日本国の端

 

 国土地理院によると、正式な『日本国の端』というのは、

最東端:南鳥島(東京都 小笠原村)東経153度59分12秒 北緯24度17分00秒】

最西端:与那国島(沖縄県 与那国町)東経122度55分59秒 北緯24度26分38秒】

最南端:沖の鳥島(東京都 小笠原村)【東経136度04分20秒 北緯20度25分13秒

最北端:択捉島(北海道 蘂取村(しべとろむら)【東経148度45分30秒 北緯45度33分19秒

・・・だそうです。しかし与那国島以外の島は、現時点では我々一般人が訪れることは不可能な島です。水没寸前の島や行くに行けない島がありますからね・・・ここで取り上げた『日本国の端』というのは、2000年末時点で一般人が自由に訪れることの出来る『日本国の端』ということになります。

 ちなみに日本国の中心地は、東経137度42分44秒・北緯37度30分52秒の富山県沖の日本海だそうです。

 2000年12月末の時点における『日本国の端』(もちろん一般人が訪問出来る端地)は、以下の通りです。

最東端:納沙布岬(北海道根室市)東経145度49分17秒 北緯43度22分57秒】

最西端:与那国島西崎(沖縄県与那国町)東経122度55分59秒 北緯24度26分38秒】

最南端:波照間島高那崎(沖縄県竹富町)【東経123度49分23秒 北緯24度02分29秒

最北端:宗谷岬(北海道稚内市)【東経141度56分27秒 北緯45度31分13秒

【経度・緯度は国土地理院の資料によります。GPSなどでご自身で計測された値とは若干異なります。】

日本の最端地制覇までの道のり:作り人の最端地制覇までの道のりについて。

最東端:北海道 納沙布岬 (北海道根室市)

 日本本土最東端の岬。日本国として最東端の岬ではないのですが、今だに北方領土が返還されないので一般人が訪問出来る日本最東端の岬です。

 納沙布岬は北方領土を目の前にしているため、島国『日本』にありながら『国境』というモノをひしひと感じることが出来る岬です。岬に立つと、目の前には北方領土の貝殻島や水晶島の島影が見えます。納沙布岬と貝殻島との間にある約3.7kmの珸瑤瑁(ごようまい)水道が、日本とロシアの境界線(国境線)にされているらしく、時々ロシア国境警備隊の警備艇の姿を見ることもあるとか・・・冷戦が終わりソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊したのにも関わらず、ここには厳しい領土問題が現実問題として横たわっています。

(1998年9月訪問)

 根室市街からr35を反時計回りに東に向かって走ると、歯舞、珸瑤瑁(ごようまい)といった北方領土を連想させる地名の付いた集落を抜けていきます。納沙布岬に近づくに連れて徐々に『最果ての地』に向かっている気になって来ます。

 納沙布岬に近づくと、白い大きなタワー『北方館』という展望台と、『望郷の家』という建物が見えてきます。共に北方領土問題についての歴史的経緯や現状に付いての資料、戦前の北方領土での生活関連資料などを展示・解説しています。

 岬に到着すると、『北方館』の大きさに圧倒されます。晴れた日には北方領土が一望できる建物だそうです。岬の先端には1872年(明5年)に点灯された北海道最古の灯台である『納沙布岬灯台』が建っています。ここまで往復して付近を散策するというのが定番コースのようです。

 岬自体は公園として整備され観光地化されており、観光客と観光客向けの土産物屋が多く最果ての岬という感じはあまり感じられません。それでも岬の先端から北方領土を見ると『国境』というモノを肌で感じ取ることが出来ます。なお、『本土最東端到達証明書』は土産物屋で購入できます。

 納沙布岬は日本で一番日の出が早い岬で、夏至の頃なら午前3時半頃には御来光が拝めるそうです。

 ちなみに納沙布岬の『納沙布』の名の由来はアイヌ語の『ノッ・シャム』からで、意味は『陸地が顎のように突き出た所。岬の先端』という意味らしいです。北海道稚内市にある『ノシャップ岬』も同じ由来です。

