◆北海道2005

 今年も北海道旅行に出かけることになりました。出来ればZRX1100で渡道したかったのですが、@嫁も一緒に来るので去年と同じく車(スパイク)にKSRUを積んでの『北海道ドライブ&ツーリング』となりました。まぁ、北海道に行けるだけでも良しとしましょう。まずは1997年(平9年)以来続いてる連続渡道記録は『8』まで延びたことになります。

 今年の渡道はバイクツーリングならベストシーズンとも言える9月。9月に北海道を訪れるのは3年ぶりぐらいです。関西では残暑の厳しい頃ですが、北海道は秋の気配を感じるぐらいに涼しく過ごしやすい時期です。遅めの避暑ということで出かけました。

>>期間:2005年9月17日(土)〜9月24日(土)

2005年9月17日(土)

●今年も敦賀から

 今年の出発日は9月17日(土)。ところが土曜日だというのに仕事の打ち合わせが入ってしまいました。打ち合わせが終わったのは16時頃。そこから急ぎ自宅に戻るのですが、またKSRUを積んでいなかったのでガレージで蚊と格闘しながら搭載作業を行い、自宅に戻ったのは結局19時頃となってしまいました。それから荷物の準備や自宅の清掃、食事などをしていると、あっという間に時間が過ぎて行き、気がつけば21時前となっていましまいました。打ち合わせを強引にでも延期するかして、もっと早く帰宅するべきだったか。

 戸締まりをしてからガレージに移動。荷物を積み込んでからKSRUの固定状態を確認し、21時過ぎにガレージを出発。まずは敦賀FTに向かいます。駒川入口から阪神高速に乗り込み松原線〜環状線〜池田線と乗り継いで名神に向かいます。高速に入ってすぐに固定が緩んだようで、KSRUがガタガタ動き出します。しかもコックをOFFにしてあるにもかかわらずガソリンが漏れているようで、かなりガソリン臭い・・・。窓を開けての走行となりました。豊中から名神高速に入り吹田SAで固定し直します。急いでいたので少し乱雑になったようです。ガソリンの方はどこから漏れているのか良く分からないので、そのままにして出発します。(後にガソリンコックのパッキンが劣化していたため漏れたと判明。)

 3連休初日の晩ということもあってトラックの姿は少なく、観光に向かう車が多く目立ちます。そんな中を80k/hぐらいで流して名神を東へ東へと走り続けます。草津を過ぎるとかなり流れが良くなり、100k/hぐらいで流して走るようになります。固定もしっかりし直したこともあってかKSRUが動くことはなく、ただガソリンの『チャプチャプ』音とガソリン臭だけが気になるぐらいでした。

 23時前に米原検札所を通過。出発から2時間弱で米原に到着という予想外のペースに驚きながらも、あまりペースを変えずに北陸道を北に向かいます。米原から30分ほど走って23時20分頃に敦賀ICに到着。高速を下りてからはR8に入り、通い慣れた道を進んで、23時半頃に敦賀FTに到着 。自宅より約194km、約2時間半の旅路でした。初日の走行はこれで終わりです。

 今回往路で利用するのは敦賀1:30発苫小牧東行きの直行便。日程の都合から今回は直通便利用となったのです。今回乗船するのはフェリー『すずらん』。1996年(平8年)に就航した高速船です。『すずらん』は満月に近い月に照らし出されて静かに出発を待っていました。

●フェリー乗船

 車待機場所に車を止めてFTで乗船手続きを行います。0時頃、同乗者である@嫁が先に乗船します。@管理人は車乗船開始までしばらく待機しないとなりません。暇だったのでぶらりと散歩してみます。バイク待機場に行くと20台ほどのバイクが待機しています。2年ほど前はこちら側に居たのですけどね・・・。再びZRX1100でこちらで待機したいものです。

 日付が変わって18日の0時半頃、バイクの乗船が開始。勢いよくタラップを上る荷物満載のバイクを見ているとうらやましく思います。とは言え、こちらは車内にKSRUを積んでいるのですがね。

 0時45分頃になってやっと車の乗船が開始しました。トラックの積み込みが少し遅れたようです。車両甲板に車を止めて荷物を持って車外に出ます。ふとバイクエリアを見てみると、台数は20台ほど。待機していた台数とさほど変わりがありません。やはり減っています。バイクに乗る人が減ったのか、バイクに乗って長距離ツーリングに出かける人が減ったのか分かりませんが、私が北海道ツーリングにのめり込み始めた1997年頃と比べると明らかに減っています。オフ車が減ってビックスクータバイクが目立つようになってきているのも時代の流れでしょうか。寂しいものです。かくいう@管理人も車利用になっているのですが・・・。

 客室に向かいます。今回も1等個室です。2等寝台よりもゆっくりとくつろげます。疲れていたので、部屋に入って一息ついたら早々に寝てしまいました。

【写真】乗船待機中のバイク達。来年はこちらに並びたいものです。

2005年9月18日(日)

●割り箸忘れた

 疲れから次の日は昼前まで寝ていました。起きてから風呂に入ったりするなどしてダラダラと過ごします。ただ個室なので備え付けのテレビを見たり、持ち込んだノートパソで遊ぶなどすることができ、2等寝台と比べると遙かに自由度があります。

 昼過ぎ、昼飯代わりに買って置いたカップ麺を食べようとしたら、なんと割り箸が見あたりません。(゚Д゚ ;)  カップ麺は買っておきながら、肝心の割り箸を忘れたのです。バイクツーリングの必需品を忘れるとは・・・。最近キャンプツーリングに行っていないので、カンが鈍っているようです。(;´∀`) 割り箸をもらいに売店に行くと1本20円もしました。販売しているということは需要があるということです。私のような人が他にもいるのでしょう。

