第1回チャリオフ会

 

〜大阪港渡船巡り〜

 

 

 
 

今回の参加者。新木津川大橋をバックに記念撮影。

 

 

 

●開催日:2005年(平17年)4月17日(日)

>>注意:『チャリ』とは『自転車』のことです。

大阪ではこう言っています。

◆大阪渡船

 大阪には川や運河が数多くあり、橋のない場所では古くは江戸時代から『渡し船』が活躍していました。戦後も大正区を中心にたくさんの『渡船』がありましたが、橋の整備などにより次々と姿を消し、今では大阪市大正区と港区に合計8系統が残るだけになっています。これらの渡船は下町や工場地帯にあり、生活や通勤・通学の重要な移動手段となっています。

 渡船について調べていると、これらの渡船とは別に、大阪市此花区と港区の境となる安治川には『安治川隧道』という歩行者・自転車限定の「人道トンネル」があることを知りました。距離は短いのですが、これも地元では当たり前のように利用されているそうで、是非とも行ってみたくなりました。

 ならばこのトンネルも含めて全ての渡船をクリアしようということでオフ会を企画。これらすべてが原付バイク(1種)以上のバイクでは乗船ならびに通行不可能ということなので、今回は『彷徨猫旅記録』主催オフ会としては初めての自転車限定オフ会となりました。

◆3度目の正直

 もともとこのオフ会は2005年1月30日(日)に開催予定でした。が、あめふらし@管理人の風邪のため中止。m(_ _)m 延期した3月13日(日)は悪天候により中止。m(_ _)mm(_ _)m まさしく『3度目の正直』となった今回の開催日となった4月17日(日)

は、朝から快晴という絶好のオフ会(自転車)日和。

 

快晴キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!

 

 さぁ、今日はどうなることやら。(゚∀゚)ワクワク

◆集合

 8:00に自宅を出発し、大阪市阿倍野区内の某所にて瀧音さんと合流。なんと瀧音さんは和泉市の自宅を朝7時過ぎに出発し、自転車で自走してきたとのこと。Σ(゚Д゚;)マジ!? 普段から街や山で乗っているとはいえお疲れ様です。m(_ _)m

 MTBで淡々と走り出します。新世界を抜けて難波へ。南海の汐見橋駅前を通り抜けて大正橋へ。大阪ドーム前を通過して「みなと通り」(R172)に出て、あとはひたすら西へ向かいます。9:15頃に集合場所となるコンビニ前に到着。阿倍野区の集合場所から約10kmの距離でした。

 天保山一帯は大阪有数の観光スポット。水族館などがあって休日となると家族ずれや観光客が続々とやってきます。地下鉄でやってきた人達がゾロゾロと歩いていく中、あめふらしはTシャツ一枚となって地べたにへたり込みます。1月以来、MTBに乗ってトレーニングをしてきたとは言え、ここまでアップダウンが多かったので疲れたのでした。 _| ̄|○

 しばらくしてから瀧音さんのチェックが入り、MTB@あめふらし号の整備を始めます。怪しい二人組が黙々とMTBをいじる様は、見ていて異様だったのかもしれまへん。

 やがてsatounoさんが到着。花粉症のためマスク装着にて登場です。続いてタヌタヌさんが到

着。出発時間としていた10:00前にko-chanさんが到着します。satounoさんは大阪北部の豊中市より、 タヌさんは大阪市の京橋から、ko-chanさんは難波からそれぞれMTBに乗って自走して来られました。ほんま、皆様元気ですねぇ〜。実は車に積んで集合場所近くまで来ようと思っていたことなんて口がさえても言えませんです。はい。

 本日の参加者>>瀧音さん、satounoさん、 タヌタヌさん、ko-chanさん

以上の4名の方々にあめふらし@管理人を加えて5名でのチャリオフ会となりました。

【写真】:集合場所にて。各自の自転車を前にMTB談義で盛り上がりながら、体力回復に努めています。

◆甚兵衛渡船

 さすがに平均年齢3●歳だけあって、集合後すぐに出発というわけにはまいりません。10:00出発としておきながら、皆の体力が復活するまでしばらく待ちます。

 10:15頃に出発。なみはや大橋方面に向かって移動します。運河を越える橋の前後ではアップダウンがあるので、上り坂でヒィヒィ言いながら上り、下り坂では惰性に任せて下って行きます。「体力ないから、止まらないでくれぇ〜」と言いながら下り坂で勢いをつけて下るタヌさんでした。皆、各自のペースでどんどん進んで行きます。あめふらし@管理人は、あちこちで止まって撮影しながら進んで行きます。いつものバイクとは違い、自転車だと各自話しながら移動することが出来ます。あれこれ大声で話しながら移動するのは今までにないこと。かなり新鮮な印象を受けます。ダラダラと世間話をしながら進んで行きます。 