 ◇◆◇ 交通アクセス ◇◆◇ 

 根室市市街よりr35経由でバイク・車なら約30分で到着します。根室半島先端を一周するr35は、時計回り(北側経由)なら約24km、反時計回り(南側経由)なら約23kmで納沙布岬に到着します。絶えず海を左側に見ながら走るのであれば時計回りで走ることになります。

 バスで行く場合は、JR根室駅前より根室交通バスの納沙布岬行きのバスが出ています。こちらは歯舞経由ですので反時計回りで納沙布岬まで約40分(片道)で向かいます。1日9往復しかありませんので、時刻・運賃は確認して下さい。定期観光バス(7月下旬〜9月上旬)もあるそうです。

 ☆★ 豆知識 ☆★ 

 正式な『日本国最東端』は南鳥島なのですが、海上保安庁と自衛隊、気象庁の関係者者しか訪れることが出来ない島だとか。一般の民間人が訪れることはまず出来ない島なのです。以前、北海道の某宿で会った南鳥島に3ヶ月ほど派遣されていた海保庁勤務の方の話では、南鳥島には『日本最東端』の碑があるそうです。写真も見せていただきました。

 南鳥島は、1896年(明29年)に日本人が発見し、後に日本領となりました。太平洋戦争後はアメリカ軍統治下に置かれましたが、1968年(昭43年)に返還されています。小笠原諸島の父島から約1200km、日本本土(東京)からだと約2200kmも離れているという絶海の孤島なのです。それだけ離れているので、南鳥島はハワイ諸島と同じ『太平洋プレート』に乗っています。(日本本土は『ユーラシアプレート』に乗っています。)

 ☆★ 豆知識 その2 ☆★ 

  『中ノ鳥島』(別名:ガンジス島)という幻の島が、伊豆諸島の鳥島(八丈島)から東に約1350km、南鳥島から北に650kmの地点(北緯30度、東経154度の付近)にあったという話もあります。

 1907年(明40年)に山田という日本人が発見し、翌08年(明41年)に日本領となり海図にも載りました。しかし以来誰1人として

『中ノ鳥島』を発見することが出来ず、実在しないということで1946年(昭21年)に海図から公式に削除(正確には1943年に削除)されました。

 実際に島があったのだが水没したのか、でっちあげなのか発見者が別の島と勘違いしたのかは今となっては分かりませんが、もしも実在すれば『中の鳥島』が(わずかの差で)最東端となっていたのでしょう。

最西端:与那国島 西崎 (沖縄県与那国町)

 西崎と書いて『いりざき(イリサティ)』と読みます。日本国最西端の地であり、一般の人々が訪れることが出来る唯一の『日本国最西端の地』ということになります。

 台湾まで111kmほどしか離れておらず、良く晴れた日などは台湾の島影が見えることもあるとか。それほど南西に位置しているのです。『国境』の島なのですが、『国境』というモノを全く感じさせない岬です。

(1999年10月訪問 )

与那国島の西にある久部良港を過ぎて道沿いに進みます。1.5車線道のやや急な上り坂を登ると駐車場に到着。ここには日本最西端の公衆便所があります。バイク・車だと駐車場に停めて行かなくてはなりません。

 駐車場から歩道(これも急勾配)を登ると『最西端之地』の石碑があり、少し先には西崎灯台と小さな展望台があります。付近には土産物屋などの類は一切無く静かで、また訪れる観光客もほとんどいないので最果ての地の雰囲気を十分に味わえる事が出来ます。(左写真は西崎灯台)