 さてロビーに下りるとと、ライダーらしき人達が集まってあれこれ雑談しています。会話の内容までは分かりませんが、地図を広げて話しているところを見ると、北海道の情報交換をしているのでしょう。ライダーが少なくなったとはいえ、船上での情報交換は続いているようです。

●北海道上陸〜苫小牧へ

 18時半頃に夕食。往路のフェリーの中では唯一まともな食事でした。19時頃に部屋に戻り荷物をまとめ始めます。20時過ぎには早くも車両甲板に下りて下船準備。下船は同乗者も一緒です。

 20時半頃、フェリー『すずらん』は苫小牧東FTに到着。敦賀FTを出たのが、今日の1時半なので、たったの19時間で北海道に到着したことになります。北海道も近くなったものです。8年ほど前は1日半ぐらいかかっていたのに・・・。

 パッキングしているライダー達の横を通り 、フェリーを下りて北海道の大地に降り立ちました。ほぼ1年ぶりの北海道です。FTで撮影してから出発。R235に出てすっかり暗くなった原野をひた走ります。すぐ隣には無料開放中の日高自動車道が走っています。道路状態と最高速度が違うということ以外、さして変わりはありません。

 気がつくと後ろからハイビームで迫ってくるバイクがいました。同じフェリーから下りた北海道ツーリングのバイクです。抜くのかと思ったのですがそのまま後ろをついてきます。減速するのも嫌なので一定速度で走り続けます。結局、そのバイクはR234に出るまで後ろについていました。車

と同じで、バイクでも車の後ろや対向車が来たらロービームにして欲しいもんです。

 去年、コイン洗車場を探し回った苫小牧市街に向かいます。苫小牧駅近くの東横インが本日のお宿。FTから30分ほどで到着。北海道初日は約40km移動しただけでした。

【写真】苫小牧東FTに到着した『すずらん』。お疲れ様でした。

2005年9月19日(月)

●どこにでもいるDQN

 午前7時頃に目が覚めます。旅に出ると自然と早起きになるのです。天気予報では今日の道央〜道東は 「曇りのち晴れ 」という予報。風が強く少し寒く感じますが、しばらくは車で移動なのでそう問題なさそう。なんかヘタレになっている俺ガイル・・・(;´∀`)

 8時半前に苫小牧を出発。今日の目的地は弟子屈。時間的に余裕がありそうなので、R235〜R236で帯広に出てR241で弟子屈に抜けることにしました。計画では昼頃には帯広に着いていることになってしました。

 昨晩走ったR235でいったん日高へと向かいます。時間的に余裕があるので地道を走行。通行量が少なく快走できます。このペースなら予定通りで移動出来そうです。しかし快走できたのは厚真まで。厚真から先はトラックやダンプの姿が目立つようになり走行ペースがガタ落ちします。日高へ向かう一本道なので仕方ないといえば仕方ないです。それでも長い車列に気づいて道を譲るぐらいの余裕を持ってもらいたいもんです。

 しばらく走ると遅い車を先頭にした集団に追いつきました。先頭車はマイペースで走っているようで、50k/hでのんびり走っています。バイクなら一気に抜くのですが、車ではそうも行きません。

しばらく様子見るため大人しく車列について走ります。すると後ろを走っていたベンツの4WD のドライバーがキレたようで、とある交差点の右折レーンから強引に追い抜いて、@管理人の車の前に割り込もうとしてきました。(゚д゚)ハァ?

 いるのです。どこにでも。自分勝手に強引な運転をする香具師が・・・。(゚Д゚)ゴルァ 強引に割り込めば入れてもらえると思っているようです 。こういう自分勝手な香具師に腹が立ったので、とことんブロックしてやりました。やがて諦めたのか後ろに戻りました。抜いたところで1台先に行くだけ。その先も数台いるのだから抜いても大して変わりがないでしょうが。全く困ったものです。┐(´ー`)┌

 このベンツの4WD には、この後見通しの良い直線道路で抜かれました。関西圏のナンバーの車かと思ったら、地元の室蘭ナンバー。普段からこういう運転をしているようです。北海道での事故が多いのもなんとなく分かるような気がします。ほんと困ったものです。北海道初日からDQNの出迎えを受けてしまいました。(;´∀`)

【写真】R235をひた走ります。海岸線を行く快走路。

●北海道ツーリング始まる

 苫小牧から浦河までは約120km。バイクならそう遠くない距離なのですが、車で走ると意外と長い距離なのです。浦河市街に到着したのは10時40頃。苫小牧から2時間半ほどかかってしまいました。バイクでの走行ペースで考えていたので、予定よりも30分ほど遅れています。やはり車を抜けないのは辛いものがあります。こうなることは予想がついたのですが、今回は道ネタ集めでR236走行を考えていたので、何が何でも浦河まで行かねばならなかったのです。

 浦河からR236に入ります。それまでの海岸沿いから牧場地帯を抜けて内陸へと向かって行きます。R236に入ったところで運転を@嫁に代わり、@管理人は助手席でのんびりと風景を楽しみます。(^o^)\(- -;)

