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あめふらし@管理人 |
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●名前 正式名称は『福岡亭あめふらし』。最近、文中では『あめふらし@管理人』もしくは『@管理人』と書いていることが多いです。断っておきますが、この名前はHN(ハンドルネーム)です。 【左写真】 あめふらし@管理人。1998年(平10年)5月末、慶良間近海の海底で巨大ナマコと格闘している 最中に撮影されま した。(ウソ) ダイビングにハマっていた頃の懐かしい写真。99年を最後に潜っていないなぁ・・・。 ●性別 生物学的には人間です。一応純粋な日本人のようです。性別は男です。 |
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ちなみに軟体動物のアメフラシ(Aplysia kurodai)は雌雄同体だそうで・・・。(;´∀`) ●年齢 この世に生を受けてから木星が太陽の周囲を3周しました。今は4周目に入ってクルクル回っています。 ●生息地 出生地は大阪府南部。木星が3周目を終えようとする頃に大阪市内に転居。それまでは大阪府南部の泉州地方で細々と生息。今は大阪市民。断っておきますが”プ□市民”ではありません。 ●職業 一応は自営業。連れからは”自由業”と言われています。実際はそんなに遊べないのですけどね・・・。 ●趣味 バイクであちこちウロウロして温泉に入って、とんでもない道を走ること。サイトの内容そのままですな。他には猫と戯れるこ と。”趣味は仕事”なんてまっぴら御免こうむります。 元々は『鉄』出身。一時期『ミリタリー』にもどっぷりとつかってました。”鉄分”は国鉄分割民営化を機に、”ミリタリー分”も大学生の頃からかなり薄くなりましたが、最近戻り始めたようで少しずつ濃くなり始めています。(最盛期に比べればまだまだ薄目ですが・・・) 最近は、戦争中の建造物やミリタリー関係の物に興味がむきつつあります。 |
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●名前の由来 大阪にある某ダイビングショップの芸人ダイバー集団『福岡亭』に1997年(平9年)4月に入門した5番弟子。 1997年(平9年)9月の北海道ツーリングの時、 @管理人が北海道に向かったと同時に太平洋の遙か南の海上で発生した台風が、本州にはかすりもしないで一直線に北上。@管理人が美瑛に着いた頃に北海道を直撃するという出来事がありました。以来、なぜか @管理人が参加するダイビングツアーに限って、海が大荒れだったり大雨が降ったりすることが多いことから、『嵐を呼ぶ男』とツアー参加者に恐れられ、そこからこの名が付きました。 『嵐を呼ぶ男』→『雨男』→『雨降らし』→『あめふらし』ということです。 |
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◇実績・・・?(^^;) 1997年9月:北海道・美瑛に到着した翌日に、台風が北海道を直撃。秋雨前線が活発となり大雨。 1998年9月:美瑛に到着した翌日、台風が北海道を直撃。秋雨前線が活発化し北海道は大雨。 2000年9月 :東北・仙台に到着した翌日から雨。東北を離れた後、北海道・苫小牧に上陸した日の朝から、停滞していた秋雨前線が何故か活発になり 大雨。名古屋市で大水害があったのは、私が苫小牧に上陸して美瑛に到着した日。 2000年10月:波照間島に向かう前日に台風が石垣島を直撃。 2001年9月 :北海道・苫小牧に上陸した日の朝から、かねてから停滞していた秋雨前線が活発となり大雨。道内各地で自然災害が発生。2日間 足止めを食らう。アメリカの同時多発テロが発生したのもこの頃。 2002年9月:信州乗鞍へ向かう。私が向かう週は「晴天」という予報だったが、私が乗鞍に着いた日に秋雨前線が発生。翌日の夕方から天候がぐずつき、 ツーリング後半は前線が弱いながらも活動し始めた・・・ 2003年9月:8月末からの「東北&北海道ツーリング」ではほとんど快晴でした。帰阪後、9月10日より沖縄へ出張予定でしたが、私が沖縄入りす る日 (10日)に台風14号が沖縄近海を通過。飛行機・フェリー・高速艇全てが軒並み欠航となり、出発が延期となりました。 2004年10月:北海道に向かうと台風22号が北上。北海道直撃は免れたものの、その後は前線が活発化して雨になりました。 |