 2005年3月末に休線(廃線?)となった浪速貨物駅と貨物線脇を通り、港区福崎1丁目の甚兵衛渡船乗り場に到着します。 『甚兵衛渡船』という看板はあっても乗り場は見あたりません。護岸堤防を越えた所に乗り場があるのです。尻無川上に浮桟橋があり、そこに小さな渡船が係留されていました。渡船と言えば広島県尾道市の尾道渡船が有名で、ついそのような船を想像しがちですが、大阪市の渡船は純然とした『渡し船』でした。

 すでに数名の方が待合所で待っています。しばらく待つと続々と自転車に乗った人達が集まってきました。地元の方々です。出発までには20名ぐらい集まったでしょうか。その中でデジカメで撮影している私らは浮いていました。はい。(^^;)  渡船は向かい側(大正区側)の乗り場に停泊しています。事務所は大正区側にあるためでしょう。向こう側の乗り場にもたくさんの人達が乗船を待っています。

 しばらくすると案内アナウンスが流れます。すると詰所から係員が下りてきて船に乗り込み、それに続いて乗客が乗り込みます。乗客が皆乗り込むと出発。 

 すぐにこちら側(港区側)に到着。ドヤドヤと乗客が下船して、入れ替わりに我々が乗船。あめふらし@管理人としては初めての渡船乗船です。MTBごと乗り込みます。少し大きめの漁船という感じの船で、先頭に操舵室があり後は平らな甲板(?)になっています。最大登場人員数は約50名 (だったなか?)ですが、自転車を持ち込む人が多いと適度な人数で乗船を止めるようです。

 最後の乗客が乗り込むと扉を閉めて乗船を締め切ります。 係員が係留ロープを外すと出航。出航と同時にエンジンを一杯に回し動き出し、同時に思いっきり面舵(右回り)をとります。遠心力がかかってぐぐっと外側に向かって体が持って行かれます。

「おお〜っ!これはすごい!!」

「こりゃええやん」

「面白い!」

ヽ(゚∀゚)ノヽ(゚∀゚)ノヽ(゚∀゚)ノ

 渡船のはずなのに、まるでテーマパークのアトラクションのような予想外の動きにハイテンションになる私たち。周囲から見れば思いっきり浮いていたでしょうね。(^^;) 

 1分ほどで対岸に到着。あっという間でした。対岸は大正区北恩加島。皆さん、船から下りる時には係員に「ありがとう」と一声かけて下りて行きます。私らも「ありがとう」と 御礼を言って下りました。護岸堤防を越えて陸地(?)に下ります。乗っていた方々は早々と姿を消し、残った私達はしばらくの間興奮状態で撮影しておりました。(^^;)

【写真上】:休日なのでガラガラの道路を快走。先頭はko-chanさん。瀧音さんが続きます。

【写真中】:大正区側の乗り場から渡船が出航。急なS字を描きながら接近してきます。

【写真下】:ドヤドヤと乗船します。他の渡船でもこんな感じで乗り込みました。前を行くはタヌさん。

◆落合上渡船と落合下渡船

 大正区は尻無川と木津川に挟まれた中州が一つの区となっています。ko-chanさん曰く「大正区って一つの島でしょ」 あ、なるほど確かにそうです。そう考えれば渡船も旅情が出てくる ものです。さて、渡船乗り場から町中の道を進みます。下町の住宅街の中を淡々と進んで行きます。大正通を越えて千島公園の東側で脇道に入ると落合上渡船乗り場に到着します。昔ながらの住

宅と工場が建ち並ぶ町の中に乗り場がありました。

 こちらも護岸堤防を越えると木津川があり、その川面に浮き桟橋がありました。次の便まで時間があるので、船は係留してあります。落合上渡船の船も甚兵衛渡船と同じ型でした。しばらくするとパラパラと自転車に乗った地元の方達が集まってきます。甚兵衛渡船ほどではありませんが、5名ぐらいでした。こちらは対岸の工場地帯を結ぶので休日は利用者は少ないようです。

 出発時間2分ほど前になると『もうすぐ出航です』(だったかな?)という自動アナウンスが流れ、 事務所から係員が出てきます。船に乗り込み扉を開きます。続いて我々を含む10名ほどの乗客が乗り込みま

す。乗り込んだことを確認して扉を閉めてロープを外して出航。大きなS字を描きながら木津川を横切り、 ほどなくして対岸の西成区北津守の乗り場に到着。これまたあっという間の渡りでした。御礼を言って下船。再び本州に戻りました。