 R236は北海道日高郡浦河町と帯広市を結ぶ国道。襟裳岬を経由せずに内陸部を経由するショートカットするルートを通ります。日高側の平野部には馬牧場が広がり、広大な牧場でのんびり過ごす馬達を見ることが出来るのです。中央部には険しい日高山脈が横たわっていますが、R236は1997年(平9年)に開通した全長約4kmの野塚TNで貫いて進んでいます。別名『天馬街道』と呼ばれる快走出来る北海道3ケタ国道なのです。改行1.5。文字サイズは標準。

 @嫁の運転状態も見ながらしばらく走ります。やがて休憩エリアがあったので、そこにスパイクを停めます。天候は晴れ時々曇り。問題ない天気です。ここでKSRUを降ろして走ることにしまし

た。アルミブリッジをかけて車内からKSRUを降ろします。KSRUは元気よくエンジンがかかって一安心。ここからKSRUでの北海道ツーリングが始まります。

【写真】 北海道の大地に降り立ったKSRU。2005年の北海道ツーリングが始まります。

●スパイク行方不明

 KSRUで走り始めると、すれ違うライダーが皆挨拶してくれます。当然こちらも挨拶してすれ違います。「北海道を走っているなぁ」と実感できる瞬間です。 ヽ(゚∀゚)ノ

 さて『六輪の旅』でKSRUが動く時は、KSRU@管理人が先導する形であとにスパイク@嫁運転が続きます。@管理人はネタ集めのため撮影しながら走るので、停まってもスパイクは停まらずに先に進み適当な場所で待っていてくれと伝えています。@嫁は昨年一度経験済みなので要領は分かっているようでした。『KSRU停まる。スパイク抜く→停まっているスパイクにKSRUが追いつく』ということを何度か繰り返しながら進んで行くのです。

 一度停まったので先に進んだスパイク@嫁と野塚TN前の休憩所で合流します。KSRU@管理人先頭で野塚TNに入ります。さすがに約4kmもある長大TN。内部は少し寒い感じがします。TN内部の路面は濡れており、KSRUはすぐに泥だらけとなってしまいました。約4分でTNを抜けると十勝地方に入ります。日高側は少し曇っていましたが、十勝側は快晴。

  下り区間に入ってからも撮影のために停車。スパイク@嫁を先行させます。慎重に運転しているのと、交通量が少ない道なので離れていてもスパイクの後ろ姿を確認できます。しばらく走るとトラックを先頭にした集団に追いつきました。スパイク@嫁はその最後尾で、その後ろにKSRU@

管理人がつきます。

 しばらくすると後ろから大型バイク3台のグループに抜かれました。スパイク@嫁とKSRU@管理人に大型バイクが3台割り込んだわけです。やがて集団の走行ペースが上がり始めました。平坦な区間に入るとさらにペースアップ。撮影のために停まるため、徐々に遅れだしたKSRU@管理人。それでも最初は姿を確認していましたが、バイク+車集団共々気がつくとスパイク@嫁の姿が消えてしまいました。(゚Д゚ ;)  はい、はぐれました。

 「1本道だから、そのうち追いつくだろう」とのんきに構え、いつもの取材ペースで進んで行きます。しかし行けども行けどもスパイク@嫁の姿はあらず。最初は余裕だったのですが、「どこかで脇道に入ったか」と心配になります。(;゚Д゚) 5kmほど走っても姿は見えず。どこか路肩に突っ込んでいる様子もなく、完全に先へ先へと進んだ様子です。R336交差点までいなければ考えようと進んで行きます。

 結局、広尾郡広尾町豊似のR236・R336交差点手前に停まっていたスパイク@嫁とやっと合流。@嫁曰く、バイク集団が後ろについたので停まるに停まれず、またペースも上がったことからそのままの流れで進んでしまったとのこと。私がついて来ていないことも分からなかったという。まぁ、こういうこともあるのですな。1本道で良かった。良かった。( ´∀`)=3

【写真】野塚TN手前の休憩所で撮影。R236(天馬街道)を走った記念です。

●『幸福駅』と『愛国駅』

 R236も広尾郡広尾町からは交通量が多くなります。見通しの良い走りやすい2車線道を帯広に向かって快走して行きます。

13時半頃に道の駅『なかさつない』に到着。@嫁を待たせて近くのホクレンGSに入り給油。ホクレンの旗をゲットしました。やはりホクレンの旗をもらわないと北海道に来た気がしません。去年は10月だったのでもらえなかったのです。

 道の駅に戻ってここで昼食。快晴の祝日と言うこともあり家族連れが目立ちます。予定では帯広を過ぎて上士幌辺りまでKSRUで走ろうかと考えていたのですが、時間的に厳しくなってきたので予定を変更。ここでKSRUをスパイクに積み込みました。

道の駅を出発したのは14時半過ぎ。予定では昼頃には帯広のはずが・・・(;´∀`)

 このまますぐに帯広に向かおうとしたのですが、廃止された旧国鉄広尾線の幸福駅に立ち寄ることにしました。以前立ち寄ったのは1995年(平7年)9月末の初北海道ツーリングの時。実に10年ぶりの訪問です。車で来ると場所がよく分からず、付近を少しウロウロしましたが、15時には幸福駅に到着しました。

 『幸福駅』は1987年(昭62年) 2月に廃止された旧国鉄広尾線の駅でした。2つ北にある『愛国駅』と共に、『愛国から幸福駅』へという幸せになることが出来る縁結びの駅として、 1973年(昭48年)頃に一大ブームとなった駅。そういう経緯があったため、路線そのものが廃止となっても駅舎は残されました。                                  【右写真】:切符だらけの幸福駅駅舎。

