>>2008.12.07 Update

●赤江飛行場

 現在の宮崎空港の前身となる海軍宮崎航空隊赤江飛行場。赤江飛行場は昭和16年(1941)4月に建設が開始され、昭18年(1943)12月に完成。陸上攻撃機の練習航空隊である宮崎航空隊が置かれました。しかし1年も経たぬ間に、昭19年(1944)8月に練習航空隊は松島空に移転。以後は実戦航空基地となり、南九州防空戦の最前線基地として機能したほか、沖縄方面へ向かう特別攻撃機の中継基地としても使用されました。

 昭20年(1945)8月15日の終戦(停戦)後は連合国軍に接収。サンフランシスコ講和条約発効により返還された昭29年(1954)10月に航空大学校が置かれ、宮崎飛行場として再出発。昭36年(1961)には第二種空港に指定されます。当初は1500mだった滑走路は昭41年(1966)に1800mに延長されジェット化。さらに平成2年(1990)には2500mに延長とターミナルビルの拡張・整備が行われ、現在に至っています。

●掩体壕

 赤江飛行場が当初は陸攻の練習航空隊基地として開設されたため、基地周辺には陸攻が入る大型機用掩体壕が多数建設されました。滑走路近くには小型機用掩体壕も建設されており、これらのいくつかが現在も残っています。

 左写真は昭49年(1974)に撮影された宮崎空港。主滑走路が1800mに延長された後の写真です。一ッ葉有料道路はまだ姿を現していません。

 主滑走路と斜めにクロスする滑走路跡が見えます。これらは赤江飛行場時代からの滑走路。すでに斜めの滑走路は使用されていないようです。赤江飛行場時代は、東寄り(海岸寄り)にもう一本斜めの滑走路があったとのことです。

 左下にあるのが当時のターミナル。北側にあるのが航空大学校。そして滑走路跡近くにある丸で囲った所に小型機用掩体壕が3基認められます。この西側(日南線寄り)には小さな壕があるのですが、写真を縮小すると見えなくなりました。

 現在の宮崎空港の周囲は町が広がっています。かつては畑だったのでしょう。航空写真を見る限り、3基を除いて空港周辺には他に掩体壕は認められません。

 陸攻機を格納するための大型機用掩体壕は空港から見て西南西の方角に、少し離れた場所に建設されています。右写真も昭49年(1974)に撮影された航空撮影写真。

 滑走路西端付近から延びる白い筋がかつての誘導路です。現在は県道交差点から西側は道路となっています。大型機用掩体壕はこの道路沿いに点在しています。

 今は丘が削られて宅地になっていますが、かつての誘導路である道路沿いは丘陵地帯で掩体壕を建設するのにちょうどよい地形だったようです。あとで写真を掲載しますが、昭49年(1974)時点では9基の掩体壕の存在が確認されました。右写真でも矢印に示した場所に4基の掩体壕が確認できます。

 攻撃目標になりやすい大型機なので、基地滑走路から離れた場所に掩体壕を設けたのでしょう。それにしても滑走路から掩体壕まで結構距離があるので、移動は大変だったのではないでしょうか。

◆小型機用掩体壕

 上の写真のうち掩体壕群の部分を拡大した写真です。矢印で示す場所に3基の掩体壕が確認できます。掩体壕@の左側(西寄り)には小さいですが壕が2つ確認できます。

 現在、掩体壕@Aと壕の間を一ッ葉有料道路(南線)が斜めに突っ切っています。撮影された昭49年(1974)はその姿はありません。ちなみに南線が開通したのは昭56年(1981)の頃です。

 

掩体壕の番号は@管理人が勝手につけた番号です。

●掩体壕@

 

 

 掩体壕正面が凸字型となっている壕です。ほぼ完全な形で残っています。大きさの違う半円形の建築物がくっついたような形となっています。高知飛行場掩体壕と同じ形です。

 ご覧の通り、壕のてっぺんと端にカモフラージュの名残が見受けられます。他の多くの掩体壕で同様のカモフラージュをしたようですが、米軍の偵察写真では見ると丸分かり状態だったとか。

 

 

 正面から。 コンクリートの劣化が進んでおり、写真左側に亀裂が見られ、屋根部分の半円に沿うように進んでいます。他部分にも亀裂が見られ、一部剥離・脱落も見られます。

 内部にはテントやブルーシートの小屋があって生活感が感じられます。おそらく誰が住んでいるのでしょうけど、訪れたときは誰もいませんでした。

 

 

 後部から。後部に限って言えば状態は良好です。

正面左側(上の写真で右側)の正面部分。大きな亀裂が2条走っています。

やはりというか、内部に大きな石が見えています。

正面右側(上の写真で左側)の正面部分。上の部分は脱落しています。

田圃の境付近に基礎の部分が見えています。

内部の尾翼(収納?)部分。亀裂と漏水の後が見られます。ブルーシートの小屋が建っています。

尾翼部分の屋根。亀裂と補修の跡が見られます。誰か補修しているのでし

ょうか。

●掩体壕A

 

 

 掩体壕A。入口にはブルーシートが張られ内部が見えません。近づいたら中に人がいました。農家の休憩所と物置として使用されているのでしょう。なので内部の写真は撮影していません。

 こちらも亀裂が見られ、一部脱落しています。正面の地面に高さ15cmほどの段(?)があります。掩体壕@とは少し形状が違います。@は撤去されたのでしょうか?屋根部分には草木が生えておりカモフラージュしています。

 

 

 掩体壕@の天井から見た掩体壕A。こんな感じで草木に覆われています。後部のコンクリが見えなければ小山と見えます。

ちなみに掩体壕Aの向こう側には一ッ葉有料道路が通っています。掩体壕を避けるルートだったので撤去されずに済みました。

 

 

 真後ろから撮影。こんもりとした丘のように見えますが、掩体壕の形をしているのが分かります。

●掩体壕B

 

 

 離れた場所にある掩体壕B。田圃の畦道を歩いて行かねばならず近づけなかったので、この方向からしか撮影できませんでした。掩体壕Bは草木に囲まれた状態で、尾翼部分のコンクリが崩れて木が立っています。崩れた後に木が育ったのでしょう。上の写真では崩壊が見られないし、木々は見えないので、ここ20年ぐらいの間に崩れたのでしょう。

 後ろに宮崎空港の新ターミナルビルが見えます。ANAのJALの旅客機、それと航空大学校の練習機が見えます。

 

 

 掩体壕Bの直前にはフェンスが設置されています。宮崎空港の敷地となったんしょうかね?掩体壕Bの前にあるこんもりした丘も掩体壕に見えますが、小さな森です。航空撮影写真を見ると掩体壕Bの前に掩体壕はありません。

●壕

 

 

 掩体壕群の北側、一ッ葉有料道路を挟んだ反対側に2基あります。畑の中に隣り合うように残っている小さな壕です。なんの壕なのかは不明です。倉庫か搭乗員・地上員の待避壕かと思われます。この壕にも土が盛られていたのでしょう。

 畑の中にあるので近づけませんでした。多分、今は農家の物置になっているのでしょう。後ろに見えるのが一ッ葉有料道路。

 

 

 手前にある壕。側面に開口部が2つあります。入口は正面に一カ所だけです。

 

 

 奥にある壕。手前の壕とは形が違います。側面にある開口部は奥の壕の方が窓らしく見えます。奥の壕には基礎部分が見えています。

>>赤江飛行場掩体壕【2】

>>掩体壕TOP