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●これまでのお話 小学生の頃から『この道はどこまで続くのだろう?』と、通ったことのない道をワクワクしながら通のが好きで、小学校から遠回りして帰ったりしていました。また近くを流れる農業用用水路がどこまで続くか興味がわき、ひたすら用水路を追って歩いたこともありました。道が消えたら、用水路を歩いていたような記憶が・・・(^^;)<危ないから真似しないように。今考えると、この頃から”放浪癖”があったようです。 中学生になると自転車で遠出するようになり、大阪南部から難波まで自転車で数往復しています。高校〜大学時代には『寄り道』や『遠出』が『放浪』に悪化。主に列車で放浪していたのですが、大学3回生の時に中型二輪免許(現:普通二輪免許)を取得。バイクに乗り始めてから”放浪癖”がさらにひどくなって現在に至っています。車の免許は二輪より先に取得したのですが、なぜか車での放浪はしていません。自分専用の車がなかったからでしょう。 現在のバイクでの放浪の原点は、小学生の頃にあったようですね。ちなみに本人は、この放浪癖を一生直すつもりはないようです。困ったモノですな。 |
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●現在のお話 (2006年版) 以前は各地の温泉に入りながらバイクに乗って1人であちこち彷徨い(うろつい)ていま した。2004年(平16年)に結婚してからは、そう簡単に出かけることができなくなり、”放浪”する機会はめっきり減少しました。それでもスキを見てウロウロと放浪しています。 さて放浪するときに入る温泉は、ホテルやクアハウスなどの温泉は極力避け、地元の方が利用する公衆温泉浴場や共同湯に好んで入ります。通る車の少ない山中の狭路をバイクで走ることを楽しむ、ある意味危ない人間です。 そんな私でも、各々について信念というかこれだけは譲れないことがいくつかあります。時々聞かれるのでまとめてみました。 (2002年3月に記した文章を、2006年2月に修正・加筆) |
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○バイクに関して・・・ バイクは”旅の相棒”だと思っています。街乗りだけで終わらすのではなく、バイクにもあちこちの道を走らせてやりたいと思っています。さすがに沖縄の島々は無理ですが、出来るならあちこち乗っていきたいですね。歳をとってもバイクには乗っていきたいと思っています。 などと書きつつも、2004年(平16年)に車を購入してしまいました。これはこれでまた新しい旅の手段として活用してゆくつもりですが、バイクから降りるつもりは毛頭ありません。 ○旅(放浪)に関して・・・ お金を稼いで高級車に乗ったり贅沢したりする気は全くなく、そんなお金があるならば、バイクに乗ってあちこち彷徨く(うろつ く)ことにお金をつぎ込むタイプの人間です。日本のあちこちを訪れて『広い日本』を知ることの方がおもしろいと考えています。 基本的に”一人旅”をしています。団体行動は嫌いなので、職場の旅行などは別として、いわゆる”パック旅行”というモノは利用したことがありません。”パック旅行”というのは、決められた観光地を決められた時間で回ります。気に入った場所で停まったり、長時間かけて滞在することを許されないのが嫌なのです。観光ポイントで、時間にせかされてイソイソと行動するパック旅行の観光客を見ていると気の毒に思います。 ”一人旅”の場合は観光地は絶対に避けます。テーマーパークは数年に1回訪れるか訪れないかですね。観光客のほとんどいない田舎に行って、土地の匂い・空気を感じて地元の人とあれこれ話すのが良いのです。いろんな日本の表情を見ることが出来て楽しいですよ。都市はどこに行っても同じ風景なので嫌いです。
・・・と以前は書いていましたが、生活環境が激変した2004年以降は@嫁とともに旅するようになりました。”一人旅”のようにはいかないので、観光地を訪れたりするようになりましたが、基本スタイルはあくまでも”一人旅”にこだわっています。長距離旅行の場合、運転するのはほとんど@管理人なので無理矢理連れ回しているのかも・・・。 ”一人旅”は実行するのが年々難しくなっていていますが、極力続けていきたいものです。 ○道に関して・・・ 一人でウロウロするときは、車の少ない道を選びます。のんびりとバイクで走ってその土地の風景や匂いを感じたいからです。交通量の多い道だと分かりずらいことが多いし、B級ネタを発見したらすぐに停まることがあるからです。整備された立派な道よりは、未整備の狭路が続く道の方が好きですね。 また立派に整備された道よりも一昔前の旧道にも興味があります。かつては主要道として人や車が行き交った道が、地元の人以外誰も通らなくなって廃れていくのは、どこか哀愁があって良いのです。道ばたに朽ち果ててある自動販売機やドライブインの廃墟、廃屋や忘れ去られた国道標識があると、思わず停まって昔を偲んでしまいます。 