◇第5回ツーリングオフ会 2003年(平成15年)5月18日(日)

 今回の参加者の方々。お約束の記念撮影。

 道の駅『うずしお』にて撮影。

○第5回ツーリングオフ会 

 第5回ツーリングオフ会の開催日は、もともとは4月20日(日)であった。しかし18日頃より天候が悪化してしまい、開催日の20日は雨が確実となったので延期となり、5月18日(日)開催となった。

 ところが5月第3週の週後半も天気がぐずつきそうな気配・・・ 週間天気予報では18日は曇り時々雨となっていた。2003年初のツーリングオフ会は延期し続けねばならないのだろうか?

 幸い、雨をもたらすであろう前線は南の海上に下がってくれたので、18日は快晴とはいかないまでもまずまずのお天気。晴れ時々曇りである。今年の5月の天候はハラハラさせてくれる。

 開催決定である。行き先は淡路島。「国生み伝説」が残る島である。

○淡路島へGO!

 集合場所としたのはJR山陽本線須磨駅前。集合時間は午前7時半。出来る限り早く動き出して渋滞を回避したいがためだった。となると朝早くに自宅を出発しなくてはならない。午前5時半に起床。準備を済ませて自宅を出たのは午前6時45分頃であった。阪神高速湾岸線から六甲ハーバーウェイへ。神戸三宮に到着した時点で7時25分頃である。それから阪神高速神戸線に乗り若宮出口で下りてR2経由で西へ向かう。JR須磨駅前に到着したのは午前7時40分頃。見事10分の遅刻であった。

 集合場所には、参加者の1人であるRed Guardian’s Factory管理人の「赤の守護神」さんが愛機GSX1300ハヤブサで到着されていた。挨拶を済ませてしばらく雑談。8時過ぎにバイクTekuTeku紀行管理人の「たぬたぬ」さんが到着。たぬさんとは昨年8月の酷道走行オフ会以来だ。今回の参加はこの2人のみである。

 8時半過ぎにJR須磨駅前を出発。R2を西に向かいR28に入り明石港へ到着。9時発の淡路島・岩屋港行きの明石フェリーが出発する直前であった。フェリーチケットを購入し乗り場へ向かう。我々よりも少し先にバイク4台組のツーリンググループが到着していたが、フェリーには乗れず次の便送りとなった。我々もそうなるかと思ったが、「バイクはあと3台だけ乗れるでぇ〜」とのことで、ギリギリ乗船することが出来た。

 午前9時、明石港出港。平日は閑古鳥状態なのだが、日曜日ということもあり乗客はそこそこ乗っている。明石フェリーの経営は厳しいそうだが、客室内に子供の遊ぶスペースを設けるなど、きめ細かいサービスでがんばっているようだ。

 明石海峡は大橋を渡ると2050円(バイク料金:垂水〜淡路間)なのだが、フェリーだと1150円(大型バイクの料金)となる。900円の差で時間をとるかどうかとなる。大橋を渡るだけなら3分ぐらいあれば十分だが、フェリーで20分ほどかけてのんびりと海峡を渡るのも旅情があって良いと思う。ぜひがんばって存続してもらいたいものだ。

 明石海峡大橋が近づいてくる。フェリーは大橋の下をくぐって進んで行く。少し霞が出ていたので、明石海峡大橋がはっきりと見えなかったのが残念だ。ほどなくして岩屋の町並みが見えてきた。9時20分頃に淡路島岩屋港に到着。下船する。淡路島北端部に上陸した。

○野島断層保存館

 淡路島に上陸。下船した車・トラックが居なくなるまで少し待つ。すぐ近くにあるGSで給油しようとしたが日曜日なのか無人で誰もいない。休みならせめてポールでも立てておいてくれぇ〜。給油出来ないまま岩屋港を出発する。

 R28には入らずに淡路島の西側を南下することにしていたので、r31(県道福良江井岩屋線)を走る。淡路島最北端部を回り淡路島西海岸に出る。以後は海岸線に沿ってひたすら南下を続ける。あいにくと観光バスが2台も前を走っていたので思うようにペースが上がらない。抜くに抜け