 10年前は現役時代の雰囲気を漂わす駅舎と土産物屋があるの、いかにも北海道的なローカル線の駅の佇まいを残していました。しかし10年ぶりに訪れると、その変貌ぶりに驚きました。駅の西側には観光バスも停めることが出来る大きな駐車場が設けられておりすっかり観光地化され

ていました。(´・ω・`)ショボーン  変わっていなかったのは保存されている2両の気動車(キハ22)とホーム・駅舎ぐらいです。

 駐車場には大型観光バスが3台も止まり、多くの観光客が駅を訪れています。この観光客は、 おそらく台湾からの観光ツアーで来たようです。中国語で会話しています。『幸福』と書かれた駅名が珍しいのか、縁起が良いのか、やたらと駅舎や駅標などをバックにして記念撮影しています。中には『幸福駅 トイレ』と書かれた看板をバックに撮影している人達も。 「おいおいそれは・・・」と突っ込みたくなりましたが、楽しいひとときの思い出を壊すような真似はせずにそっとしてあげておきました。(それ以前に言葉が話せませんが。) あちらでも『幸福』は縁起の良い意味のようですが、日本人も台湾人も同じことをするのだなと、何となくおかしくなりました。( ´∀`)

 @管理人は混雑する場所 をあまり好みません。何枚か撮影すると早々に出発しました。次に向かったのは相方となる愛国駅。こちらは10年前とほとんど変わっていません。もともと集落内にある駅なので、観光地化しずらいのだと思います。駅舎は博物館になっており、広尾線現役時代に使用されていたいろいろな用品や写真パネルなどが所狭しと展示されています。

【左写真】:(旧)愛国駅駅前にあった切符モニュメント。切符は売店で発売しています。

 観光客の姿はなくひっそりとしており、かつての北海道ローカル線の駅の佇まいを色濃く残していました。なのでのんびりと気兼ねせずに見て回れます。駅には9600型蒸気機関車( 19671)

が展示されています。かつて広尾線を走っていた機関車です。これも10年前と変わっていません。一通り回って車に戻ります。駅前にあった小さな土産物屋(これも10年前と変わっていません)で記念切符を購入して駅を去ります。国道にでるまでの途中で幸福駅にいた観光バスとすれ違いました。愛国駅もコースに組み入れられているようで、忘れられてはいなかったようです。

 ちなみに幸福駅と愛国駅の間には、大正駅という駅も保存されているのですが、今回は時間の都合でパスしてしまいます。今もあるかは分かりませんが、10年前の時点では新幹線車両(0系)先頭車が保管されており、ローカル線の駅に新幹線車両という組み合わせが面白い風景を見せてくれています。

◆保存車両達

 幸福駅と愛国駅に静態保存されている車両達です。塗装の塗り替えなどは行われていますが、よく見るとあちこち腐食が進んでいました。厳しい環境の中にあるので仕方ないかも知れませんが、あと何年もつかが心配です。

幸福駅保存:キハ22−221/キハ22−238

愛国駅保存:9600型蒸気機関車(19671号機)

ホーム手前にあって今にも動きだしそうなのが、

キハ22−238。

ホームにあるのがキハ22−221。こちらは車内

に入ることが出来ます。

愛国駅で静態保存されている9600型蒸気機関

車。19671号機。

●夜の山間へ

 なんだかんだで帯広に到着したのは16時でした。余裕があったはずなのに、昼頃には通過していたはずなのに、夕方に帯広です。思った以上に苫小牧 〜浦河間が遠かったのですね。帯広からはR241で阿寒湖経由で弟子屈に向かうことにしていましたが、弟子屈市街の北にある美留和の宿『ましゅまろ』までは2時間で着くことは難しそうです。夕食は18時からなので、間に合いそうにありません。2人分だけ残しておいてもらうのも宿に迷惑をかけてしまいます。電話して、18時以降の到着になるので夕食はいらないと連絡します。これで焦らずに(?)運転できます。

 それでも少しでも早く着こうという心理が働いたのか、帯広市街を走ってR241BPに出た後、音更帯広ICから道央道に入ります。以前は 十勝清水IC〜池田ICしか開通しておらず、ほとんど利用価値のない高速道路でしたが、足寄まで延びたことで有る程度は利用価値が上がったようです。@管理人自身も足寄まで延びてから初めて走った高速でした。

 さすがに新しい高速だけあって快適に走ることができます。足寄ICには30分ほどで到着。足寄ICから足寄市街には10分ほで着いたので、帯広市街から55分ぐらいで到着したことになります。R274日勝峠から足寄まで短時間で移動したい場合には有用な高速道路でしょう。苫小牧東FT

と弟子屈間の移動時間も1時間ぐらい短縮できるかも知れません。

 足寄市街のコンビニで休憩してからR241をひた走ります。17時を過ぎていたので、進むに連れて徐々に暗くなって行きます。交通量はかなり少なく、大体60k/hぐらいで淡々と走ります。遅い車やトラックを抜き、速い車に追い抜かれを繰り返し、阿寒湖温泉街を通過したのは17時50分頃でした。足寄から約50分、車ならこんなものでしょうか。R240に入 って長距離トラックの集団に出会わなければもう少し早く通過していたでしょう。

