の道の駅で少し休憩しただけで、14時過ぎには高岡郡檮原町檮原の町に到着した。R197とR440交差点からR440に入る。R440も1997年(平9年)6月以来走っていない。以前はR439〜r48〜四国カルスト〜地芳峠〜R440〜R197〜R439と、この付近を大きく周遊している。そのとき以来、約8年ぶりのR440地芳峠なので楽しみだ。

 檮原の町を抜けると整備された2車線道を淡々と進む。整備区間が延びている。R440も少しずつ改良が進んでいるようだ。

R197交差点から約12kmで檮原町下本町のr330(県道上郷檮原線)との交差点に到着する。この交差点を過ぎると狭路区間が始まる。町中に入るといきなり1車線狭路に。古いタイプのR440国道標識が良い味を出していた。

 そして町中を抜けると・・・

 

 

 

『通行止め』

 

 頑丈なゲートと『通行止』の看板。そしてその先は土砂崩れ現場。R440の道路は跡形もなく土砂で流されている。どう見ても通行不可能。ここまで来て引き返すことになるとは・・・。約1月ほど前の3月下旬に起こった土砂崩れだとか。R197交差点付近には何も表示がなかったぞと文句を言っても仕方がない。例え表示や看板があっても、ここまでやって来ていただろう。

 今はどうするか考える。r330〜R439〜r48で四国カルスト経由で地芳峠に出てR33に下るというルートを考えるが、時間的なロスを考えると得策ではない。ここは地芳峠越えを諦めてR197で須崎に出てR494を北上することにした。

 地芳峠を越せなかったのは残念だが、また来年やって来よう。

■とりあえず四国縦断

 檮原の町に戻りR197に入って須崎を目指す。前にも触れたが、R197は整備・改良が進んで、今ではトンネルなどで山間を豪快に突っ走る快適な2車線国道となっている。走っていて実に気持ちの良い道だ。交通量も少なく、また快適な道だということで、淡々とマイペースで走行する。厄介だったのは、急カーブや悪路区間がなく、どこまでも同じような単調な道が続いていること。それが故、朝からの疲れからか途中でめちゃくちゃ眠たくなった。快適な道路も問題ありと言えば問題か。

 15時半頃には須崎のR56交差点に到着する。海岸までは出ていないが、とりあえずは四国縦断を縦断したと言えるだろう。

ここからは方向を北に変えて再び東予を目指すことになる。

■R494再び

 R56を少し走ってR494交差点に到着する。四国の中程、吾川郡池川町で消えたR494はR439〜R33と重複して進み、須崎市北にある高岡郡佐川町でひょっこりと現れてR56へ向かっている。

 R33重複区間も8年ぶりに再走行しておくつもりだったのだが、地芳峠が越せなかったので須崎から北上することになってしまった。同一方向で走りたかったのだが、これだけは致し方ない。今回走らないと、今度いつ走れるか分からないのだ。

 さてR494の南端区間、R56分岐点からしばらくはR56旧道区間を走る。どことなく旧街道の面影が残る町中を走る。R56旧道と別れると山間を走る2車線道となる。しばらく進むと急カーブ・急坂が連続する区間となる。狭い2車線道でクネクネと進むのだが、意外にも交通量が多いためにやや渋滞気味になる。別の意味での悪路区間と言える。そのため別ルートを通るバイパスが建設中だった。斗賀野トンネルを抜けると走りやすいローカル2車線道となる。道路状態が須崎市内と高岡郡佐川町内だけでも大きく異なるのも珍しい。

 淡々と2車線道を走り、JR土讃線の佐川駅前を右折してしばらく進むとR33交差点に到着。南

端区間の約12kmを走りきり、これでR494単独区間走行が終わる。

【写真】バイパス建設が進んでいたR494。先に見えるのがバイパス。

■再び四国縦断

 R33に入って高知市街へ向かう。四国の幹線国道だけあって交通量が多い。仁淀川橋を渡ったところで左折。R194へ入り、一路西条に向かって北上を開始する。

 R194は仁淀川に沿って進む快適な2車線国道。四国縦断国道の中では整備が最も進んでいる道である。交通量も少ないので、ここでもマイペースで走り始める。かつての吾川郡伊野町〜吾川郡吾北村にかけての区間は、適度なカーブと平坦な道が続くので大変走りやすかった。仁淀川から離れて支流の上八川川沿いに進むようになる。(旧)吾北村に入り、午前中に立ち寄ったR194・R439交差点を過ぎると、少しづつ山間へと入って行く。