 展望台周辺は小さな広場になっているのですが、キャンプは厳禁です。なお、『日本最西端訪問の証』は与那国空港で購入出来ます。 

 ◇◆◇ 交通アクセス ◇◆◇ 

 西崎に向かう定期バスはないため、バイク・車がなければ岬には徒歩か自転車で行くことになります。

 与那国島久部良港からだと、自転車であれば長い上り坂を登らなくてはならないため、体力にもよりますが約20〜30分で到着します。私はレンタサイクルで島の東から自転車で走って来たのですが、直前の登り坂でほとんど体力を使い果たし、展望台でしばらく休憩していました。徒歩では時間がかりそうです。徒歩・自転車で行くならば、ジュースなどを町で必ず購入してから訪れて下さい。夏場は脱水症状を起こしかねません。また夏場に向かう場合は帽子は必需品です。日射病になりかねません。

 バイク・車だと久部良港からだと5分ほどで到着します。道は1.5車線幅で舗装されていますが、見通しが悪いために自転車や対向車に注意して下さい。

最南端:波照間島 高那崎 (沖縄県竹富町)

 石垣島よりも南にある波照間島が日本最南端の有人島となります。

 日本地図を見ると、沖縄本島から360kmほど東に離れたところにある沖大東島(ラサ島)の方が南にあるように思えますが、沖大東島(ラサ島)の位置は東経131度11分23秒、北緯24度27分57秒で波照間島よりも北にあります。また沖大東島(ラサ島)は、現在無人島で米軍射撃場と化していますので、有人島の北大東島・南大東島と比較してみても波照間島

の方が南にあり、波照間島より南に有人島はないことから一般人の訪問出来る日本最南端の地になります。

 波照間島の『波照間』という地名の由来は、『果てのウルマ(珊瑚礁)』というところから来ているそうです。

 (2000年10月訪問)

 波照間島の中心といえる波照間公民館前を自転車で出発。舗装道を走って集落を抜け、ダートの道を走ってサトウキビ畑を抜けるとやがて2車線道路に出ます。(裏道経由です。)『高那崎→』と表示された標識通りに走って行くと、アップダウンが連続する1.5車線舗装道路に入ります。

 その道をしばらく走ると、やがて道はダートとなり海岸線に出ます。屋根とベンチがあるだけの東屋があり、その西側にポツンと『日本最南端の碑』が建っていました。

周辺は珊瑚礁が陸地に上がり石灰化した岩がゴロゴロしている殺風景な所です。もちろん土産物屋などの類は一切無く、自販機もありません。遠くに『星空観測タワー』があるだけです。観光客の姿もほとんどなく、日本最端の地に来たという気分に浸ることが出来ます。

 碑の前には、日本全国から石を集めて作られた『波照間之碑』というモノがあります。2匹の蛇が絡まっているというデザインで、もう二度と日本から沖縄が離れないようにという願いを込めて作られています。

 ◇◆◇ 交通アクセス ◇◆◇ 

 波照間島にはタクシーや定期バスなどはないため、バイク・車がなければ岬には徒歩か自転車で行くことになります。

 波照間島の中心地に位置する波照間公民館前からであれば、案内通りに進めば自転車なら約20分で到着します。全面舗装されたサトウキビ畑の中を突っ切る道を走りますが、岬手前300mほどは一部見通しの悪い区間がありますので対向してくる自転車・バイク(希に車)に注意して下さい。

 波照間島は集落から離れると街灯というモノは一本たりとも立っておらず、周囲は真っ暗となりますので日没後に最南端の地を訪問してはいけません。

 ☆★ 豆知識 ☆★ 

 正式な『日本国最南端』は沖の鳥島なのですが、水没寸前で一般人が訪れることなど出来ないので波照間島が『訪問出来る』日本最南端ということになります。

 沖の鳥島が日本領になったのは1931年(昭6年)。太平洋戦争中には沖の鳥島には海軍の監視所があったとか。それだけ土地があったのですが、戦後になって徐々に水位があがり島自体が水没しかけました。そこで200カイリ維持の目的で1988年頃(?)、水没寸前のところで約50mのコンクリートを継ぎ足してかろうじて『島』として存続しているとか・・・。これからも水没しかけるたびにコンクリートを継ぎ足されるのでしょうか?当然ながら一般人が訪れることは出来ません。碑などないのだろうけど、継ぎ足したコンクリートの壁面に『日本国最南端の地』と彫ってくれていないかと密かに期待しているのですが・・・