【写真】道央道を初めて走りました。

●遅すぎるレンタカー ヽ(`Д´)ノ

 阿寒湖温泉街を抜け、R241に入り弟子屈に向かいます。ここからのR241は急カーブ・急坂が連続するワインディング区間。今までバイクでも何度も走っているので道の状態は分かっていました。すっかり夜となった山間のワインディング走行です。 気を引き締めてR241に入ると、そこに現れたのは3台ぐらいの車の列・・・。3台先の先頭を走るレンタカーが原因でした。山道の走り方を知らないドライバーのようです。とにかくカーブ毎にブレーキを踏んで30〜40k/hぐらいでゆっくりと曲がり、やたらとセンターライン寄りを進んでいます。なんの為にカーブにミラーが設置されているのか分かっていないようです。

 見通しの良い区間でも、先頭ということで怖いのかかなりゆっくりと走るような状態。やがて観光バスに追いつきます。ところが下り区間に入ると、カーブごとに観光バスが先に進み始め、気がつくと観光バスの姿は見えなくなっていました。(゚д゚)ポカーン ワインディング道路で観光バスに逃げられたのは初めての経験でした。

 気がつくと私の後ろには推定10数台の長い車の列が出来ています。レンタカーのドライバーは運転に必死な様子で、後ろの状態など見る余裕はないようです。ブラインドカーブが連続しているので抜くに抜けず、遅いレンタカーの後ろを走るしかありません。前の2台の車も”イライラ”しているのがよく分かります。

 しばらするとスパイク@管理人の後ろにいた4WDがカーブで追い越しをかけてきました。(゚д゚)ハァ? 運転手がキレたようです。 またです。今日二人のDQNです。こんな状態で抜いてどうするつもりかと、追い抜いて前に入ろうとする4WDをブロックします。しばらくすると4WD運転手は諦めたのか、そのまま大人しく元の位置に戻りました。ブラインドカーブが連続する山道で、しかもカーブで追い越そうとする考え方が理解できません。一つ間違えば大事故になるのに。一時の感情だけで無茶な運転をする運転手が増えた ものです。┐(´ー`)┌

 急カーブ区間を過ぎると道は森の中を進むやや見通しの良い区間になります。結局、遅いレンタカーはワインディング区間をクリアするまで先頭を走り続けました。かなり長い車列が出来ていたように思います。直線区間にあった待避帯に入ってようやく道を譲ります。

 遅いレンタカーがいなくなると、皆一斉に速度を上げだしました。まるでレースのスタート直後を見ているようです。走行ペースは倍ぐらいになったでしょうか。やがて観光バスに追いつきますが、抜く必要もないので後ろについて走ります。しばらくすると後ろの4WDは恐らく120k/hぐらいで@管理人も含めた2台の車と観光バスを一気に抜き去って闇に消えて行きました。アホかいな。

 18時半過ぎに弟子屈に到着しました。夕方に足寄を出て1時間半ほどかかったことになります。夕食をキャンセルしてしまったので、R241とR243交差点角にあるそば屋で夕食を取りました。

●『ましゅまろ』1泊目

 19時20分頃に民宿『ましゅまろ』に到着しました。ほぼ1年ぶりの”帰宅”です。「ただいま」と言って宿に入ると、オーナーさんが出てこられました。まだ食事中でした。挨拶もほどほどに部屋に移動。荷物の整理などをしてダラダラし、21時以降の宴会に参加します。

 この日の宿泊客は6名。我々を除いた4名は皆男性で常連っぽい感じの方々 ですが、この日はかなり疲れていたので、宴会に参加するも話す気力もなく、22時半頃には上がらせてもらい寝ることにしました。

 ベッドにもぐりこむとそのまま深いに眠りに・・・。ほんと、かなり疲れていたようです。

【写真】いつもお世話になる『ましゅまろ』。9月20日に撮影した写真です。

2005年9月20日(火)

●多和平

 体が”旅モード”に入ったようで、朝7時頃に目が覚めた。ここまで一切起きることなく熟睡していたようだ。天気は快晴。絶好のツーリング日和である。7時半頃から朝食。オーナー夫妻の娘さんは今年で小学4年生で、すでに登校したとのこと。宿に来始めた頃(20世紀末のこと)はまだ小さかったのになぁ・・・。月日が流れるのは早いもんです。私も年喰った。 

朝食後ダラダラとして時間を過ごします。出発組を見送ってからようやく出発準備をします。今回は『ましゅまろ』に3連泊するつもりだったので、ゆっくりしていたのです。9時半頃に『ましゅまろ』を出発。良い天気でしたが、KSRUを積んだままスパイクを運転して出発します。

 R391〜R243と走り、まずは多和平に向かいます。快晴の天気だったので、広々とした青空と360度の大パノラマ風景が広がります。風が強かったのですが、それでも気分爽快になれる多和平でした。この強風の中、キャンプを張っていたライダーが3人いました。まだ野宿派ライダーは健在のようで、うれしくなりました。

【写真】 多和平は快晴。実に素晴らしい風景を見ることが出来ました。ヽ(゚∀゚)ノ

★多和平

 

 多和平は北海道川上郡標茶町にある牧場です。総面積2232haという日本最大の牧場の一部ですが、多和地区だけでも1586haもあります。ここでは3000頭以上の牛が放牧されています。

