|
|
中学生の頃までは鉄道ファン(かなりのめり込んだ)でしたので、 今でも鉄道関係のモノに出会うと気になってしまいます。 ここでは道中で見かけた鉄道関係のモノを集めてみました。 一部はかなり鉄ちゃんっぽい・・・興味なければ飛ばして下さい。 |
|
【更新情報】 |
|
☆★☆ 掲載リスト ☆★☆ |
|
☆愛国駅から幸福駅へ 【北海道帯広市】 |
『愛国駅から幸福駅』行きのキップを手に入れりゃ、あなたの元に幸福が舞い込んでくる・・・ということで、1970年代中頃(だったと思う)に一大ブームとなった駅が、1987年2月で廃止となった旧国鉄広尾線愛国駅と幸福駅。ブームの頃は何組ものカップルと夫婦で駅は大混雑だったとか・・・それも今は昔と思われるかも知れませんが、なんと今だに観光客で賑わっています。路線が廃線となった後も駅舎は残され、今や観光バスのツアーコースに組み入れられるほどの観光名所となっています。 愛国駅と幸福駅の間には大正駅もあり、他にも駅舎が保存されています。この2駅だけが残されていると思わないで下さい。この旧国鉄広尾線に限らず、北海道ではあちこちに廃止された路線の駅舎が保存されています。 (両駅とも1995年9月訪問) |
■愛国駅 帯広寄りの駅が愛国駅。駅舎とホームは保存されています。駅舎は鉄道記念館となって無料開放されており、国鉄広尾線として現役だった頃に使われていたいろんな道具や制服が陳列され、当時の様子を今に伝えています。ホームには9600型蒸気機関車(19671号機)が静態保存されています。 幸福駅ほど観光客が訪れないようで、愛国駅周辺は静かな雰囲気が漂っています。静かに現役時代の当時を思いおこしたい方は愛国駅に寄ることをお勧めます。 駅前には土産物屋もあり、ここでキップを買うことが出来ます。 |
||||||
|
■幸福駅 観光バスが1日何台か必ず寄るほどの観光名所となっているらしく、駅周辺は結構整備されています。ホームには帯広側と広尾側にそれぞれキハ22が置かれており、キハ22の前とかホームの駅標の前で記念撮影する人達も多く見られます。このキハ22、今にも走り出しそうな雰囲気がしています。 幸福駅の駅舎には、各地から来た人達の名刺や定期券や乗車券が隙間もないほどに貼られています。中には交通違反の赤キップまで貼っている人も・・・ 駅舎横には土産物屋もあり、キップはこの店で購入可能。 |
||||||
|
||||||
☆保存車両あれこれ 壱 【北海道空知郡上砂川町】 |
||
炭坑で栄えた上砂川町の市街の一角にオユ60とヨ8000(共に車号未確認)が保存されています。場所は旧函館本線上砂川支線の上砂川駅跡。 上砂川駅は函館本線の盲腸線といえる上砂川支線の終着駅。『本線』といえども上砂川支線は歴然とした赤字ローカル線で、他のローカル支線が次々廃止されて行く中でも『函館本線』の一部として見なされたためにJR北海道存続後も存続していたようです。 しかしついに終止符が打たれ、1994年(平6年)5月15日に上砂川支線は廃止。同時に駅も廃止されました。廃止後、駅舎は取り壊される予定でしたが、テレビドラマの舞台になったことから解体は免れました。保存にあたっては、駅舎がかつての位置より西側へ100mほど移築したため、駅本屋とホームの方角が現役時代とは違っています。 |
||
駅標の裏には『悲別駅』と標されていますが、これはドラマでの駅名。正式名称は『上砂川駅』です。 『上砂川駅』には1997年9月のツーリングの時に訪れています。その時からオユ60とヨ8000はありました。当時は化粧直しの最中で写真には脚立が見えます。内部は集会所になっていました。 オユ60の側面には換気扇のダクトが設置された程度で、ほぼ原型を留めています。 (1997年9月訪問) |
|
|
☆こんな所に・・・ 【山口県下関市】 |
||||
