東北&北海道ツーリング2000

 

2000年9月7日(木)〜9月19日(火)

美瑛の某所にて。

 20世紀も残すところ僅か3ヶ月となった9月、今年も発症した『北海道症候群』の治療と称して出かけた20世紀最後の長距離ツーリング。併発した『東北放浪症候群』の治療のため、訪れた杜の都仙台での『腎結石』という障害を乗り越えてやって来ました北海道。感無量の思いで上陸した北海道。

 駄菓子菓子、私を追うように前線も北海道に北上。北海道上陸初日から雨雨雨・・・そして前線から逃げるように北へ北へと進む私。今年は北海道の地に雨を呼んでしまうのでしょうか?

東北&北海道ツーリング2000 其の弐

2000年9月13日(水)〜9月19日(火)

2000年9月13日(水)

 今日は朝から快晴だ。北海道に上陸してから初めて太陽の下をバイクで走る。9時頃に宿の連泊組に見送られて出発する。今日は南に移動した前線が徐々に北上してくるとか。既に道南では小雨が降り始めているとか。道央も昼過ぎから天気は下り坂だとか。てなわけで、雨から逃げるように道北に向かうことにした。

 旭川市街をパスする裏道を通ってR40に出る。交通量が多く、トラックが走っていたりするが流れは良いので順調に走ることが出来る。塩狩峠を越えて北に向かう。青空の下淡々と走って行く。先日の雨中走行が夢のようだ。できればこれから先もこの天気が続いてくれれば良いのだが・・・

 去年の北限であった美深を越えて音威子府に到着する。ここでR40から別れてR275で浜頓別に向かう。R275は全区間2車線の快走国道。一部にワインディングがあるが整備されているので快適に走ることが出来る。淡々と広野の中を進む。走る車が少ないのでかなりのハイペースで走って行く。

 そんな中、中頓別町の寿公園の前を走ると何やら気になるモノがあることに気が付いた。一度通り過ぎたが引き返して来てみると、なんと航空自衛隊の元・追撃機F104J戦闘機が展示されているではないか!自衛隊の戦闘機が飛んでいる姿は何度か見たことはあるのだが、退役機とは言えども実物の戦闘機を目

の前で見るのも手で触るのも初めてで、人気のない公園で1人はしゃいで写真を取りまくってしまった。実物はめちゃくちゃ大きい。

 案内板によると、このF104は航空自衛隊第2航空団から借りて展示しているそうだ。残念ながらにコックピット内には入ることはできず、当たり前のことであるが機銃もエンジンも撤去されていた。雪の多いこの地での屋外展示だけあって少しくたびれた感じがするが、堂々とした『戦闘機』としての風格が漂っていた。退役しても『戦闘機』は『戦闘機』なのだ。ちなみに機体番号は『46−8568』であった。

 寿公園には静態保存の蒸気機関車も展示されていた。運転台に入って運転士の少し気分を味わったのでした。

 R275を北上して浜頓別に到着する。R275の浜頓別市街入口では覆面パトカーが車(恐らくレンタカー)を捕まえていた。あの道は誰だって飛ばしまっせ。

 とほ宿『トシカの宿』に荷物を置いて宗谷岬まで往復するつもりだったが、宿に着くと行く気がなくなりそのまま宿にチェックインする。美瑛の『星の庵』でも会った旅人と再会する。ルートは違うが行き先は同じだったのだ。

 一段落してから他の宿泊客の車に便乗させて貰って近くの浜頓別温泉に行く。北海道に上陸してから3日目で初めての北海道の温泉に入ったのだ。

 夕食のジンギスカンの後、一部の人を除いて食堂に集まり酒を飲みながらあれこれ話す。みな何らかの手段で北海道を旅している人達ばかりで話題のネタには困らない。情報収集も出来る楽しい時間は、あっという間に過ぎて消灯時間となる23時に会はお開きとなった。

(9/13の走行距離:229km)

2000年9月14日(木)

 南から北上してきた前線に追いつかれてしまった。浜頓別は朝からどんよりとした天気。宿の常連さん曰く『浜頓別らしい天気だ』そうな。宗谷岬にバイクで行くかどうか悩んでいると雨が降りだした。この時点で連泊を決定する。