 多和平の展望台からは360度に渡って大パノラマ風景が広がります。快晴の日に訪れると、左写真のような光景に出会えます。晩は星空が綺麗だそうです。

 キャンプ場も併設。シーズン中はライダーや家族連れで賑わいます。

問い合わせ>>標茶町観光協会(標茶町役場商工観光課内) пF01548-5-2111

●掩体壕再び

  多和平を出た後、計根別の掩体壕に向かいます。掩体壕とは、戦闘機などの航空機を敵の攻撃から守るために作られた防空壕のような物。ひらたく書けば、コンクリート製の格納庫ということでしょうか。 計根別の掩体壕は昨年6月にも訪れていますが、デジカメで撮影した望遠写真が今ひとつだったので、今回は一眼レフの望遠で撮影するために再訪したわけです。

 r13 (道道中標津標茶線)に近い所にある一つ目の掩体壕では、東京からやって来たというライダーさんと出会います。聞くと機会が有ればあちこちの旧軍施設を回っているそうで。関東周辺の掩体壕も回っておられるとのこと。

 しばらく話をしていると、昨日通過した広尾郡大樹町の海岸にはトーチカ群があると教えてくれました。保存状態がかなり良いそうで、内部にも入ることが出来るとか。そのような施設があるとは全く知らなかった@管理人。知っていれば寄っていたでしょうなぁ。機会が有れば行ってみよう。

 さて、3つある掩体壕は 去年と全く変わりが無く、北の大地に建っておりました。

【写真】計根別周辺では広大な田畑が広がります。北海道らしい風景です。

●サーモン科学館

 計根別の掩体壕を出発して中標津へ向かいます。道中、覆面パトとねずみ取りによる取り締まりを警戒して走ります。道東の道路は見通しの良い整備された道が多いので、速度を出して走ってしまい がちです。そろそろレーダー警報機を買わねば。中標津でR272に入り、標津方向に向かいます。国道だけあって交通量は多め。流れに合わせて淡々と走り、標津にある『 標津サーモン科学館』には12時半頃に到着しました。途中、何台ものバイクとすれ違います。いいなぁ〜。(´・ω・`)ウラヤマスイ

 『標津サーモン科学館』は鮭や鱒の遡上と産卵を見ることが出来る珍しい水族館。イトウやオホーツク海沿岸に生息する魚介類を飼育しています。水族館に入る前に食堂で昼飯とします。ウニ丼、いくら丼 とちゃんちゃん焼きを注文。しばらくするとウニとイクラが丼一杯に盛って出てきました。ちゃんちゃん焼きもほどなく到着。一通り写真撮影を済ましてから頂きます。

 漁港が近いこともあってか新鮮です。(゚д゚)ウマー 贅沢な昼食です。@嫁と2人で出てきたそれらを全て平らげました。ごちそうさまでした。

注意>>@管理人に食べ物の味を表現する文章能力はありません。m(_ _)m

【写真】:注文したうに丼(左)、いくら丼(右)がやってきました。キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!! 

 腹を満たしてから食堂を出て水族館へ移動します。『標津サーモン科学館』は主として鮭・鱒の生態系を扱う特化した水族館。

入館するとまず驚いたのが大型水槽。110klもあるという巨大な水槽で、世界中のサケ科の魚が泳いでいます。見ていると中にチョウザメもおりました。中水槽(8kl)にはサケ・マスの未成魚を中心に展示。中にはイワナもいたそうです。

 続いて科学館のメイン水槽の一つとなる「魚道水槽」前に来ました。階段状に椅子が設けられており、団体さんがやってきてもゆっくりと見ることが出来る造りになっていました。映画館のようですな。

 さて「魚道水槽」は水槽とは言っても外界と遮断された大きな水槽ではなく、一面がガラス張りになっている水路のこと。水路は川を経て海とつながっています。ここを経て海に放流された稚魚達が成長して水路を遡上してくるわけです。その遡上する鮭や鱒の姿を見ることが出来るようになっています。考えたものです。

【写真】人工滝を登る鮭や鱒の姿を見ることが出来ます。2匹トライして、うち1匹がクリアしました。

 時期がちょうど遡上シーズンということもあって、大きな鱒(鮭かな?)が水路を遡っている姿を見ることが出来ました。水路には段差が設けれられており人工の滝が出来ています。その滝を必死に登って行く鱒(鮭?)の姿を見ることが出来ます。この魚道水道で10分ほど足止めを喰らいました。その間数回滝を登ろうとトライする鱒(鮭?)の姿を見ていました。傷つきながらも滝を登る鱒(鮭?)の姿を見ていると思わず応援してしまいます。ちなみにクリアした魚たちは上流にある飼育場に向かいます。ここで育って放流されているのでしょう。

 室内から出ると、次は「川の広場」と呼ばれるエリアに入ります。吹き抜けのエリアは太陽光が自然と入ってきて明るい場所です。ここの水槽には”幻の魚”と呼ばれる『イトウ』がおりました。珍しいアルビノ(白子)のイトウもいます。これまたでかい。ちなみに『イトウ』は日本最大の淡水魚だそうです。

 散歩道のような感じのエリアを過ぎると再び室内に入ります。稚魚コーナーやパネル展示室を一通り回って館外に出ました。普通の水族館とは違って、映画館のように”魚を鑑賞する”水族館という場所でした。【写真】イトウさんの特別コーナーもあります。

 外に出て施設前にある池に向かいます。この手の施設では珍しく柵がないので、水際まで近寄ることが出来ます。水族館受付で餌を購入して池にいるアヒル達にあげようとしました。ところがこの中に白鳥が一匹います。(゚∈゚*) 餌がもらえるので飛び立ちもせずにここに定住している白鳥だそうで、すでに主と化しているとか。

 この白鳥は食欲旺盛で、アヒルを押しのけで餌をもらいに来る姿は優雅なイメージとはかけ離れておりました。アヒルもそうなのですが、地面に餌をばらまいても石の間に入った餌をついばむことができないので、手のひらに餌を置いて食べさせていました。