突き詰めれば、かつての街道にまで辿り着くのでしょう。最近は旧街道にも興味があります。 ○温泉に関して・・・ 公衆温泉浴場や共同湯を好みます。温泉の鉱物成分がこびり付いて茶色く変色した湯船と水の出る蛇口があれば、それで何も言うことはありません。自然の中にある露天風呂も好みます。無料混浴露天風呂であればご機嫌です。(^^;) 温泉から出た後は、よく冷えた”コーヒー牛乳”を一気に飲み干す。これが実に気持ちよいのです。これは外せません。 また、地元の人達や管理人の人と話すのも面白いのです。隠れた名所や名物を教えてくれたり、中には『これ持っていって食べなさい』とお菓子や食べ物を下さる方もいます。公衆浴場の方が”人とのふれあい”度が濃いというのも好む理由の1つです。 最近OPENしている温泉施設はあまり好きではありません。サウナやジェットバスなどの設備がないと温泉ではないと話している人を見て残念に思いました。温泉が”主”でありサウナやシャワー、ジェットバスなどの設備はあくまでも”付属”なんだけどなぁ・・・ 。いろんな考え方があるようですが、私はそう思っています。 そんなわけで、ホテルやクアハウスの温泉は極力避けて、いわゆる”秘湯”を探しています。しかし昨今の温泉ブームでテレビや雑誌で紹介され、客がどっと押し掛ける”秘湯”は御免です。(もはや秘湯でない・・・・)
以前はよく温泉に寄っていましたが、最近はあまり寄らなくなりました。温泉利用客のマナーの悪さにうんざりしたことも一つの原因ですが、”地下水くみ上げ”・”循環”・”塩素入り”という施設が堂々と『温泉』という看板を掲げていることに疑問を感じてしまい、極力『天然温泉』だけに立ち寄るようにしたためです。
○なぜ今、そんなに彷徨く(うろつく)のか・・・? それはズバリ、『今しか出来ない』からです。 『退職してからでもできるやろ』と言われる方もおられますが、例えば25歳と60歳で同じ土地を訪れて同じ体験をしても、その後の価値観に与える影響が大きいのは、当然25歳の時です。60歳だと35年という人生経験が干渉して、なかなか受け入れられない場合があると思うのです。また、当然のことながら気力・体力の問題があります。これが一番の理由でしょう。 今の日本の社会は、大学卒業後すぐに就職してしまいます。また大学に入学するまでも”受験勉強”で価値観を広げる機会がほとんどありません。旅に出ると、(良くも悪くも)いろんな体験をして物事を見る視野を広げることが出来ます。それは若ければ若いほど広くすることが出来ます。 高校や大学を卒業してすぐに進学・就職するのではなく、数年間放浪してから進学や就職しても問題ないと思っています。数年間の仕事のノウハウなどのブランクなどその気になれば取り戻せます。むしろ、いろんな経験を得ることの方が遙かに価値があると思いますね。私は。 大学卒業後、就職して仕事だけに生きてきた35歳と、数年放浪して就職した35歳とでは、どちにらの視野が広いか?仕事だけの知識しか知らない人と放浪の経験と知識がある人の定年後の生活はどちらが楽しめるか・・・?などなど考えていたら辿り着いた結論でした。 『考えが甘い』『人生をなめている』と言われましたが、意見は人それぞれ。”絶対的な意見・見解”というのはこの世の中には存在しないのです。単に私がこういう考え方なだけなのです。
・・・と書いてから4年ほど後に結婚しましたが、考え方は変わっていません。結婚してからでもまだまだ視野を広げたいと思っています。最近は@嫁と同じことを見たり体験してみて、比較してみるというのも面白いかと思っています。
そうそう、あと一言だけ。 旅や放浪ばかりしているとお金は貯まりません。
それから4年経過して・・・ 結婚すると旅や放浪する機会は激減するのに、お金は生活費などとして出てゆくので、やはりお金は貯まりません。
さに2年ほど経過して・・・ @娘が生まれると、さらに旅や放浪する機会は激減し、お金は生活費・養育費などとして出てゆくので、さらにお金は 貯まりません。
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○タイトルの由来は? 『彷徨猫旅記録』のタイトルの由来は、いつも一人でふらっとツーリングに出かけることが彷徨く猫のようだと言われたことから。『3ケタ国道放浪記』はそのまま。『彷徨猫温泉』も他に思い浮かばなかったからです。 ○バイクツーリングのHPなのに、何故猫の写真が? それは単に”猫好き”だからです。(^^) 行動パターンや性格は猫に近いと言われています。確かに 実家は猫屋敷で、25年近く猫と一緒に暮らして いました。今はマンション住まいなので猫とは暮らしていませんが、最低週1回は実家で猫と遊ばないと落ち着きません。 動物は嫌いではありませんよ。 |