 昼前になって、宿の常連さん(半分ヘルパーさん)のパジェロに連泊組3人が乗り込んで道北ツアーに出かける。浜頓別からR238をひたすら北上する。昼前から雨はかなり強く降りだしていた。こういう時は車で移動するのが便利だと痛感する。ところが、こんな雨の中バイクで移動するライダーがいた。完全防備で紋別方面に走って行った。『この雨の中、よく走るなぁ〜』と思ってしまったが、数日前は私がそう言われていたのでしょう。

 宗谷岬に近づくと雨は小降りとなり薄曇り程度になっていた。右側にはオホーツク海が広がる。そしてその向こうには樺太の島影がくっきりと見えた。この天気で見えるのは珍しいそうだ。なんか得した気分だ。

 昼頃に宗谷岬に到着。95年9月以来、約5年ぶりの訪問となる。岬はあまり変化はないようだ。そういやスピーカから流れていた演歌(?)は聞こえなかった。中止したのだろうか?やはり日本本土最端の岬なのだから静かにして貰わないと。

 宗谷岬にはいろんな『最北端』がある。『最北端』の銅像、ガソリンスタンド、公衆便所、公衆電話、信号、横断歩道、国道標識、バス停留所、宿に土産物などなど。その中でもメインは最北端の碑だろう。

 その宗谷岬の碑(モニュメント)を撮影する。ここからも樺太の島影が見える。碑の裏側に回ってみると、残念なことに裏には落書きが・・・『何月何日、今から最南端めざします。チャリダー何某』とか『何月何日、宗谷岬に着いた!感想はうだうだうだ・・・』ひどいのになると海岸にある大きな石にスプレーで『何月何日 何某某』とサインしていたりする人もいる・・・日本本土最端に来たのでうれしいのは分かるが落書きはやめて欲しい。このまま放っておくと表にまで広がりそうな気配だ。

 岬を出てから宗谷丘陵を通ってR238へ戻り稚内市内へ。『お天気屋』という旅人御用達の喫茶店で昼飯を食べる。その後稚内温泉へ。露天風呂からは礼文島と利尻島の島影がはっきりと見える。意外と近くにあるのだ。2つの島影が同時にはっきりと見えるのは珍しいとか。樺太の島影も見れたので得した気分になる。

 同じ道を走って帰るのは面白くないと言うことなので、帰りは豊富町経由でr106〜r444〜r84というルートで浜頓別に向かう。稚内温泉を出た辺りから再び雨が降りだし、豊富温泉の近くを通る頃には本格的に降りだした。

 r84は2車線舗装道で適度なカーブが連続するワインディング道路。晴れていてバイクなら結構楽しめそうな道だ。一部路面状態が悪い区間もあるのでそう飛ばせないが。この雨の中、バイク一台とすれ違った。この雨の中どこに向かうのだろうか。

 雨の中17時頃に宿に戻った。戻ってしばらくすると外が騒がしい。北の方で雲が切れ夕焼け空が見えるという。カメラ片手に外に出る。北西の空を見ると、雨雲が切れて空が絶妙な色の紫色をしている。宿からでは枝が邪魔になるということで、車に乗ってクッチャロ湖畔に移動して撮影する。太陽の光と雨粒が干渉して出来上がった自然の芸術であった。

 この日の宿の宴会は連泊組も含めてかなり盛り上がった。

(9/14の走行距離:0km)

2000年9月15日(金)

 今日も朝からどんよりと曇っている。紋別方面には分厚い雨雲がかかっており、海からの風も強い。大阪では34℃らしいのだが、浜頓別の気温は16℃しかない。半分の気温しかない。

 出発するか悩んだが、雨+風の中を走る気になれなかったので連泊することに決める。『トシカの宿』3連泊決定である。

 出発組を見送った後、連泊組9人で車に分乗して『鮭の遡上見学ツアー』に向かう。神威崎に寄った後江刺市街を抜けてr12へ。さらにケモマナイ林道に入って滝へ向かう。

 道幅が広い所に車を停め、雨の中少し歩くと小さな滝があった。ここを鮭が上っていく姿が見れるそうだが、今日は残念ながらその姿は見られない。少し下流に行く。時々水面から鮭が飛び跳ねている。遡上して来ているのだが、まだ数が少ないようだ。あと1週間遅く来れば見ることが出来たのだろう。時々飛び跳ねる鮭を見るためにしばらく川辺で15分ほど過ごした。