 白鳥が近付いてきたので、餌をあげようと餌を手のひらに置くと・・

 

ガブッ

 

指を咬まれた。・・・(゚Д゚  )

 この白鳥、餌と一緒に@管理人の指まで咬みます。白鳥って肉食だっけ?白鳥の嘴(くちばし)はヘラを2枚重ねたような状態で、歯がないのでケガすることはなく痛くもありません。鳥につつか

れたことはありますが、白鳥に指を咬まれたのは生まれて初めての経験でした。

 餌をあげていると、最近北海道でも目立つようになってきたカラスも舞い降りてきて、おこぼれを頂戴しております。さすがに連中は頭と目が良いようで、砂利の間に落ちてアヒル達が取れない餌をついばんでおりました。

【写真】池に住むアヒルたち。かなり人慣れしているようです。鴨の姿もちらほらと・・・。

★標津サーモン科学館

 

 標津サーモンパークの中核施設として、1991年(平3年)9月に開館した水族館です。サケの

展示に特化した水族館で、世界中のサケ科魚類約30種を見ることが出来ます。サケ科魚類の生態や回帰の仕組みなども詳しく科学的に紹介してくれています。「魚道水槽」では、遡上するサケやマスの姿を見ることが出来、人工的に作られた滝を登る姿も見ることができます。一般的な水族館というよりは、”魚を鑑賞する”映画館のような施設です。

 展望台も併設されており、ここからは知床連山や国後島を初めとする北方領土の島影を見ることができます。(写真は逆光となっています。m(_ _)m )

 

●標津サーモン科学館

開館期間:2月1日〜11月30日(冬期の一般見学はありません)

休館日:5〜10月は無休。2〜4月と11月は水曜日が休館。

開館時間:9時30分〜17時(入館は16時30分まで)

入館料:大人610円

問い合わせ>>標茶サーモン科学館(標津サーモンパーク内) пF0153-82-1141

●メロディーロード

 『サーモンパーク』の駐車場でKSRUを降ろし、ここからKSRUで走ることにします。知床峠まで行くには時間が遅すぎるので、R244根北峠を越えて斜里方面に向かうことにして出発します。今日は快晴だったので、近くて遠い国後島の島影がくっきりと見えます。廃業したドライブインか土産物屋の駐車場から国後島を撮影してからR244で根北峠に向かいました。

 走り始めていきなり寄り道。『メロディーロード』と呼ばれる”メロディーが流れる道路”を走りに行きます。『ましゅまろ』のオーナーさんから場所を聞いていたので、すぐに到着しました。

 『メロディーロード』とは走ると音楽(曲)が聴ける道。高速道路などにある「三三七拍子」のように路面に凸凹があるのではなく、道路のアスファルト路面に細かな溝が彫られています。一見すると普通の舗装道路のように見えますが、この溝がある曲の

メロディーに合うように彫られており、上を走るとタイヤの振動が曲のメロディーとして伝わる(聞こえる)というわけです。道路局の人も面白いことを考えるものです。知る人は知っているとかで、すでに観光バスも訪れる名所となっているそうです。

 ここにあるメロディーロードは、知床を一躍有名にした『知床旅情』の曲が流れます。 曲が始まる場所が分からないので、音符が描かれた標識が設置されていました。音符標識など日本ではここだけにしかないのではないでしょうか?

【写真】珍しい音符標識。ここでメロディーが流れます。

 とりあえずスパイク@嫁運転に走ってもらいます。@管理人は道端で待機。道の向こうからスパイクがやって来ます。そして標識を過ぎて溝のある区間に入ると・・・・

・・

・・・

『しぃ〜れぇ〜とこぉ〜のみさきにぃ〜〜・・・♪』

 

おお?車外にいて離れていてもはっきりとおなじみのメロディーがはっきりと聞こえました。(・∀・) 運転していた@嫁 にもメロディーが聞こえたそうです。(断っておきますが、歌が聞こえるのではなく音階として聞こえるのですよ。)

 

 これは面白い。今度はKSRU@管理人が走ってみます。

・・

・・・

『・・・・・・・・』

 

あれ?終わった。全く聞こえません。バイクでは無理なようです。(´・ω・`)ショボーン

 

 スパイクに乗り換えてスタート地点に戻り、今度は@管理人がスパイクを運転して走ってみます。

・・

・・・

『しぃ〜れぇ〜とこぉ〜のみさきにぃ〜〜・・・♪』

 

おおお?はっきりと聞こえるじゃありませんか。 ヽ(゚∀゚)ノ

 

 @嫁曰く、30k/hぐらいでは聞こえず、40k/hぐらいから聞こえるようになったとのこと。速度を出せば、その分だけテンポが速くなって聞こえるということですかね?短い道で60k/hぐらいまでしか出せなかったので、それ以上は分かりません。

 このとき、たまたま道路局の担当の方がいていくつか質問されました。やはりバイクではどうかということが気になったようです。いろいろと感想を話したあと『メロディーロード』についてあれこれ話を聞きます。

 この場所の『メロディーロード』は試験段階にある試作品だそうです。様々な気象条件下や耐久性などを検討するため、ここでいろいろとデータを収集している最中とのこと。『知床旅情』も1番だけですが、現在(2005年9月時点)は2番のメロディーまで流れるようにするために作業中だとか。将来はいろいろな曲を流れるようにしたいとのことですが、ある程度の直線距離が必要となるので設置される場(区間)は限られてくるとのことでした。道東の新たな名所誕生です。