ないので、仕方なく後ろについて海を見ながら走って行く。

 やがて『野島断層保存館』の表示が見えてきた。指示通りに脇道に入り、午前9時45分頃に野島断層保存館に到着する。すると先ほどの観光バスもやって来た。観光バスは少し南にある広い道から入るようになっているようだ。やはり目的地は同じだったか。バスはどこかの町の子供会がチャーターしたようで、うじゃうじゃと子供と保護者が降りてきた。こういう場合、保存館の中は歓声上げて走り回る子供で一杯となりゆっくりと見学出来ないのが定石。子供達が出てくるまで待つことにして、屋台の『タコロッケ』(タコが入ったコロッケ)と『びわソフトクリーム』を食べて時間を潰す。その間にも、いろんな団体さんや観光客がやって来る。案の定、保存館の中は走り回る子供の姿が目立った。その子供の団体が出て来たので、10時半頃に入館する。

 玄関には高架道路の倒壊現場を再現したモニュメントがあった。その先に受付がある。受付の人の計らいで備品保管用の棚に荷物を置かせてもらい入場する。まずは阪神淡路大震災の概要についての写真や説明パネルがある。それを順番に見ながら進んで行くと断層保存ゾーンに入る。断層保存ゾーンには地震によって地面に現れた断層のうち、長さ約140mが保存されている。

 端に立って縦(北→南方向)で見ると見事にずれた断層が見て取れる。片側(山側)の部分がせり上がり段差が出来ているのだ。横から(海側→山側方向)見ると断層が南北方向にずれているのが分かる。つまり断層は、山側の部分が海側の部分にのし上がるように隆起し、さらに海側から見て右横方向(南方向)に向かってずれているのだ。それを証明するものとして、舗装道路とその側溝、生け垣なども保存されていた。出口付近には断層を掘り下げて断面を展示してあった。のし上がった断層と液状化した地中の状態などをつぶさに見ることが出来た。改めて自然の力のすごさを見せつけられた。

 保存館の南には「メモリアルハウス」と呼ばれる活断層上に建っている民家がそのままの姿で保存されている。塀や花壇の煉瓦が最大120cmもずれているのが分かる。室内も台所の震災時の姿を再現していた。時計を『5:46』で止めてあるなど細かい所まで再現している。

 保存館に戻るとビデオシアターで編集した震災時のVTRを見ることが出来る。約10分ほどの短いVTRだが、実際にあの地震を体験した者にとっては、地震の事を思い出すのには十分な時間であろう。

1.玄関脇には高架道路の倒壊現場が再現さ

  れている。

2.断層保存ゾーン。山側が見事にのし上がっ

  ている。手前は道路で側溝がずれている。

3.畑のあぜ道も見事にずれている。赤白の矢

  印がずれの方向を示している。

4.深さ2.5mほどまで掘り下げて断面を見る

  ことが出来る。右のガラス床下には液状化

  した地層を見ることが出来る。

5.メモリアルホールの台所。震災直後の状

  態を再現している。メモリアルホールは99

  年4月に民家を買い上げてオープンした。

6.民家の花壇。ご覧の通り、南北方向に向か

  って約120cmもずれている。壁もかなりず

  れていることが分かる。

○阪神淡路大震災(1995-01-17)

◆阪神淡路大震災

 今更説明する必要のないことですが、概略だけ説明しておきます。 

 阪神淡路大震災は、1995年(平7年)1月17日

(火)午前5時46分に発生した直下型地震です。

公称は『平成7年兵庫県南部地震』といいます。

 震源地は淡路島北西部(北緯34度36分、東経

135度02分)の地下約16km地点。マグネチュー

ド7.2という大地震でした。

 淡路島〜神戸にかけて震度6以上の揺れを記

録。死者・行方不明者合わせて6435人、負傷者

43792人、家屋の全半壊合わせて512882棟、

道路の被害10069箇所、停電260万戸などの大

被害をもたらしました。

(2000年(平12年)12月27日発表の消防庁災

害対策本部のデータによる)

◆野島断層

 六甲断層系の活断層で、江崎灯台から南西へ約

7km伸びています。阪神淡路大震災では、野島断

層全域を含めて全長約10kmの活断層が活動し

ました。この野島断層の活動が、大震災を引き起

こしました。

 最大変位が認められたのは、北淡町野島平林地

区で、最大変位量は2.1m(右1.5m、東1.3m

)。また南東に向かって傾斜75°の断層が現れま

した。

 野島断層保存館は、この野島地区に現れた断層

のうち、約140mを保存しています。なお野島断層

は1998年(平10年)7月31日に国の天然記念

物に指定されています。

◆野島断層保存館

 北淡町震災記念公園内にあるのが野島断層保

存館です。野島断層をありのまま保存し、大震災を

後世に伝えることを目的として1998年(平10年)

4月にオープンしました。

 淡路島を訪れる時は是非訪れて下さい。

>>野島断層保存館(пF0799-82-3020)