 雨が強くなって来たので車に戻り、枝幸市街に引き返す。市街にある『まんぷく亭』という食堂に行く。町中のごく一般的な大衆食堂なのだが、値段の割には量は結構あり得した気分になれる。

 この後枝幸温泉に向かう。1時間ほど温泉でぼけ〜と過ごす。休憩室も広く温泉から出た後リクライニングチェアで眠ることもできる。ツーリングで疲れたら絶好の休憩ポイントにもなる温泉だ。

 R238に戻って浜頓別に向かう。後ろにパトカーが走っていたので、ヘルパーさんは60k/hぐらいで走っていた。最近、速度違反で捕まったそうで以来大人しく走っているとか。そのおかげで流れ行く風景を見る余裕が出来た。雨の風景はまた違った表情を見せてくれる。

 16時頃に宿に戻る。夕食の後、自然と宴会が始まる。この日も数人の1泊目の人が来ていたがすぐに打ち解けて、まるで連泊者のような感じで皆とあれこれ話している。こういう雰囲気は非常に好きである。

 その雰囲気を察してか、宿のオーナーが宿の旗を持ち出してきて記念撮影となった。全く見知らぬ者同士が偶然出会って、酒を飲んであれこれ騒ぐ。こういう時間の過ごし方を知っている者は幸せ者だとつくづく思う。

(9/15の走行距離:0km)

2000年9月16日(土)

 やっと晴れた。朝から快晴である。今日こそは移動しなくてはならない。パッキングを済ませる。先に発つ出発組を見送る。宿のオーナーに礼を言ってから、ヘルパーさんや連泊組に見送られて10時過ぎに3連泊した『トシカの宿』を出発した。

 晴れていたのでクッチャロ湖に寄って写真を撮ってからR238へ入り、ひたすら網走を目指して南下を始めた。

 R238は長い。網走は遠い。延々と200km以上も同じ風景の中を走らねばならない。これが本州なら平野部あり山あり峠ありと変化のある道筋なのだが、北海道のオホーツク海沿岸部を走るとなるとそうは行かない。ひたすらオホーツク海と広野を見ながら平坦な道を走るだけなのだ。単調な道が続き眠たくなるので適度に休憩を入れ、覆面とネズミ取りに気を付けながら走った。

 1995年9月の初めての北海道ツーリングでも同じ道を走っている。95年の時は宗谷岬から紋別まで休憩なしで一気に走った。枝幸を過ぎた辺りから小便をしたくなったが、公衆便所が無く紋別の道の駅まで我慢し続けたのを覚えている。若かった頃の話。

 その道の駅『オホーツク紋別』で休憩。気温も上がりかなり暖かくなった。今日は弟子屈の北・美留和まで走るつもりでいた。道東の定宿『ましゅまろ』に電話を入れて、夕方頃に着くことを伝えておく。これで焦らずにゆっくりと進むことが出来る。 

 中湧別を過ぎてサロマ湖畔を走る。95年と時に泊まった『さろまにあん』を過ぎて能取湖に出る。能取湖ではサンゴ草を見ようかと思ったが、遊歩道入口直前でトロイ車にキレて追い越したところだったので、停まることが出来ず見逃してしまった。残念。

 網走を過ぎてR244に入る。さらにR391に入って弟子屈を目指すが、これから走る野上峠には雨雲が・・・峠を越えると小雨が降っていた。網走は快晴だったのに峠を越すと雨・・・北海道は広い。

 予告通り夕方に『ましゅまろ』に到着する。この日の宿泊客は私ともう1人のライダーの2人だけ。今日の朝、10人ほど居た連泊組が皆出発したそうだ。私が予約の電話を入れなければ、もう1人のライダーは断っていたと宿のオーナーは話していた。

