●帝国海軍美幌第二航空基地 掩体壕【北海道網走郡大空町】

 北海道網走郡大空町(旧:網走郡女満別町)にある女満別空港の前身は、旧海軍の美幌航空基地でした。飛行場自体は終戦後に米軍によって爆破されましたが、7年ほどして飛行場として復活。米軍管理の後に返還されて女満別空港になりました。空港自体は1985年(昭60年)に現女満別空港が完成し廃止されましたが、周辺には掩体壕が2基残っています。

 うち1基は道路上からよく見える掩体壕として有名です。

>>06.01.22 Update

◆美幌第二航空基地

 

●飛行場の誕生

 現在の女満別空港の前身となるのが海軍航空隊の美幌第二飛行場ですが、その第二飛行場の前身となったのは中央気象台(現:気象庁)が建設した気象観測用飛行場でした。1935年(昭10年)3月に村民総動員で1週間で建設された500m滑走路が始まり。元々は村営競馬場だったところだったので、平らな土地だったのでしょう。開港後は冷害調査や流氷観測などに使用されました。滑走路自体は翌36年(昭11年)には650mに延長されました。

●海軍航空隊基地へ

 美幌周辺には1938年(昭13年)より海軍美幌航空隊第一飛行基地の建設が開始され、40年(昭15年)10月に完成していました。1942年(昭17年)には気象観測用飛行場は海軍に徴用されて、これを 基にして第二飛行場の建設工事(転用工事)が開始されます。工事は1945年(昭20年)に1300mの滑走路一本が完成。終戦時には96式陸攻、1式陸攻、零式輸送機が各数機ずつと白菊(機上作業練習機:特攻機として使用された)が16機配備されていました。基地には司令所や格納庫の他、かなりの数の無蓋掩体壕や有蓋掩体壕が建設されていたそうです。現存するのはこの時に建設されたうちの一部でしょう。

 話はそれますが、対ソ戦をにらんだ北海道の航空基地建設計画に基づき、美幌周辺には合計5つの飛行場の建設が計画されていたそうです。第三飛行場は斜里郡小清水町に建設されましたが、第四・第五は着工されることなく計画だけで終わっています。

●戦後の飛行場

 終戦後の1945年(昭20年)、第二飛行場はアメリカ軍の手により滑走路が破壊されて使用不能になりました。しかし朝鮮戦争中の1952年(昭27年)11月になると、アメリカ軍は主滑走路を修理して使用可能状態にして不時着場として接収します。飛行場は思わぬ形で再開することになりました。

 1956年(昭31年)、飛行場の一部が返還されると、女満別〜丘珠間に不定期便が開設。58年(昭33年)の全面返還の後に周辺を整備し女満別空港として再出発しました。その後、1985年(昭60年)に現在の女満別空港(当時は新女満別空港)が開港したのを機に、旧空港は廃止され50年の歴史に幕を閉じました。 

 ちなみに他の飛行場ですが、第一飛行場も滑走路が破壊され使用不能になりました。第一飛行場周辺は現在、陸上自衛隊美幌駐屯地となっていますが、

上空から見ると滑走路跡がよく分かるそうです。第三飛行場も滑走路が完成していましたが、これも破壊されてしまい、今は畑となり跡形はないそうです。

【写真】:この方向に旧女満別空港つまりは美幌第二飛行場があったそうです。

女満別の掩体壕

 

 網走郡大空町の女満別空港前から女満別市街へ向かうr64(道道女満別空港線)沿いにある掩体壕の存在は、その筋の間では有名でした。広告の文字が書かれていることから、『落書き掩体壕』とか『広告掩体壕』とか呼ばれているようです。知らない人が見ると単なる農機具倉庫ぐらいにしか見えないのですが、実は貴重な構造物だったのです。

 さて場所は女満別空港からr64を市街へ向かうこと、車で約5分の所。空港から本当にすぐの場所にあります。右カーブの終わる付近にある農家のすぐ隣。なにやらこんもりとした丘のようなモノが掩体壕です。

【写真】牛小屋の隣、こんもりとした丘のようなのが掩体壕です。

写真奥が女満別市街方向となります。

 右写真は、1977年(昭52年)に撮影された(旧)女満別空港周辺の空中撮影写真です。写真左端のアスファルト(下端に『36』と書かれている)のが(旧)女満別空港の滑走路。その東側に2基の掩体壕があるのが確認できます。これらが現存する掩体壕です。1基は滑走路とは反対方向に、もう1基が滑走路方向に正面を向けています。

 当時の掩体壕周辺は畑だけで、今のような農家や牛舎の建物は建っていません。当時であれば、道路(現在のr64)から掩体壕を2基ともはっきりと見ることが出来たのでしょう。

【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】

美幌第二飛行場掩体壕

掩体壕(その1) 2004年6月取材

掩体壕(その2) 2004年6月取材

●掩体壕(その1)