 開館時間 9:00〜17:00

 入館料 大人500円/毎週水曜日休館

○伊弉諾(いざなぎ)神宮

 野島断層保存館を後にして次の目的地である伊弉諾(いざなぎ)神宮へ向かう。r31に戻り海岸沿いに南下。途中のGSで給油すると、店の人に「ねずみ取り」の場所を教えてもらう。一宮町でr88(県道津名一宮線)に入り少し進むと伊弉諾神宮が見えてきた。12時頃に伊弉諾神宮に到着。ダート駐車場にバイクを停めて境内を歩いて行く。

 鳥居がないと思っていたら、正面からではなく南側から入ってしまったようだ。神門をくぐり本殿にお参りする。神門から外を眺めると参道の先に白い立派な鳥居が立っている。敷石も白系で統一されており、全体的に白くまぶしい感じのする神宮である。

 伊弉諾神宮は、古事記の『国生み神話』で登場するイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る神宮。そのような神宮なので参拝する人も多く観光地化されているかと思っていたが、実際に行ってみると参拝客はほとんど見かけない静かな神宮であった。生まれたばかりの赤ん坊を連れてお参りする家族連れ数組と、近所の人が散歩がてらにぶらぶらと歩いているぐらいだ。この境内だけ時間がゆっくりと流れているような感じがする。

 池の畔にある茶屋に入り土産を買い、「ワラビ餅」を注文する。「ワラビ餅」を食べながら雑談。ここで30分近くダラダラと過ごす。

 本殿では神事が行われているようで、和楽器の演奏が聞こえてくる。池には亀と鯉、それにアヒルがのんびりと泳いでいる。暑くもなく寒くもない五月の天気。このまま15時頃までここで休憩してもいいかなと思えるぐらい、静かでのんびりした所だ。

 あくせくと移動せずに、こういう所でぼけ〜と時間を潰すだけのツーリングもいいかも知れない・・・

○国生み神話

◆古事記の『国生み神話』

 「古事記」によると、かつて地球には島や大陸は

存在せず、ただクラゲのおうなフワフワしたした物

が漂っているだけだったそうです。

 あるとき高天原にいた神様達が、伊邪那岐命(イ

ザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の

二人の神様に『天の沼矛(アメノヌホコ)』をお授け

になり、「この漂っている国土をあるべき姿に整え

なさい」とお命じになられました。

 二人の神様は『天の浮橋(アメノウキハシ)』にお

立ちになって、天の沼矛で国土をかき回しました。

沼矛を引き揚げると、先から滴り落ちた潮(塩?)

が積もって『淤能碁呂島(おのごろしま)』という島

が出来ました。

 伊邪那岐命と伊邪那美命が淤能碁呂島に降り立

つと、そこには『天の御柱』と『八尋殿』が建ってお

り、ここで二人の神様は交わり国生みを行いまし

た。

 最初に生んだのが『淡道之穂之狭別島(あわじ

のほのさわけのしま)』すなわち@淡路島、続いて

『伊予之二名島(いよのふたなのしま)』すなわちA

四国、『隠伎之三子島(おきのみつごのしま)』すな

わちB隠岐島、『筑紫島(つくしのしま』すなわちC

九州、『伊岐島(いきのしま)』すなわちD壱岐島

『津島(つしま)』すなわちE対馬、『佐渡島(さどの

しま』すなわちF佐渡島、最後に『大倭豊秋津島

(おおやまととよあきづしま)』すなわちG本州でし

た。(数字は生まれた順番)

 この他にも岡山県児島半島、小豆島などの半島

や小さな島々も生まれ、ここに『大八島国』すなわ

ち『日本』が誕生しました。

<<注意>>

 「古事記」では伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊

邪那美命(イザナミノミコト)と書かれてありますの

で、ここではそのように記してあります。

 「日本書紀」では、伊弉諾尊・伊弉冉尊という書き

方となっています。

◆淤能碁呂島(おのごろしま)

 おのごろ島がどこにあったかという話は、いろいろ

な話があります。

 三原町おのころ島(地名で島ではありません)、

南淡町の沼島、淡路町の絵島の三箇所が有力視

されています。また淡路島全体が「おのころ島」とも

言われているそうです。

 おのころ島には「おのころ島神社」という神社があ

ります。赤い大きな鳥居があることで有名です。こ

の神社のある一体は小高い丘になっていますが、

地質調査の結果、縄文時代は付近一帯は入り江

でおのころ島が「島」であったと考えられているそう

です。

 ちなみに「おのころ島」という名の由来は、伊弉諾

尊と伊弉冉尊が『天の沼矛』でかき回した時に「こ

おろ こおろ」と音がしたことからだそうです。

 