 大学生と思われるライダーは、夕食時はあれこれ話していたが、部屋に戻りベットに入ると音楽を聴きながら携帯でメールを打っていた。

 21時頃に談話室に下りる。オーナー夫妻と私の3人だけの宴会となる。色々話す。最近は道東を訪れる観光客が減り続けているそうだ。景気の低迷と海外旅行志向、有珠山噴火など色々と原因はあるのだろう。そういや道東に入ってからツーリングライダーの姿をほとんど見かけない。近海郵船の釧路便の旅客廃止は影響が大きいようだ。天気が悪いのもあるのだろうけど。

 ここ2年連続で参加していた『人間ばんば』、今年の『ましゅまろ』チームは最下位だったとか。やはりコーチがいないとダメのようです。来年は参加できるかな?

 疲れて眠ったのかも知れないのだが、もう1人の宿泊客は最後まで宴会に参加しなかった。『トシカの宿』でもそうだったのだが、どうも最近の若い旅人の多くは『他の旅人と会話する』ことをしないようだ。部屋のベットに戻ると音楽を聴きながらメールを打ち続けている。『旅先でも生活習慣を変えずに自分の時間・空間を大切にする』という感じを受けた。普段自宅でやっている同じことを旅先でやっているのだ。何のために『旅』に来ているのやら・・・

 『旅』は普段の生活から脱することだと思う。普段の生活は置いてくるべきなのだ。そのことは誰も教えてくれない。自分が『旅』をして気付かないといけない事で、他人と接して初めて気付くことが多いのだ。『トシカ』や『ましゅまろ』で会った若者も、このことにいずれは気付いて欲しいと思う。

 『旅』のスタイルがここ数年で急激に変化しているようだ。

(9/16の走行距離:358km)

2000年9月17日(日)

 『ましゅまろ』には2連泊ほどするつもりだったのだが、雨で北海道での予定が大幅に狂ってしまった。明日の晩のフェリーで帰るために、今日中に美瑛まで移動しなくてならないのだ。

 だが朝から雨。朝飯の後、止みはしないかとダラダラと時間を過ごすが止む気配はない。ダラダラとしている間に、もう1人のライダーは雨の中さっさと出発して行った。結局、彼とはほとんど話すことはなかった。

 雨が止む気配はないので、覚悟を決めて10時頃にオーナーに見送られて『ましゅまろ』を出発する。雨のR391を走る。出発から雨だと気が滅入る。ところがR243に入って和琴半島の付け根付近に来ると雨は上がり晴れていた。宿からここまで10kmもない。一体どうなっているのだ?

 雨具を来たまま美幌峠に着いた。峠から屈斜路湖を眺めて納得した。雨雲は北東に流れており、屈斜路湖の湖東は雲に覆われていた。美幌峠から西は快晴。どうやらカルデラ湖の屈斜路湖周辺だけが雨のようだった。

 美幌峠は日曜日ということもあり観光客が多かった。この峠は相変わらず土産物屋のスピーカからの『美幌峠』(唄:美空ひばり)が大音量で流されており、情緒をぶち壊してくれている。ここの展望台で『トシカの宿』のツアーに一緒に参加したT君と再会する。彼は昨日網走で泊まり、今日は屈斜路湖周辺で泊まるとか。しばらくいろいろと話す。こういうことがあるのでツーリングはおもしろい。

 峠を訪れる観光客の中に台湾からの『北海道ツアー』参加者がたくさんいた。彼らは観光バスで道内をあちこち回るようだ。その中の1人の旅行者が、峠のパーキングに停めてある10台ほどのバイクを見てはしゃいで写真を撮りまくっていた。ライダーの1人が気を利かせて、彼を自分のバイクの横に立たせて写真を撮ってあげたらめちゃくちゃ喜んでいた。台湾ではバイクツーリングというのが珍しいのだろうか?彼はきっとバイク好きな人なのだろう。

 美幌峠で雨具を脱いでいつもの格好で走り出す。この日は何故か陸上自衛隊の車両が多く、すれ違う車の7割は自衛隊車両だった。30台ほどの車両とすれ違ってR243を走って美幌に抜けた。