下関運転所の脇を走った時に、キハ40や24系25型客車、色あせたマニ50に混じって茶色い四角の物体が視界に入りました。『保管しているクモハ42?』と思い、何気なくそれを見るとそこにはデッキの付いた茶色い機関車のような車両が・・・正面には黄色と黒の警戒色も入っている。『まさか?』戻って来てよく見ると、それはなんとEF59ではなひか!!『おおお?』フェンスを越えて場内に入り込もうという衝動をどうにか抑えて、フェンス越しに撮影する。『一眼レフを持ってくりゃ良かったぁ〜』と悔やむ。 かつて瀬野八越えで大活躍した影の力持ちであるEF59も、EF67の誕生と貨物列車の削減により補機としての役目を終えました。確か1両だけ高崎の方で保管(最近タネ車のEF56(EF57?)に復元したと思う)された以外は全廃されたはず・・・しかし、その内の1両を下関運転所の片隅で保管していたのです。保管を指示した人エライ!状態は比較的良いと思うので、JR西日本さん、静態保存でいいから整備して屋根のある所で保管して下さい。(梅小路が一番いいかも・・・)広島運転所で眠っていた80系(一次車)を修復・保存したのだから出来ると思うのですけど。 永らく眠っていた鉄ちゃんの血が騒いでしまいました。99年の中国・山陰ツーリングの最大の収穫でした。 (1999年5月発見) |
||||
|
||||
☆廃線跡を走ろう!〜野上電鉄〜 【和歌山県海南市】 |
野上電鉄とは1994年(平6年)3月末で廃止となった、日方(和歌山県海南市)〜登山口(和歌山県海草郡野上町)の間を結んでいたローカル私鉄です。全区間廃止となってから6年以上経ちましたが、海南市街に近い区間はサイクリングロードや公園になったり、R370の道幅拡幅工事の用地に転用されたりしてほとんど消滅しました。しかし市街地から離れて郊外に出ると、まだ畑の中を走る線路跡が残っています。 R370を走っていて『もしや通れるのでは?』と思い、一部区間をKSRUで廃線跡を走ってみました。 (2000年1月走行) |
【旧沖野々駅周辺】 |
旧沖野々駅周辺は駅舎も路線跡も全て撤去され、R370の拡幅用地となってしまいました。現在の広い歩道(自転車道?)が旧野鉄跡地。R370とR424との交差点を過ぎた所にある貴志川を渡る鉄橋は今だ撤去されずに残っています。 |
【旧野上中駅周辺】 |
||||
R370で貴志川を渡ると斜めに延びるダート道があります。それが旧野鉄跡。 対向車に注意してダートに入ります。廃線後6年近く経つが、路面には今だにバラストが転がっています。線路を枕木に留めていた釘が落ちてるかも知れないと思いゆっくりと進むと、やがて道と交差します。角には警報機を取り付けていた台が残っていました。この道を過ぎるとホーム跡が・・・旧野上中駅です。駅舎はすでになく、雑草地になっていました。 この先、かなり先まで線路跡が見えています。柵もなく線路跡をバイクで走ることが出来そうなのでKSRで進んでみました。バラストも余り転がっていない平坦なダートです。オンロードバイクでも走れるかなと思ったのですが、ホーム跡を過ぎた所で幅30cmほどの農水路が線路跡を横切っており、危うくバイクごと落ちそうになりました。 旧野上中駅〜旧北山駅の間には、線路跡を横切る農水路を渡る箇所が2カ所有るので走るときは注意が必要です。知らずに突っ込むと間違いなく転倒します。2カ所のうち1カ所には板が掛けられており渡れますが、もう1カ所には何もありません。軽いKSRだったので持ち上げてクリアできましたが、オンロードバイクでの走行は不可能です。 |
||||
|
【旧北山駅周辺】 |
||
旧野上中駅から1kmほど走ると再び道と交差し、旧北山駅に到着します。ホームは2面あり、結構大きな駅で交換設備があったようです。この駅の駅舎も完全に取り壊されてしまい、ホームの上は雑草地になっていました。 旧北山駅から先の線路跡は車の轍が残っており、地元の人が車で走っているようです。バラストが少し残る線路跡を美里町方面に向かってゆっくりと田畑の中をのんびり走ります。野鉄があった頃は、かなりのんびりと走っていたのでしょう。 旧北山駅から300mほど走ると道に出ます。この先は近くの工場の駐車場になってい |
|
|