◆伊弉諾神宮

 兵庫県津名町一宮町多賀にある神宮です。

 神の仕事を終えられた伊弉諾尊が、この世から隠

れて住む(隠居?)ために作られた幽宮(かくりのみ

や)で余生を過ごされました。

 そのご住居跡に御陵(みささぎ)が営まれ、建てら

れた神社が伊弉諾神宮で、日本最古の神社だそう

です。

 祀られているか神様は、イザナギノミコトトとイザナ

ミノミコトの両神様です。

 地名から多賀明神とか津名神とか言われていま

す。

>>場所:兵庫県津名郡一宮町多賀

>>アクセス:神戸淡路鳴門自動車道津名一宮ICよ

  りr88を西へ約5km。

○鳴門岬

 伊弉諾神宮を出発してr88を一端東に向かう。たぬさんは造り酒屋を見つけたとかでそちらに行かれたが、残念ながら廃業していたとか。

 r68(県道津名五色三原線)に入り淡路島の中央部を南に向かう。r68はR28やr31とは違い、交通量が少なくマイペースで走ることが出来る道だ。裏道的存在なのだが途中でかなり道幅が狭くなるので、あまりお勧めすることは出来ない。三原町内では1車線の道となってしまい、一瞬県道を走っているかどうか不安になったが、R28との交差点近くに県道標識があったので県道であることは間違いなかった。

 R28に入り福良へ。福良からr25(県道南淡西淡線)に入る。町を過ぎると急勾配・急カーブが連続するワインディングとなり、海岸線を一気に上がって行く。尾根辺りに達した所で県道(路線名?)に入り尾根づたいに一気に進む。神戸淡路鳴門自動車道を越えると道の駅『うずしお』に到着した。14時頃だった。

 駐車場には他のバイクツーリンググループのバイクが何台も停まっていた。駐車場にバイクを停める。ここからは徒歩となる。階段を上り建物に入る前に、日本の有名観光地には必ずあると言っては過言ではない、顔が切り取られた記念撮影用看板で記念撮影を済ます。お約束だ。この看板は立派な日本独自の文化ではなかろうかと思う。

 道の駅の建物は土産物コーナーや食堂がある。食堂に入り遅めの昼飯を食べる。『大タコ丼』という大きなタコの足の天麩羅がのった天丼定食を頼んでみた。しばらくすると大きなタコの天麩羅がのった天丼がやって来た。これにうどんとタコの酢物、びわゼリーが付いていた。かなりのボ

リュームがある定食で、全て食べるとお腹一杯になった。『大タコカレー』という、肉の代わりに大きなタコの入ったカレーもあったので、今度訪れる時はそちらを頼んでみよう。カレーもかなりボリュームがあったように思う。

 食堂は海沿いに面しており、すぐ横は展望台。展望台からの大鳴門橋の眺めは素晴らしい。食堂からの眺めも良いので鳴門大橋と海峡を見ながらのんびりと食事するのも良いだろう。

 食後の運動ということで、食堂を出た後鳴門海峡大橋へ歩いてみる。道の駅からは大鳴門橋の真下まで歩いてゆける。大鳴門橋は規模こそ他の大橋に比べると小さいが、それでも間近で見るととても巨大な橋に見える。よくもまぁ、こんな巨大な橋をつ

くったものだ。日本の橋梁技術は大した物だと感心してしまう。

 大鳴門橋は1976年(昭51年)7月2日に起工式が行われ工事が開始され、1985年(昭60年)6月8日に完成(供用開始)した。全長は1629m、主塔高が約144mの吊り橋。上下2階構造となっており、上部が6車線の自動車専用道用、下部が新幹線規格の鉄道用となっているが、現在は上部の自動車道は4車線が供用されているだけで、下部の鉄道用はそのままになっている。淡路島を縦断する(四国)新幹線用のために作られたらしいが、明石海峡大橋が自動車単独橋となってしまったので鉄道が通ることはなくなったそうだ。

 船舶が行き交う重要な鳴門海峡は、潮の流れから渦潮が発生することでも知られている。作業用通路を一部利用した展望台から眺めた時は、渦潮の発生時間でないのかはっきりとは見ることは出来なかった。それでも海面に白波が立っていたので、潮の流れがぶつかり合う難所であることが分かる。