>>DATA

 所在地:北海道網走郡大空町女満別

 訪問日:2004年6月2日

◆正面

 道道沿いにある一つ目の掩体壕です。こちらはすぐに見つかります。掩体壕の上部は草木で覆われているので、遠くから見ると小さな丘のように見えます。

 掩体壕を正面から見ると、 開口部が凸型になっているのが分かります。これは海軍型掩体壕の特徴です。垂直尾翼の部分がくりぬかれているわけです。

 表面には喫茶店の店名が書かれています。広告看板代わりに使われているのでしょう。『落書き掩体壕』とか『広告掩体壕』と言われる由縁です。

 コンクリの継ぎ目が目立ちますが、大きな亀裂とかは見あたりません。コンクリ表面からは鉄筋が40本ほど、長さにして15〜20cmほど突出しています。それが2列あります。鉄筋に沿って、コンクリートの表面を一掃はぎ取っているところから、鉄筋を取り出そうとしたのでしょうか? 資材不足の時期に建設された掩体壕ですが、鉄筋は結構使用されているようです。

 現在、掩体壕は資材置き場として使用されています。内部に入ることが出来なかったので、天井内部のコンクリ状態は分かりません。

正面から見た掩体壕。土があるので開口部は半

分ほど隠れています。天井には草木が生い茂っ

ています。

正面のコンクリ表面。鉄筋がむき出しになってお

り、それに沿ってコンクリ表面が一層はぎ取られ

ています。

内部に入ることが出来ないので、外から撮影。内

部は資材置き場になっていました。奥は暗くてよく見えなかったです。

◆周囲

 掩体壕の表面は土が盛られています。草木が生い茂っており、遠くから見ると丘にしか見えません。1977年(昭52年)撮影の航空写真では、コンクリがむき出しになっているのでここ30年ぐらいの間で生い茂ったようです。表面に土を盛って芝でも植えたのでしょうか。

 右側を歩いて後方に向かいますが、完全に草木に覆われており、掩体壕のコンクリを確認することが出来ません。掩体壕というよりも、小さな丘の周囲を歩いているだけのように感じます。後部に回ります。草木が生い茂っています。おそらく後部は開いているはずなのですが、完全に土に埋もれてしまっているので状態は分かりません。

 この後、掩体壕(その2)に向かいました。

斜め前方より撮影。天井部分は草木が生い茂っ

ています。

横から。一部コンクリが見えています。あとから土

を盛って芝を植えたようです。

横から撮影。こう見ると丘にしか見えません。

上空を飛行機が飛んでいきました。

 

右斜め後ろから撮影。何がなんだか分かりませ

ん。草木を撮影しただけですね。

後方から撮影。木の向こうが掩体壕なのですが、

小さな丘にしか見えません。

 

掩体壕(その2)

>>DATA

 所在地:北海道網走郡大空町女満別

 訪問日:2004年6月2日

 掩体壕(その1)の後ろに回ります。そこから北を見ると、こんもりとした丘が見えます。これがあまり知られていない、2つ目の掩体壕です。右写真だとタンク車の後ろ、2本の木の間にある薄い緑の丘のようなのが掩体壕なのです。

 農家の方に許可をもらって敷地内に入れて頂き、牛舎裏を歩いて近付きます。2つ目の掩体壕は1つ目とは逆向きに作られており、正面は(旧)女満別空港側にあります。右写真だと左側に正面がきます。近付いてからは右回りで掩体壕の周囲をウロウロして調べていきました。

 取材当時は掩体壕正面でなにやら工事の最中でした。何かを建設するのかも知れません。

 近付きますが、そこには草木の生い茂った小さな丘があるだけです。これが掩体壕とはとても思えません。右回りに1周して掩体壕正面に出ます。そこには(その1)と同様の凸型 開口部を有する掩体壕がありました。

 こちらは近付くことが出来たので、コンクリ表面とか内部が観察できました。内部はこちらも資材置き場と化しています。構造としては奥に向かうにつれて萎むような形になっています。後部は開いているはずなのですが、土で覆われて閉鎖されています。

内部コンクリ表面は亀裂があったりしますが、大きなものはなく意外と良い状態でした。

 コンクリ表面を見てみると、表層部分のコンクリが剥がれて地の部分がむき出しになっている部分がありました。他地区の掩体壕と同様、コンクリには大きな石がゴロゴロと混ざっています。含まれる鉄筋も少なく、資材不足であったことを示しています。

 掩体壕(その2)も(その1)同様、天井には草木が生い茂っています。こちらも1977年(昭52年)当時の写真では、コンクリむきだし状態だったので、人為的に土が盛られて草木が生えて生い茂ったと見るべきでしょう。

 2004年6月の時、掩体壕(その2)付近では何かの工事が行われていたため、時間をかけて見ることが出来ず、足早に現地から去りました。いずれ機会があればまた訪問したいと思います。

掩体壕正面。道沿いと同じ形をしています。凸型

は海軍型の特徴です。

内部は資材置き場に。後部も開いているのです

が、土が流入しており閉鎖されています。

コンクリ表面。大きな石が混ざっているコンクリと

少ない鉄筋で、よくぞ崩壊しなかったものです。

掩体壕表面は草木で覆われています。かなりの

年月が経ったような感じです。

掩体壕横を撮影。掩体壕のはずなのですが、どう

見ても丘にしか見えません。

遠くから撮影するとまさしく丘でした。分かってい

ないと掩体壕の存在には気づきません。

◆注意

 1つ目の掩体壕は道路からも見ることが出来ますが、2つ目は農家の敷地内に入らなくてはなりません。女満別の掩体壕は私有地(農場の敷地)内にあります。見学される場合は必ず農家の方に許可をもらうようにして下さい。

【美幌第二航空基地掩体壕 終わり】

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