たので入ることができなかった。線路跡は続いていたが、廃線跡走行をやめにしました。 【写真】旧北山駅。ホームは2面残っています。逆光でちと見にくい。 |
||
☆日本まん真ん中の駅 【岐阜県郡上郡美並村】 |
||||||
『日本の真ん中』『日本の中央』というのを売りにしている自治体はいくつかありますが、ここ美並村は『日本人口重心の地』だそうです。 美並村の長良川鉄道半在駅近くに『日本人口重心の地』があることから、半在駅を『日本まん真ん中の駅』としたそうです。駅は気動車3両分ぐらいの長さがあるだけの無人駅。駅周辺は畑と民家が数軒あるだけの、典型的なローカル線の駅です。駅のホームにでかでかと『日本真ん中の駅』の標が立っているのが、R156の道路上から見えます。 正確には『日本人口重心の駅』というべきなのでしょうか。『日本中心の駅』関係の駅としては、兵庫県西脇市内のJR加古川線に『日本のへそ公園』駅という駅もあります。 (2000年7月訪問) |
||||||
|
||||||
☆★☆ 豆知識 ☆★☆ 『人口重心』とは、国民1人を全て同じ体重として(日本の)体重を割り出し、その人口を1点で支えて平衡を保つことができる点のことをいいます。赤ん坊もお年寄りも、バレエダンサーも相撲の力士も、すべて同じ体重で扱われる一番平等な調査かもしれません。 岐阜県美並村は、1980年(昭55年)の国勢調査から、ず〜っと『日本人口重心地』となっているそうです。1990年(平2年)の調査結果から、半在駅の東北東約650mにある子安神社境内(E136度57分17秒、N35度37分08秒)が平成時代最初の『日本人口重心地』だとか。 2000年(平12年)の国勢調査の結果でどうなるかは分かりませんが、人口に大きな変動がないようなので、『人口重心』は多少移動するでしょうけど、子安神社の境内にあるのでしょう。 参考までに国土地理院が計測した日本国の中心地というのは、E137度42分44秒・N37度30分52秒の富山県沖の日本海だそうです。これは、北方領土も含めて単純に日本国の端から計測したんでしょうね。 |
||||||
☆保存車両あれこれ 弐 【北海道】 |
|
■9600型蒸気機関車(49648号機) (北海道枝幸郡中頓別町) |
|
中頓別町のR275沿線にある寿公園にはSL9600型機(49648機)が静態保存されています。説明板によると49648号機は1909年(大9年)9月7日に完成し、昭和初期に北海道へ。その後、遠軽機関区→名寄機関区→追分機関区と移動しつづけ1976年(昭51年)3月31日に廃車されました。名寄機関区時代は道北の宗谷本線、天北線(廃線)、名寄本線(廃線)で活躍したとか。 かつて中頓別町には国鉄(→JR)天北線が走っていました。49648機は天北線で活躍した関係で、廃車後この場所に来たのでしょう。 |
|
適度に手入れがされているようで、雪の多いこの地としては状態は比較的良い方です。仙台市内の公園で見たD60(?)は無惨な状態だったのと比べると雲泥の差です。やはりそれだけ北海道の人達の鉄道に対する熱意というものが強いのでしょう。 天北線は1989年(平成元年)5月1日で廃線となりました。北海道では、ここに限らず廃線となった沿線には、保存車両や駅舎改造の鉄道記念館といった『ここに鉄路があった』という証が多数存在しており、鉄ちゃんの心をくすぐるのでした。 (2000年9月発見。訪問) |
■そろばん教室列車 (北海道枝幸郡枝幸町) |
|
枝幸市市街にある公園の片隅に2両の保存車両がありました。気動車と客車が連結されていました。車番は、キハ27−24とマニ50−515。経歴は分かりませんが、宗谷本線や名寄本線で活躍していた車両なのでしょう。マニ50の方はキハ27に合わせて旧国鉄急行色に塗られていましたが、2両とも車体の痛みは激しく塗装もかなり荒れていました。 写真は公園側から撮影したもの。道路側から見ると、車両はそろばん教室となっていました。 (2000年9月発見。訪問) |