 木津川に沿う道を南下。木津川沿岸は工場地帯となっていますが、休日だけあって操業しておらず静かです。5分ほど走ると落合下渡船乗り場に到着。上渡船乗り場よりも分かりやすい場所にあります。

 道路入口からは長いスロープとなっており、登りきると待合所になっています。そこから木津川

上流方向を見ると、すぐ東側に上渡船乗り場が見えます。上渡船と下渡船は近くにあるのです。我々より前に4名ほどの方が待っておりました。

 やがて対岸 (大正区側)から渡船が出発。落合下渡船も大きなS字を描いて到着。下船する方達と入れ替わりで乗船。すぐに扉は閉まり出航します。再びS字を描いて木津川を渡り大正区側に到着 します。甚兵衛渡船よりは横Gが少なかったような気が・・・。操船する人によって変わるのでしょう。

 下船してスロープを上り道路に出ます。再び大正区の土を踏んだ我々でした。

【写真上】:落合上渡船乗り場(大正区側)は木津川水門のすぐ近くにあります。

【写真中】:西成区の工場地帯を進みます。先頭を行くのはko-chanさん。

【写真下】:こんな感じで急ターンを描いて渡船はやってきます。落合下渡船にて。

◆千本松渡船

 落合下渡船乗り場から5分ほど走ると千本松大橋に到着。通称『眼鏡橋』と呼ばれる自動車専用橋です。自動車専用橋ゆえ歩行者・自転車向けに千本松渡船が残されています。 これを使って西成区南津守に渡ります。

 千本松大橋の大正区側(西詰)にあるループ部分の真ん中は少年野球場となっています。土地

が有効活用されている一例ですね。この野球場の脇にある通路を進むと、木津川の護岸堤防を越えて乗り場に着きます。この付近の木津川は川幅が広がっており、対岸に小さく渡船乗り場が見えます。待合所には地元の方以外に、何やら団体さんがおられました。どうやら渡船を回るグループのようです。こういうイベントがあるようですね。

 前便の折り返し便が到着した直後だったようで、係員が係留ロープで船を固定して事務所に戻ってくるところでした。次便まで15分ほど待つことになります。

時間は正午前。昼飯の話が出ますが、付近に食堂など見あたりません。この次の木津川渡船付近も何もなさそうなので、大正区鶴町まで待つことになりました。やることがないので渡船や付近の風景を撮影します。

 やがて自動アナウンスが流れて係員が下りてきます。こちら側(大正区側)が出発点となるので

すぐに乗船が始まります。団体さんと我々の他、10名ほどの方々が乗り込みます。それなりに混雑して出航です。

 このまま対岸に向かって進むのかと思っていたら、なんと木津川上流から産廃運搬船が川を下

ってきます。こんな時は運搬船の直前を通るような危険なコースはとりません。渡船は大きなS字を描きながら運搬船の右舷側から後を通り左舷側に出るようなコースをとります。渡船から見ると運搬船はとても大きな船に見えます。

「海賊船って、こんな感じで船に近づいて行くんだろうなぁ・・・」とはsatounoさん。

ヘ(^o^ヘ)\(_ _;)<チガウデショ・・・

 渡船は大橋を斜めにくぐって大橋の南側に出て対岸の西区の乗り場に到着。元から長い距離(約230m)の上に運搬船を大きく迂回したので、時間は5分ほどでした。

下船してから大正区側に戻る渡船を見ると、対岸を結ぶほぼ直線ルートを進んで行き2分ぐらいで到着しています。後にも先にも大型船を避けて進んだのはここのみ。面白い体験が出来た千本松渡船でした。

【写真上】:千本松大橋西詰(大正区側)入口で撮影する私たち。いつもは上のループ部分を走って遊んでいます。

【写真中】:次便まで15分ほど待つことに。

【写真下】:やがて乗船開始。乗客は多かったです。

★運搬船を迂回して進む渡船

>>こんな感じで迂回して進みます。渡船はゆっくりと進みながら迂回しました。

1.渡船コース上に運搬船が。避けるように上流

  に向かいます。

2.斜めに進むと同時に運搬船も進みます。運搬

  船の右舷側から後方に回り込みます。

3.後ろを回り船の左舷側に。向こうは大正区側

  の乗り場。

 

4.渡船の速度が速いので横に並びます。すぐ近

  くに運搬船が見えます。意外と大きい。

5.やがて渡船は大きく左に回り運搬船から離れ

  ました。

 

◆木津川渡船乗り場に急げ!