 ちなみにこの工事は災害復旧工事ということで建設省が約400日の歳月と延べ8万人を動員して約285億円をかけて行ったそうです。東西約5km、南北約2kmの環礁(岩礁?)の上を約1万個のテトラポットで囲んでコンクリートを固めているそうです。

 聞いた話では、沖の鳥島を半年間毎日観察するだけの仕事(公務)もあるらしいです。お疲れさまです。

最北端:北海道 宗谷岬 (北海道稚内市) 

 択捉島に自由に行き来出来ない現時点では、日本最北端の地となります。晴れた日には樺太(サハリン)の島影が見えます。宗谷岬から宗谷海峡を挟んだ約43km先に樺太(サハリン)があるのですが、『国境』というモノを少しは感じることが出来る岬です。

 碑は、北極星の一綾をモチーフし、中央には北を示す『N』、台座の円形は『平和と強調』を表しているそうです。

(1995年9月/2000年9月訪問)

 稚内市内からR238をひたすら走ります。左側に宗谷湾を見ながら北に向かうのですが、北に向かうにつれて最端地に向かっている気持ちがだんだん強くなります。岬はR238が北東から南東に向きを変える地点で、道の左側(網走方面行き車線側)に駐車場完備の公園として整備されています。

 岬周辺には土産物屋が密集していて、観光バスがひっきりなしに訪れるので観光客が多く、最果ての地の雰囲気など全く感じることができません。95年に訪れた時は、スピーカーから何かの曲(演歌だと思う)が絶えず大音量で流して雰囲気をぶち壊してくれていたので、最北の地に来たという感じを味わえませんでした。 

  しかし2000年9月に訪れた時には、演歌は流されておらず静かでした。相変わらず観光客は多いのですが、それを気にしなければ少しは最果ての地の雰囲気を楽しめます。

 ここにある間宮林蔵の銅像は『日本最北端の銅像』と言うことになるのでしょう。岬に近くには『日本最北端の給油所』があり、給油すると給油証明書を発行してくれました。『日本最北端の地到達証明書』は土産物屋で購入出来ます。

 ◇◆◇ 交通アクセス ◇◆◇ 

 稚内駅から宗谷岬までの距離は約34kmあり、R238をひたすら走ると到着します。バイク・車であれば30分ほどで到着します。

 バスで行く場合は、稚内駅前から宗谷バスの大岬線のバスで約1時間で到着します。ただし、大岬線のバスは1日4〜5往復ぐらいしか運転されていないので時刻・運賃の確認は必ずして下さい。同じ宗谷バスでも曲淵行きや浜頓別行き、音威子府行きのバスは宗谷岬を経由しません。乗車の際には必ず確認して下さい。

 5月下旬〜10月下旬までは、宗谷岬にも立ち寄る観光バスが運転されています。

 宗谷岬のバス停ですが、訪れる機会があれば一度寄ってみて下さい。今まで宗谷岬を訪れた旅人達の思いがぎっしり書かれています。

 ☆★ 豆知識 ☆★ 

 御存知の通り、択捉島を初めとする国後島、色丹島、歯舞諸島の北方領土は、ロシア(昔のソ連)に占拠されたままになっています。北方領土領有までの経緯やソ連による北方領土占領に至る米ソの駆け引きの過程などはここでは触れませんが、択捉島に『日本国最北端の地』の碑が出来るのは一体いつのことなのでしょうか?