 美幌からR39で西へ向かう。例年ならR241〜R273で三国峠を越えて行くのだが、今年は走るルートを変えてみた。R39は大型車が多いために敬遠していたのだが、今日が日曜日ということで走ってみたのだ。案の定大型車両の通行は少なく、石北峠も先行車に詰まることなくマイペースで越えることが出来た。

 上川町内のR39は整備・改良工事が終わりかなり快適に走ることが出来た。層雲峡を抜けて西へ進む。愛別町からr140〜r37経由で旭川市街をパスしてR237に出る。コンビニで晩の宴会への差し入れを購入してから『星の庵』に向かった。

 5日ぶりに帰ってきたのだが、増築工事は驚くほど進んでいた。このペースなら来年は完成しているだろう。常連さん達(長期滞在している方々)と再会する。『トシカの宿』でも会った『おっちゃん』とも3回目の再会だ。この日はBMWライダーや現在アメリカ在住で一時帰国して北海道をレンタバイクでツーリングしているIさんなどいろんな人達がやって来ていた。

 この日の晩は、15人ほどの賑やかな宴会になった。バイク談義に花が咲くなどかなり楽しい時間を過ごした。今晩が北海道最後の晩だと思うと残念で仕方がない。

(9/17の走行距離:276km)

2000年9月18日(月)

 朝起きると雨が降っていた。また雨の中の移動かと思ったら気分が重くなる。今日は昼頃から晴れるというのでしばらく待つことに決めた。今日は小樽まで移動すればいいだけなのだ。

 朝食後、パッキングと精算を済ませてダラダラと時間を過ぎるのを待つ。出発組が次々と出発して行く。11時頃になってようやく青空が広がり晴れてきた。皆で写真を撮ったり住所交換会などの『儀式』を一通り終え、連泊組とヘルパーさんらに見送られて『星の庵』を出発した。

 美瑛で風景を撮影した後、裏道で富良野まで抜けてR38に入る。『星の庵』で新しい近道が開通したという話を聞いたので早速走ってみた。r135がその道。全面舗装の全区間2車線の快走道路。途中の富芦TNを爆走してR452にスイッチする。この道は最近出来たということもあり、舗装もあまり荒れておらずかなりのペースで走ることが出来る。今のところ大型トラックの通行量は少ないが、いずれはトラック街道になるかもしれない。山中を貫く道路だけに、動植物への影響が心配だ。

 R452は一部ダートが残っていたようだが、三芦TNを越えて桂沢湖までは舗装工事が終わっておりオンロードバイクでも快適に走ることが出来た。

 桂沢湖からr116で三沢に向かう。道道に入ると路面状態は悪くなるのでペースが落ちる。山中の2車線道をダラダラ走って三笠市街に到着。かつては炭坑で栄えた街だが、今ではひっそりとしていた。

 三笠ICから道央道に入って札幌市街へ移動する。札幌北ICで下りるとそこは都会。車・大型車で渋滞する道を走って苗場へ。北海道初日に雨のためやめた、もう一つのサイトのネタ集めを行った。

 札幌市街は、建物も人も車も多く、あちこちにコンビニが建っている。雪が積もるので車幅が広いということ以外は本州の大都市とそう変わりない。札幌は北海道の街ではないような気がした。

 札樽道で小樽へ向かう。小樽市街の某バイク屋で『SAFTY SUMMER北海道2000』の赤旗と赤色ステッカーを入手する。この後土産物屋で土産を買い、18時頃にどでかいフェリーターミナルビルがある小樽FTに到着した。

 晩飯を食べたあと、大画面TVでオリンピックを見て時間を過ごす。20:30頃に敦賀からのフェリーが到着し接岸する。これから北海道ツーリングに向かうライダー達が下りてくる。前線と台風が抜けた北海道は、明日からしばらくの間は晴天が続くとか。これから帰る身にはうらやましい限りだ。

 21時頃になると乗船するライダーがかなり集まった。今晩の敦賀便は満員御礼。予約しておいて正解だった。フェリーターミナルは、荷物と乗船する大型トレーラなどの積み込みで大忙し。大型車が行き交う中、ライダーはひたすら待ち続ける。乗船前のいつもの儀式なのだろう。