 ここまでの渡船は15〜20分おきの運航で、せいぜい待っても10分ほどでした。ところが次の木津川渡船は45分おき。到着時間によっては45分も待たなくてはなりません。大阪港渡船乗り継ぎでは一番のネックとなる渡船です。時刻を見ると12:05頃。次の木津川渡船の出航時刻は12:30のはず。急いで移動することにします。 

西成区〜住之江区にかけての工場地帯を移動。南港通りに出て南港方面に向かいます。ここまではほぼ平坦な道が続くので難なくクリアしました。「このまま行けば楽勝やん」と思っていたら敷津運河を越える柴谷橋に到着しました。ところがこの橋は車道しかありません。歩行者・自転車は歩道を走らないとなりません。

 側道に入り緩やかな坂を下ると、歩道に上がる階段が見えてきます。

めちゃくちゃ急勾配やん・・・ Σ(゚Д゚;)

 階段の中央部がスロープとなっていて自転車はここを通るようです。ですが階段と同じ勾配なの

で急勾配となっているのです。自転車を押して上ることにしますが、ko-chanさんと瀧音さんは勢いを付けて階段に突入。続くsatounoさんの3名が階段中央にある自転車用坂道を一気にクリアします。

 ならばとそれに続いたあめふらし@管理人ですが、ギアの選択を間違えて坂の途中で失速。後ろに続いてタヌさんは私に邪魔されて同じく失速。m(_ _)m 2人してMTBを押して階段を上りました。柴谷橋の階段は急勾配過ぎますわ。

【写真】:歩道階段の急坂にアタックする3人方。前方より瀧音さん、ko-chanさん、satounoさん。

『ジェットストリー●アタック』でつね。(;´∀`)

◆木津川渡船

 柴谷橋を渡ってすぐの道を北に向かうと木津川渡船乗り場に到着。何の看板も案内もない静かな渡船乗り場。到着時刻は12:20頃。余裕の到着です。時刻表を見ると、次の渡船は12:45発・・・・・・。思いっきり勘違いしておりました。m(_ _)m

時間がかなりあったので乗り場で十分な休憩をとります。これでかなり体力が回復しました。時間があったので木津川大橋をバックに記念撮影。その後乗り場付近で雑談して船を待ちます。木津川の水質は良くなってきているのか、付近を見てみると川鵜とか水鳥の姿が多いことに気が付きます。鳥好きの瀧音さんは鳥の撮影に夢中でした。

 さて木津川渡船は1972年(昭48年)頃まではカーフェリーが就航していたとか。千本松大橋の供用開始によって廃止されましたが、その後は渡船として存続しています。カーフェリーが就航していた頃はトラックも運んでいたそうなので、それなりの大きさの船が就航していたのでしょう。住

之江区側渡船乗り場にはその頃の岸壁が残されていました。

 やがて向かいの大正区側の乗り場から渡船が動き出します。木津川河口付近なので川幅も広く少し時間がかかります。やがて渡船が到着。3名ほどの乗客が下船したあと、我々5人と他3名ぐらいの方が乗り込みます。

これまでは係員が観音開きの扉を閉めてロックしていたのですが、木津川渡船はなんと自動扉。ガラッと閉まると船は出航します。新木津川大橋を見上げるように大きな楕円を描くように進んで行き、2分ちょっとで対岸の大正区側乗り場に到着。川幅が広い(約238m)ので、渡船らしい雰囲気がする渡船でした。

 ところで木津川渡船、乗り場もそうですが船自体の雰囲気も他の渡船とは少し違います。実は木津川渡船のみ大阪市港湾局管轄となっているのです。そういや係員の服装が違いますな。案内がほとんどないというのも、局が違うからでしょうかね。 三度大正区に戻ります。

【写真上】:木津川渡船の住之江区側乗り場。道の行き止まりにあります。一瞬、乗り場に見えませんでした。

【写真下】:到着した渡船。係員の制服の色が他とは違います。

◆船町渡船

 木津川渡船の大正区側は工場地帯。休日なのでトラックの姿は見えず、工場も操業していませんので空気も澄んでいます。

ガラガラの4車線道をMTBで快走し、木津川運河を渡る船町渡船乗り場に到着します。すると何やら船の動く音が。ko-chanさんが急いで護岸堤防を上ると渡船が出発したところだったそうで・・・。 対岸の乗り場では係員が事務所に引き揚げて行くのが見えます。次の便まで約15分待つことに・・・。待合室内で雑談しながら体力の回復に努めます。