 ちなみに逆向きに走ると、逆回し(逆再生)でメロディーが流れました。

●川北の掩体壕

 観光バスまで走りに来るという有名観光スポットになっている『メロディーロード』。その道の脇に掩体壕が残っていたりします。

ここにある掩体壕は旧海軍航空隊川北飛行場の施設だったもの。もともとは掩体壕を探しに来たのですが、そのついでに立ち寄った『メロディーロード』沿いに掩体壕があったので探す手間が省けました。

 川北の掩体壕は無蓋掩体壕と呼ばれる『コの字』型をした土手だけのもの。屋根がないので”無蓋”と呼ばれています。敵の機銃掃射にほとんど無力な掩体壕です。たいていの物は土を2mぐらいに『コの字』型に盛るというだけもの。コンクリ製ではないので、戦後に基地が放棄されると破壊されたり、またはそのまま草木が生えて自然に還ってしまいます。川北の無蓋掩体壕も例外ではなく、戦後60年近く経過すると掩体壕群があった場所は完全に森林と 化してしまい、無蓋掩体壕がどこにあるのかは全く分からない状態となってしまいました。

 案内看板に従ってあった場所付近を見てみますが、森林と化してしまっており判別はかなり困難な状態となっておりました。わずかにそれらしき盛り土が確認できる程度。見慣れていないと全くわかりません。

 他の車が奏でる知床慕情のメロディーを聞きながら20分ほど掩体壕を探して、ようやく道路近くにある2箇所を確認できました。標津町が指定文化財(史跡)として指定しているのですが、ちゃんと整備しないと埋もれて消えてしまいかねない状態です。

あと5年もすればすっかり分からなくなるのではないでしょうか。

●KSRUでの峠越え

 KSRUでR244を根北峠に向かいます。この日は北風が強いため流され気味です。デジカメを首からぶら下げて、いつでも撮影できるようにジャケットのファスナーを開けていたため、そこから風が入り走っていると体が冷えてきました。15時台になると陽がかなり傾くので、峠道の日陰に入ると結構寒く感じます。峠は晩秋に近くなっていました。

 根北峠初走行は1995年(平7年)9月末。路肩に転がっていた鹿の礫死体がかなりショッキングでした。その 後はコースの関係から走る機会があまりなく、その次(前回)に走ったのは1998年(平11年)9月のツーリングの時でした。それ以来 走っていなかったので、実に7年ぶりの走行です。道は全く変化なく、以前の通り深い森林の中を進んでいました。

 日陰にはいると気温がぐっと下がります。風も冷たいので寒くて仕方ありません。あまりに寒いので根北峠に到着すると、スパイクに積んであったバーナーでお湯を沸かして暖かい紅茶を飲んで体を温めました。【写真】見通しの良いR244を走ります。(根北峠→標津方向を撮影)

 根北峠を越えて斜里郡斜里町に入ると、下りのワインディング区間を抜けて平野に下りて行きます。スパイク@嫁運転も無事にワインディングをクリア。北海道国道なので走りやすいので大丈夫だったようです。平野に下りると小雨が降って来ましたが、すぐにやんでしまいホッと一安心。雲行きは少し怪しかったので、斜里市街を経由しないで、R244からr829(道道 幌呂原野鶴居線)でR334にショートカット。交差点にあるローソンで休憩します。

 KSRUを積むのも面倒なのでそのまま出発。その後はr1115(道道摩周湖斜里線)〜r805(道道札弦停車場水上線)といういつものコースでR391に出ます。交通量の少ないR391野上峠区間。小清水町側(北側)から弟子屈に向かう場合は、適度な勾配と見通しよいカーブが続くワインディングとなっているので結構楽しめます。KSRUは80ccという小さいエンジンなのにパワーは結構でます。少し遊ぶことにして、とある坂道で4速ぐらいにギアを入れて加速。●●k/hぐらいまで出して峠道を上って行きます。

 気がつくとスパイク@嫁運転の姿がありません。 はぐれて行方不明になったのかと思ったのですが、今回はこちらが先行しているし、分岐する道がないので後から追いつくだろうと思い、そのままのペースで走り続けました。峠の少し手前で数台の車列に追いつ きました。走行ペースが落ちたこともあり、パーキングに入って止まります。しばらくして到着した@嫁と合流します。

 野上峠を越えると急勾配・急カーブが連続するワインディングとなるます。大型車の走行でアスファルト路面がかなり荒れているので攻める気にはなれず、スパイク@嫁の運転を確認しながらの走行となりました。やがて平野部に入り、川湯温泉入口を過ぎると走り慣れた区間に入ります。17時過ぎに『ましゅまろ』到着。本日のKSRUの走行距離は216kmでした。

●ましゅまろ2泊目

 あまりにも体が冷えていたので、スパイクを運転して川湯温泉『つつじの湯』に向かいます。ほとんど貸し切り状態で温泉を十分に堪能。体も十二分に温め て生き返りました。

 宿に戻り夕食。今日は宿で夕食を食べることができました。食後、疲れからか寝てしまい、宴会に参加したのは22時頃からと出遅れてしまいました。今晩は昨日からの連泊組数名と男女カップルのライダーさんが宿泊。ただカップルのうちの女性が、あれこれ談話している我々の横で、ぺちゃくちゃと携帯電話で話し続けるという方。気を利かせて部屋に戻って話せないかとね。まぁ、この手の人達は普段からこういう行動をしているから気にもしないのだろう。┐(´ー`)┌

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