 やがて上八川地区のR1694・R439交差点に到着。時間に余裕があったので、ここで一旦R194から離れて、R439に入り郷ノ峰トンネルまで一往復する。この区間は約4年ぶりの走行となるが、4年経っただけでも劇的に変化していた。1997年そして2001年に走った狭路区間は一部に残っているものの、ほとんど姿を消してしまい、高規格2車線道路が続く快適な道となってしまった。かつての狭路だった頃の旧道は、そのルートを探し出すのが困難なほど細切れに寸断されたようだ。四国を代表する3ケタ国道R439は大きく姿を変えているのだ。

 R194に戻る。川沿いの快走路だったR194も、徐々に急坂・急カーブが連続する山道へと変貌する。川沿いから山腹を走るようになり、いくつかのトンネルを越えて行くようになった。山岳国道へと変貌した。新大森トンネルを抜けると(旧)土佐郡本川村に入る。

 吾川郡いの町長沢地区からは再び川沿いに進むようになり、R194は吉野川に沿って進んで行く。徳島県を横断しているあの吉野川である。高知県内に吉野川というのがピンとこないが、吉野川の源流は高知県なのである。川の流れに沿って淡々と進んで行くが、やがて貯水池へと変貌した。この付近は急峻な地形だったこともあって、大きなダムがいくつか造られていたのだ。

 川沿いからダム湖沿いの2車線道を走るようになる。マイペースで快適に走る。本川トンネルを抜けて吉野川から離れると、R194は再び峠目指して進んで行く。この頃になると 日が暮れ始め、山間の気温が一気に下がってくる。春先とは言え、走っていると体が冷えてくる。

 やがて新寒風山トンネルに入る。新寒風山トンネルは1999年(平11年)4月に供用開始となった四国最長のトンネル。全長5432mという長さは、日本における無料自動車トンネルとしては最長の長さでもある。寒風山トンネルを経由する旧道が分岐すると、すぐにトンネル内に入る。約5kmものトンネルはとてつもなく長い。走っているのは私だけで、対向車はもちろんのこと先行車の姿もない。貸し切り状態のトンネルをZRX1100でハイペースで走行する。トンネル中央まで来るとかなり気温が下がるのが分かる。トンネルを出ると愛媛県へと入った。

 愛媛県西条市に入ると整備された2車線道となって山間を下って行く。加茂川沿いまで来るとすでに日は暮れていた。松山自動車道を越えると、ほどなくしてR11との交差点に到着した。

【写真】寒風山トンネルを越えると愛媛県に戻る。

■帰阪へ・・・

 体が冷えたので温泉に寄ることにした。R11に入り松山市街方面に向かう。途中で脇道に入って湯ノ谷温泉を目指すが、入る場所を間違えたのか見つからないままR11に戻ってしまった。暗くて看板を見落としたのだろうか?もう一度戻る気になれなかったので、国道沿いにある石鎚温泉に立ち寄った。ここのお湯で体を温めた。春先とは言え、あの寒さはこたえた。

 温泉を出たあとはどこにも寄るところがないので、そのまま東予FTに移動。フェリーターミナルに到着したのは20時過ぎ。食堂で夕食を食べてからは待合室でひたすら待つことになる。22時前にフェリーが到着するが、すぐには乗船できず22時半頃まで待たされる。風があったのでかなり寒い待機時間となった。22時40分頃にやっと乗船。すぐにフェリーは出港した。

 待っている間に冷えてしまった体を、風呂で再び温めてから指定された2等寝台に潜り込む。疲れからそのまますぐに寝てしまった。

【本日の走行距離:410km】

【写真】帰りのフェリーが到着するが、バイクはしばらく待機となる。

2005年4月2 3日(土)

■四国ツーリング終了。そして・・・

 4月23日午前6時前にフェリーは大阪南港に到着した。この日も快晴である。こんな良い天気なのに出かけないのはもったいない。どうするか考えながら一旦自宅マンションに戻り荷物を置く。これで四国ツーリングは終わりとなる。

 しかし良い天気だ・・・。頭の中をすぐに日帰りツーリングモードに切り替え、休憩もそこそこにZRXで出発。四国から帰って来たばかりだというのに、まだ出かける気力と体力が残っていたとは自分でも驚きだ。@管理人はそのまま丹後半島へと向かいましたとさ・・・(;´∀`)

【とりあえず南港→自宅までの走行距離:11km】

【写真】南港に到着。フェリーをバックに。この後、@管理人は丹後半島に向かう・・・。

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