 22:30頃にバイクの乗船開始。『ガチャガチャガチャ』とタラップ(?)を走って車両甲板に入る。甲板にバイクを固定して必要なモノだけ持って2等寝台に向かう。荷物を置いた後、甲板に上がり小樽の街並みを眺める。

 雨続きの北海道だったが、それなりに楽しむことが出来た。いろんな思い出が頭をよぎる。仙台で腎結石で苦しめられたことが1ヶ月ほど前のことの感じられる。その後も出会った人達のことを思いだしていると、妙に人恋しくなり携帯で知り合いに電話したあと、寒くなったので船室に戻る。

 23:30、フェリーは小樽港を出航した。

(9/18の走行距離:215km)

2000年9月19日(火)

 疲れからか昨晩は熟睡した。朝8時頃にアナウンスで起こされる。2等寝台に寝ると、睡眠と個人空間を確保できるが、他のライダーと話す機会がめっぽう減る。向かいのベットの岐阜に帰るという人と少し話した程度。

 雑魚寝の2等室を覗いて見ても、ちらほらとしか寝ていない。あれだけ居たライダーの大半は2等寝台で寝ているようだ。ライダー同士が集まって北海道の話で盛り上がる光景は見られなかった。ここにもスタイルの変化の波が押し寄せているのだろうか?

 行きはルートを考えたりとやることはあるのだが、帰るときは何もやることがない。風呂に入ったり、船内にあるテレビでオリンピックを見るなどしてダラダラと時間を潰す。暇になれば寝たりして時間を潰し、やっとこさ18時となり晩飯を食べる。

 晩飯の後、下船準備を始める。接岸まで車両甲板に下りることが出来ないことを知っているのだが、20:00過ぎから荷物を持ってフロアで待機する。

 20:15、予定よりも15分早く敦賀港に到着する。接岸。車両甲板に下りる。パッキングをしていると車両甲板の扉が開く。蒸しっとした本州の空気が入ってきた。いつもこの瞬間は『本州に帰って来た』ことを実感させてくれる。

 『ガラガラガラ』とタラップを下って敦賀FT前に移動する。ついに本州に戻ってきてしまったのだ。ちらほらと折り返しの小樽便に乗り込むライダー達が居る。彼らが付く頃は北海道は晴天なのだろう。このままもう一度乗船したくなったが、仕事もあるのでそうもしていられない。積み荷の固定状況を再確認して自宅に向けて出発した。

 敦賀ICから北陸道に入って高速を100k/hぐらいで走る。それでもトラックに次々と抜かれる。トラック街道と化している夜の名神を西へ向かう。大津SAで休憩していると、荷物満載のオフロードバイクが一台入ってきた。彼も同じ便で敦賀に着いて大阪に帰る途中だという。少し話して『気を付けて』と挨拶して別れた。

 京都南ICを過ぎると帰って来た実感が出てくる。茨木IC手前の左ルート・右ルートの合流付近で覆面パトに捕まった。覆面パトがパトライトを回しながら車線変更して私の後ろに付いたので『やられた!』と思ったが、いつ後ろに付かれたのか記憶にない。左ルートを走っていた時、後ろには車はいなかったはずだ。

 『どこかでネズミ取りをしていたのか?こんな場所で、こんな時間に?』などと考えていると、マイクで『前のバイク、関係ないから進みなさい』と警官が言うではないか。実は御用になったのは私の前に入った車のようだった。何も関係ないことが分かってほっとして先を進む。ツーリングの最後で捕まったらせっかくの気分も台無しだ。 

 吹田JCTから近畿道に入る。ここまで来ると帰ったも同然。よく利用する近畿道〜阪和道を走って堺ICで下りる。ガス欠の恐れがあったため給油。なじみの道を走って23:40頃に自宅に到着。いろんな事が起こった『東北&北海道ツーリング2000』は無事に終了した。

 自宅に戻ると、庭には見知らぬ犬小屋が3つと見知らぬ犬が3匹もいた・・・

(9/19の走行距離:222km)

(東北&北海道ツーリングでの総走行距離:1929km)

【東北&北海道ツーリング2000 ツーリングレポート 終わり】

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