 ちなみに北海道としての最北端(必然的に日本国最北端)は択捉島のカモイワッカ岬、最東端は択捉島のラッキベツ岬だそうです。

日本の最端地制覇までの道のり

日本最端地を制覇した『作り人』の感想みたいなものです。文章だけです。

 『作り人』が日本の最端地に初めて立ったのは1995年(平7年)9月25日の宗谷岬。大学生活最後の年で、初めての北海道バイクツーリングの時でした。その時は、まさか日本のあちこちをバイクで彷徨くことになることはおろか、日本の最端地4ヶ所全てを訪れることになるなど夢にも思っていませんでした。

 1998年(平10年)9月10日の3回目の北海道ツーリングで納沙布岬を制覇。98年10月末に西表島にダイビングに行った時、ダイビングショップのボートが波照間島の北側の潜水ポイントまで遠征。船酔いで潜れず1人船上に残っていた私は、最南端の地がある島を目の前に『下ろしてくれぇ〜。最南端の地に行かせてくれぇ〜』と思いっきり悔しい思いをしました。ま、船酔いから逃げたいという気持ちもあったのでしょう。

 この西表島ダイビングに行くという話が来た時、どうにかして波照間島に上陸しようと企んでいました。しかしダイビングツアーに参加していたので、勝手な個人行動がとれなかったのです。最端地制覇を決意したのは波照間島から西表島にボートが帰る時でした。『あと2つだけやんけ。しかも波照間島は目の前にあったのに・・・こうなったら4ヶ所全てに立ってやる』と思い、『20世紀中に訪問可能な日本の端点全てに立つ』という目標を立てました。全てと言ってもあと2ヶ所(沖縄県与那国島と波照間島)でしたけど。

 1999年(平11年)10月末、与那国島の海底遺跡を見に行くことになりました。もちろんダイビングです。与那国島に行く機会はそう滅多にありません。この機会を逃せばいつ行けるが分かりません。潜った深度にもよるのですが、ダイビングを終えた後は身体から窒素が抜けるまで何時間か飛行機に乗れません。与那国島ツアーの時は半日ボケ〜とする機会があったので、この時を利用して最西端の地に向かうつもりでいました。

 ところで私はあちこちの土地を訪れその土地の物を食べているのですが、何故か沖縄の食用油にはめちゃ弱く気分が悪くなるのです。与那国島滞在2日目の晩に油で炒めた物を食べた翌朝気分が悪くなり、とてもダイビングする気にはなれず宿で寝ることにしました。しかし1人で最西端の地に行きたかったので、気分がマシになったのを見計らって自転車を借りて出かけ、99年10月29日、与那国島西崎を制覇しました。

 残るは波照間島のみ。与那国島から帰った後に早速計画を立て始めました。最初は2000年(平12年)2月に向かおうかと思ったのですが冬は天気が悪そうなのでパス。次は5月GW明けを狙いましたが、早割チケットが確保できず延期。7〜8月は夏本番で行く気になれず、9月は北海道ツーリングの予定を組んでいたので、結局2000年10月末になってしまいました。

 2000年(平12年)9月14日、北海道宗谷岬に5年ぶりに訪れて最南端の地に向かう決意を新たにし、翌10月末に波照間島に移動。(詳しくは『波照間日記』を参照。) 

 そして2000年10月26日、波照間島高那崎を制覇しました。最南端の碑を触って念願の4端制覇を成し遂げたときの感動というか達成感は言葉で言い表せません。うれしいやら悲しいやら複雑な感情でした。

 『日本の端点制覇』という行動は凄く贅沢な事だと思っています。小さいですが一応『夢』を実現させたのですから。日本を飛び出し海外に出て放浪するとか、バイクで5大陸を横断しようとかいうことが出来なかった私が、他人に誇れる唯一の事柄だと思っています。(自慢するつもりはありませんけど。)

 最後にこの場を借りて、身勝手な行動を許して下さった方々(特に私の両親)に感謝いたします。ありがとう。

m(_ _)m

2000年12月吉日 『作り人』ことHN『あめふらし』

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