  大鳴門橋の徳島県側には『渦の道』と呼ばれる展望台が設置されている。歩いて床にはめ込まれたガラス窓から「鳴門の渦潮」を見下ろすことが出来るのだ。鉄道を通す予定が当分なく遊んでいる鉄道橋部分のスペースを利用して設置されたのだ。大鳴門橋の供用に合わせてフェリ

ーが廃止されて淡路島・四国間は原付で移動することは出来ないので、どうせなら『しまなみ海道』のように「徒歩・自転車道」・「原付道」を設けて欲しいものだ。

 駐車場に戻る。ところが三十路半ばに入った管理人@あめふらしとたぬさんは持久力が低下しており、2人とも『ひ〜ひ〜』と息を切らしながら坂道を上り駐車場に戻った。持久力がかなり落ちてきているのは歩く時だけだけではなく、バイクに乗っている時でもひしひしと感じている・・・(T T)

○帰阪

 15時半過ぎに道の駅『うずしお』を出発する。どこか温泉にでも寄ろうかと思ったが、時間的に中途半端になるので、このまま津名港まで移動することにした。地道はペースがあまり上がらないので、淡路南ICから神戸淡路鳴門自動車道に入り津名一宮ICまで高速を利用することにした。高速区間はフリー走行としたのだ。高速に入ってしばらくの間は守護神さんの後ろ姿が見えていたのだが、気が付くと姿は消えていた。何k/hで走ったかはご想像にお任せします。

 津名一宮ICで合流。r66を走って津名港まで移動する。津名港には16時過ぎに到着した。フェリーの出発は17時40分なので、これまた中途半端な時間となってしまった。別のライダーが「次のフェリーは17時40分やで」と教えてくれた。彼は相方と共にFTを出てどこかに向かった。その後は姿を見ていないので、おそらく高速に乗って帰阪したのだろう。1時間半ほどあれば、高速を利用すれば大阪市内ぐらいまで帰ることが出来る。しかし、朝早くに起きたために眠たくて仕方がない。体力的にもしんどくなってしまっていたので、フェリーでのんびり帰ることにした。やはり歳を喰ってしまったか・・・

 ターミナルでダラダラするのもなんだったので、フェリー乗船の予約をした後市街へ戻り、土産屋と酒屋に寄る。たぬさんは地酒を見つけて上機嫌だった。

 17時前にFTに戻る。乗船券を購入し待機場にバイクを置いてFT内にある喫茶店で休憩。疲れから少し寝てしまった。17時10分頃にはフェリーが入港してきた。20分頃には乗船開始。バイクは一番最初に乗せてくれた。(その代わり下船は一番最後となる。) 客室に上がり座席の一角を占拠。荷物を置いて一息入れる。17時40分出港。出港後ほどなくして3人とも爆睡状態に陥った。

 気が付くと関空の近くにさしかかっていた。かなり長い間寝ていたようだ。ひっきりなしに離発着する飛行機を見ながらフェリーは関空島と陸地の間を進む。やがて関空連絡橋をくぐると泉佐野FTに到着する。19時20分頃である。

 10分ほどして下船。FT近くの路上で集合し、そこで解散となった。守護神さんは高速に乗って自宅に帰られるとか。たぬさんと私は地道で北上。岸和田でたぬさんとも別れて以後は単独走行となる。

 自宅には20時頃に無事到着。その後、掲示板で守護神さんとたぬさんが無事に帰宅されたことを確認。第5回ツーリングオフ会は無事に終了した。

◆淡路島

 今回のオフ会では、淡路島の北端にある岩屋港から南端の鳴門岬まで走りました。淡路島をほぼ縦断したことになります。(淡路島最南端は南淡町の潮崎となります。) 島ですが内陸部は山間の農村という感じの所もあり、昔ながらののんびりした島であることを再認識しています。大阪からのアクセスも整備されているので、日帰りのツーリング先としては丁度良い島でしょう。フェリーを利用すれば、多少なりとも『旅』をしている気になります。

 神戸淡路鳴門自動車道の全通により、淡路島は大きく変貌しつつあります。いろんな施設やテーマパークが作られ、京阪神からのレジャー観光客が訪れる「観光島」のようになっているような気がします。その一方、淡路島には『国生み神話』が残り、その舞台ともなっています。島嶼国「日本」で一番最初に生まれた島・『淡路島』。大阪から高速を使えば1時間ぐらいで到着する島は「観光島」であると同時に、神秘的な「神話の島」でもあるのです。

 さて今回は、時間の都合で温泉と「(探偵ナイトスクープの)初代パラダイス」には寄ることは出来ませんでしたが、またの機会においておきましょう。

【第5回ツーリングオフ会レポート終わり】

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