■中湧別駅鉄道資料館 (北海道紋別郡上湧別町) 上湧別町にある道の駅『中湧別』の向かいには、かつての中湧別駅の一部が残されています。中湧別駅は、遠軽駅から延びていた名寄本線(廃止)の中間駅。ここから海側の湧別駅まで名寄本線の支線(廃止)と網走に向かう勇網線(廃止)が分岐していました。3路線が別れる一大ジャンクション駅だった訳です。 しかし、1987年3月19日に湧網線(ゆうもうせん)が廃止され、1988年(平成元年)4月30日に名寄本線が廃止されると同時に役目を終え、中湧別駅は駅そのものが廃駅となってしまいました。 現在、中湧別駅のホームの一部と跨線橋が残されています。ホームには貨物列車の車掌車が4両とラッセル車(形式不明)が静態保存されています。このうち2両の車掌車が鉄道資料館となっており、内部で色々な鉄道用の小物が展示されています。 残念なことに、ホームには上がれるのですが車掌車内部には入ることは出来ず、跨線橋の入口も閉鎖されています。1995年9月にも訪問したのですが、5年経っても車両の保存状態は良く、結構手入れはしているようです。 (1995年9月/2000年9月訪問) |
||||||
|
||||||
☆日本の中心に近い駅 【兵庫県西脇市】 |
|
1985年(昭60年)7月に開業したJR加古川線の『日本へそ公園』駅。東経135度線と北緯35度線が交わる日本中心の地に一番近い駅です。 駅はご覧の通り無人駅。ホームは車両3両分ぐらいの長さしかありません。JR加古川線北部区間に当たるために列車本数は少なく、訪れるのはなかなか難しい駅です。 『日本の鉄道駅の中心駅』と言えるのでしょう。 (2001年2月訪問) |
|
☆大明神川トンネル 【愛媛県東予市】 |
||||||||||||
●川をくぐるトンネル 愛媛県東予市のJR予讃線壬生川〜伊予三芳間にあるのが『大明神川トンネル』(全長約65m)。トンネル名に「川」の名前が付く珍しい名前のトンネルです。なぜ、こんな名前が付いているのかはちゃんとした理由があります。このトンネルは「大明神川」という川をくぐるトンネルだからです。 トンネルというのは、ふつうは山を掘り抜いて作るモノです。ところがこの大明神川トンネルは、「山」ではなく「川」の下をくぐるトンネルとなっています。「海底」ならぬ「河底トンネル」なのです。 この周辺の土地が川(の堤防)よりも低い位置にあるために、このような形になったようです。ちなみにこの「河底トンネル」というトンネルは、ここを含めて全国には3箇所しかない大変珍しいトンネルだそうです。 ●歴史 1921年(大正10年)6月に伊予西条まで鉄道が延びてきます。そこから先、今治を経由して松山まで向かう鉄道(国鉄線)の敷設工事も引き続き行われ、23年(大12年)12月末までには伊予桜井駅まで開通します。(松山開通は1927年(昭2年)4月のこと) この工事の時、壬生川〜伊予三芳間にある大明神川を越える区間は難工事となりました。川が周囲の土地よりも高い位置にあるためです。橋を架けるとなると前後の区間を盛土しなくてはならず、費用・時間がかかると判断したのでしょうか。なんと川の下にトンネルを掘って鉄路を通すことにします。まず現在の東予市三芳地区付近を境として、大明神川を南北に分断。上流側(南側)を川として残し、下流側(北側)の流れを変えてトンネル建設地付近を水が流れないようにした上で、川底を掘って建設したそうです。 ●場所 愛媛県東予市三芳。JR予讃線壬生川駅〜伊予三芳駅間にあります。最寄り駅はJR予讃線・伊予三芳駅。 >>バイク・車での来訪方法 R196の大明神川を渡る高須橋北詰にある高須交差点を曲がり川の上流方面(山手)へ。川の左岸を進む道を1kmほど進むと今治小松自動車道の高架が見えてきます。その高架道路と左岸道路の交点付近にトンネルがあります。すぐ下にJR予讃線の線路と架線があるので、すぐに分かります。 道路は車が結構通るので、駐車場所に注意して下さい。(スピードも出しています。) |
||||||||||||
|
||||||||||||