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○気が付けば10年です。(H22.05.21記) 平成12年(2000年)5月14日に『彷徨猫度記録』、同5月23日に『3ケタ国道放浪記』を開設してから、平成22年(2010年)5月をもってサイト開設10周年を迎えました。開設したのは20世紀末のこと。前世紀のことだったんですね。( ´∀`) 開設当時はmixiとかブログ、ツイッターなどはなく、掲示板やサイトがネット上での表現方法の主流でした。あの頃は『ホームページを作ろう!』というのが一つの流行だったように記憶しています。サイトの構想を漠然と考え始めたのが平成10年(199 8年)のこと。当時、すでにかなりの量のネガフィルムがあったので、「それを元にしたらサイトを作れるのではなかろーかー」と簡単に考えておりました。作り始めたら大変だったのですが・・・。どうにかこうにかホームページなるものを作成してネットで開設。以後、更新に更新を重ねて、今に至るわけです。『10周年』と簡単に書いていますが、ほんと早いものですね。 この10年でネット環境は大きく変わりました。写真を編集して専用ソフトで作成してデータをアップロードするという、面倒くさいことをしなくても、携帯端末から簡単にアクセスしてブロクに投稿することが出来るようになりました。リアルタイムで記事更新ということが可能になったわけです。便利になりました。その反面、ソフトを用いて”ホームページ”を開設する方は激減したようです。PCを起動させて作業をするのが面倒になりますわ。時代の流れということですかね? 私自身の生活環境も大きく変わりました。この10年で、独身→結婚→@娘誕生(←いまここ)という状況。仕事も忙しくなったのかならないのか良く分かりませんが、なかなかサイト更新作業の時間を作れない状況になっています。 個人ホームページ運営というのは根気が必要な”趣味”だと思っています。”趣味”である以上、仕事で更新が滞りがちになることや、飽きてしまうことも有り得ます。当分はまだ続けるつもりですので、更新が遅くなりますが、気長にお付き合いください。 以下、今後の展望などを・・・。 ◆彷徨猫旅記録 『彷徨猫旅記録』のサイト内容も、当初はツーリングネタ中心だったのが、ネタ不足からミリタリネタ中心に変わってしまい、サイトのタイトルとは関係ないサイトになってしまっております。(^^;) 10年経過していても今だにアップしていないネタや、10年近く更新していない記事もあったりします。そろそろ抜本的な再構築が必要でしょうね。 とりあえず、長距離ツーリングに出かけることができないので、当分はショートツーリングやオフ会などの記事中心となります。それも年数回の更新になるやもしれませんです。ミリタリネタ自体は独立させようかと思っています。そちらがメインになるやもしれませぬ・・・。 ◆3ケタ国道放浪記 ある時、道ネタ関係の知人から、「老舗サイトですね」と言われました。そんなつもりは全くなかったのですけどね。(^^;) 基本的に走って、その情報を書き込んでいるうちに10年経ったということです。 今では動画で走行風景を公開している方も多く、静止画像と文章(それも遅れての情報)だけでの表現というのは時代遅れになりつつあると認識しています。だからと言って今さら機材を揃えてバイクにカメラを搭載して動画撮影する気もないので、今後も今の表現方法でサイト更新を続けていこうかと思っています。 体力的な問題もありますが、ウロウロできる時間が確保できずらいので、新規国道走行や既走行国道の再走行はかなり難しい状況になっています。近畿周辺は可能ですが、遠方はまず不可能でしょう。今後は国道よりも、近畿の府県道走行か旧道探索がメインになるかと思います。 独身ならともかく『親』となってしまった以上、あまり無理はできません。いつかは辞めなくてはならない状況も出てくるかもしれませんです。それまでは細々と続けて行くつもりです。あと10年保つかな・・・。 とりあえず今ある膨大な量の写真の整理と記事更新を続けていきます。気の遠くなるようなネガフィルムのスキャン作業も再開しなくては。かなり長い間走っていない国道の更新は古い写真で更新しますが、こういう状況なのでお許しを・・・。m(_ _)m 最近は古い地図に興味が向かっています。古い地形図を用いての道ネタ紹介というのも面白いかも・・・。 ◆彷徨猫温泉(閉鎖) 『彷徨猫温泉』は平成14年(2002年)3月21日に開設しましたが、翌年5月から更新を停止しました。他ネタの更新作業で手一杯ということもあったのですが、温泉情報は生ネタで、早ければ1年ほどで古くなります。同じ温泉を毎年訪れるわけにもいかず、(平15年当時で)5年以上前のデータで紹介するのもなんだかなぁと思ったのがきっかけ。 サイト更新時は”温泉ブーム”で、あちこちで温泉が出来ていた頃。しかし最近は原油高騰により閉鎖したり営業時間を短縮する温泉が続出しています。更新停止時で313湯訪れていますが、そのうち閉鎖された温泉がいくつあるかは不明ですが、かなりの数に上っていると思います。それをチェックするのはかなり困難なので、データとして提供するのもどうかなと思っている次第。 情報自体が古くなっていることもあり、平成25年(2013年)5月31日をもって閉鎖しました。。