 15分ほど経過したのでしょう。対岸にある詰所から係員が下りてきて船に乗り込みました。場所が工場地帯だけあってか乗客は『0』。木津川運河をぐるりと右回りでやって来ます。すぐに浮き桟橋に到着。降りる客はいないのですぐに乗船となります。こちら側(大正区船町)から乗り込む客は私ら5人だけ。貸し切り状態で出発します。出発すると、船町渡船は木津川運河をぐるりと右回りで渡り対岸の大正区鶴町の乗り場に到着しました。

 ちなみに船町には木津川飛行場という飛行場があったそうですが、1939年(昭14年)に伊丹飛行場の完成により閉鎖されたそうです。石碑があるそうですが見つけるのを忘れてました。

【写真】:船町渡船の船が円を描いてやって来ます。船は円を描いて右回りにグルグル回っています。

対岸まで75mほどしかないとかで、昔は船を連ねてその上に板を敷いて渡っていたそうです。

◆千歳渡船

 大正区鶴町に入ります。ここで昼飯を食べようということになり 、食堂を探しながら移動することになります。石油会社の敷地にある壁に掛けられた『火気厳禁』と書かれた看板横を通り抜けて鶴町の住宅街へ向かいます。しかし周囲にあるのは住宅や団地ばかり。その上、道を間違えて南福橋を渡って工場や倉庫しかない鶴町5丁目へ入ってしまったので食堂なるものは見あたりません。

 西福橋で鶴町3丁目に戻りますが、住宅や団地だけでやはり食堂は見あたりません。単に見つけていないだけなのでしょう。たとえあったとしても日曜なので休みの可能性が大です。これはだめだということになり、大正区泉尾の商店街にでも行くことになり千歳渡船乗り場に向かいます。

 とりあえす北東に向かって進みますが、団地の中に入って行きます。どこに乗り場があるか分からなくなりました。するとチャリに乗ったおばちゃんが千歳橋方向に向かって走って行きます。「この先に乗り場がある!」と直感で感じ、おばちゃんの進んだ方向に向かうと千歳渡船の乗り場がありました。(^^;)

 千歳渡船の乗り場は千歳橋西詰のすぐ真下にありました。乗り場にはなんと40人近い人達が

列を作って並んでいます。その多くは自転車に乗って買い物にでも出かけるような感じの方達ばかり。船町渡船が我々5人だけの貸し切りだったので少々驚きました。団地の若奥様らしき人達が数の多さに驚いていることから察して、普段の休日でもそう混まないのでしょう。そういや千本松渡船で見かけたグループの方々も待っていたので、観光目的(渡船巡り)で乗る人もいるようです。

 千歳渡船は対岸(大正区北恩加島)まで約371mあり、大正区内の渡船では一番距離が長い

渡船となっています。千歳大橋の橋脚の真下に対岸の乗り場があり渡船が止まっているのが見ます。やがて出発してこちらに向かってきました。やがて桟橋に到着。乗船が開始されて列は動き出します。最後尾付近にいた私たちは果たして乗船出来るどうか不安でしたが、どうにか乗船することが出来ました。しかし船は満員状態。通勤ラッシュのような状態です。朝はこんな感じなのでしょう。

 距離が長いので、他の渡船と比べても長く乗っていたように感じます。すぐ真上に千歳橋を見上げることができ、北西側にはなみはや大橋の姿も見ることができます。ゆらゆらと揺れて船は進

み、やがて対岸の乗り場に到着。大正区北恩加島の乗り場は千歳大橋東詰の真下にありました。

 船から下りて5分もしない間に、あれだけ乗っていた乗客は居なくなり乗り場は閑散としてしまいます。ほんとにあっという間に消えてしまいました。とりあえすこれで大正区の渡船は全て乗船しました。

【写真上】:食堂を探して鶴町を彷徨います。「飯屋、飯屋はいずこ?」

【写真中】:千歳渡船の鶴町側乗り場。暑い日だったので壁の陰となる方に人が並んでいます。

【写真下】:対岸から船が到着。桟橋に近づきつつあります。

◆前半戦終了

 空腹を感じながらもMTBを走らせて泉尾の町に向かいます。しかし食堂は見あたらず。 港区の「みなと通り」沿いに出るのが得策と判断し、港区に戻って食堂を探すことにしました。団地の中を通り抜けて甚兵衛渡船乗り場に向かいます。乗り場に到着するとちょうど船が到着したところだったので、そのまま乗り込み港区に戻りました。

 「みなと通り」に出て西区方向に向かって走り出します。店は何軒かあったのですが、いざ入ろうとすると何故か躊躇う私たち。数軒パスして目に付いた『うどん屋』さんに入り昼飯。各自いろいろと補給して後半戦に備えます。

【写真】:各自いろいろと補給して後半戦に向かいます。うどん屋の前で出発準備しています。

>>その2