最後になりましたが、いままで訪れた方々やメールなどで励ましのお言葉を送ってくださった方々に厚く御礼申し上げます。 さてあと何年続けるかは分かりませんが、今後もよろしくお付き合いください。m(_ _)m
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2002年3月/06年2月修正・加筆/H22.04少し加筆/H22.05更新 |
あめふらし@管理人が所有する(所有していた)自転車・バイク・車の紹介です。購入順(使用開始順)で紹介しています。 |
零号機:通勤自転車 |
1984年頃〜2003年8月 | |
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恐らく地球上で一番環境に良い乗り物。大阪では『ちゃり』と呼ばれています。高校時代から19年ほど乗っていました。バイク(ZRX400)を買うためのアンテナ調査のバイトの時もこれに乗って、住んでいる市の約7割、隣町の約9割、隣の市の約半分を走り回りました。 2001年秋にブレーキワイヤーとサドルを交換。前カゴは崩壊の危機に直面していま したが、そのまま使用。他は部品を交換することなく使い続けていました。 2003年8月、 自宅近くの坂を下り終えた所で後輪が突然パンクして大転倒。後輪がひん曲が |
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るなど修復不可能な状態になったため、ついに引退となりました。(T T) |
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【写真】在りし日の零号機。20年近く乗り続けていました。 |
壱号機:ZRX400 |
1994年8月〜1999年4月 | |
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あめふらし@管理人が初めて乗ったバイクが、Kawasaki ZRX400(94年型)でした。初心者でも取り扱いやすいバイクで、バイクに乗ることの楽しさを教えてくれました。 このバイクで紀伊半島 を中心として、北海道・東北・信州・四国・九州をツーリングし、乗り換えるまでの約4年8ヶ月の間に約52000kmも走ってしまいました。 初期の酷道走行はZRX400で走っていました。 非常に思い入れの深いバイクだったのですが、ZRX1100購入後、ZRX400とZRX1100の 2台を同時に所有する事が出来ないので、止む得ず手放しました。 |
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【写真】95年8月に撮影したZRX400。この一月ほど後に初の北海道ツーリングに出かけました。 |
弐号機:ZRX1100 |
1999年4月〜現役 | |
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ZRX400の後続車 として購入。Kawasaki ZRX1100(1999年型)。 1999年3月に念願の大型二輪免許を取得。何を買おうか迷っていましたが、1100ccという大型バイクながら、足つきや取り回しなどがZRX400とあまり変わらず非常に乗りやすいので購入しました。ワインディングから高速走行まで幅広く使えるバイクです。 長距離移動で乗ってもあまり疲れないバイクで、ここらへんはさすが大型バイクだなと感心してしてしまいます。気が付くと購入後7ヶ月で総走行距離10000kmを突破してしまいました・・・。 |
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7年目を迎えた2006年になると、生活環境が変わったこともあって走行ペースが落ちてしまいましたが、手放すつもりはなく当分乗り続けることに しています。これからもこいつで彷徨く予定。主に中・長距離ツーリング担当。もちろん3ケタ国道も走りますが、3ケタ酷道はかなりしんどいですね。 2000年7月に初めて転倒。エンジンガードを装着した以外は大きな変化はありません。 |
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【写真】購入後の99年4月に撮影。7年目に入りますがまだまだ現役です。 |
参号機:KSRU |
1999年7月〜現役 | |
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Kawasaki KSRU(最終型)。 ZRX1100は3ケタ国(酷)道走行に不向きなために購入・・・というのは表向きの理由。以前から欲しかったバイクだったのですが、排ガス規制により生産中止になるとのことで急いで購入しました。(ノートパソコン購入の為に貯めておいた金はすべてこいつに化けました・・・) 軽くて取り回しが非常に良く、ダートや畦道、街中の細い路地など自動車専用道(高速)以外の道ならほとんどの道を走ることが出来ます。80cc2ストマシンながら条件によっては100k/hは |
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出るというとんでもないバイク。たいへん遊べるバイクなのです。ただし長距離走行には向いておらず、長時間乗り続けるとお尻が痛くなります。1日250kmまでが限界でしょう。 KSRUはバイクの取り回しの良さや軽さから3ケタ国道(主に酷道の方)の実走調査に使用しています。旧道(廃道)の実走調査 ではその機動性の良さを発揮しています。街中のちょい乗りバイクとして使用しており、近・中距離ツーリングも担当しています。2002年頃にスプロケとチェーンを交換。2005年6月頃にオーバーホール。調子よく走っています。 2004年秋以降は、車に積んで移動する(旅行する)こともあり、改めてその使い勝手の良さを実感しています。セカンドバイクとして購入しておきながら、最近はKSRUでよく走っています。 2007年(平19年)9月20日(木)、あの賀曽利隆氏に跨いでもらうという栄誉をあたえられました。ヽ(゚∀゚)ノ ちなみに私が生まれて初めてバイクで事故に遭った(2000年8月)のはKSRUに乗っていた時でした。 参考までに>>クラッチワイヤーが切れてしまったのは、走行距離9100kmぐらいの時でした。(^^;) |
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【写真】2005年9月に撮影。弟子屈の硫黄山をバックに。車に積んで北海道を旅行していました。 |
四号機:MTB |
2003年8月〜現役 | |
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大転倒して修復不可能となった零号機の代行機として購入しました。どうせ買うならと、以前から欲しかったMTBを購入。21段(前3、後7)変速。 かなりハイペースで走行することが出来るようになり、家から駅前までの移動時間は零号機時代と比べるとかなり短縮されました。難点は傘を携行して走るときに苦労すること。また泥よけがないので、雨の中を走ると水がもろにかかるということ。泥よけだけでも装備しようかと計画中。 大阪市内に引っ越してからは、大阪市内散策にちょうど良く、ちょくちょくMTBに乗ってウロウロ しています。 |
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【写真】購入直後の03年8月に撮影。市内散策にちょうど良い移動手段です。 |
伍号機:Spike |
2004年7月〜現役 | |
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ホンダ MOBILIO Spike(04年型)。 2004年夏についに車を購入することになり選んだのがモビリオ・スパイク。購入する際の第一条件は『KSRUを搭載できること』。この条件を含めて@管理人の要求を見事にクリアしたのがスパイクでした。参考>>KSRU搭載ノススメ 普段は通勤や買い物・レジャーに使用。KSRUを搭載しての長距離旅行やバイク屋への移送の時はトランポとして使用しています。いろいろな使い道のある大変便利な車です。国道はもちろ |
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んのこと、酷道・腐険道の走行も十分可能です。 KSRUを搭載するために、ルーフインサイドレールをラゲッジスペースに装着。他にカーナビとETCも装備しました。自宅に置けないバイク用ジャケットやメット、いろいろな工具も常時搭載しています。これからもスパイクでウロウロする予定。 |
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【写真】2004年10月、敦賀FTにて撮影。 |
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