東北ツーリング2001

 

2001年(平13年)10月24日(水)〜10月30日(火)

東北ツーリングも後半へ。

1999年9月のツーリングと同じコースを辿り遠野へ。

さらに仙台まで南下して名古屋へ戻る。

そして事故に遭う・・・

 

仕事は休みました。(^^;)

 

東北ツーリング2001 その2

2001年10月27日(土) 【岩手県松尾村民宿『とど松』→岩手県遠野市『とおのYH』:198km】

松川温泉と松川地熱発電所

 朝6時30分に目が覚める。今日も良い天気だ。朝食を食べてから荷物をまとめる。2泊の間にかなり散らかしてしまったので、荷物をまとめるのに時間がかかった。精算の後、絵はがきを頂き、2日間お世話になった民宿『とど松』を後にする。

  r212(県道雫石八幡平線)に入る。昨日はr212〜八幡平樹海ライン経由で見返峠まで上り秋田県側に抜け、帰りは見返峠からはアスピーテラインを下るというコースを考えていた。しかし樹海ラインが土砂崩れによる復旧工事のために通行止めとなっていたのでアスピーテライン

を往復したのだ。昨日は時間もなくなったことから、入るつもりだった藤七温泉には寄らずに終わってしまった。

 昨日、藤七温泉に寄る前に入ろうと思っていた松川温泉だけでも入っておこうと、バイクを松川温泉に向けて走らせる。町中を離れるとr212は狭い2車線幅の道のまま急勾配・急カーブが連続するワインディングロードとなる。町中を離れると森の中に入り、いろんな色に染められた紅葉の森の中を進んで行く。走っていると実に爽快な気分になる。8kmほど走ると松川温泉『峡雲荘』に到着する。

 松川温泉は旅館の温泉。ここは広い混浴露天風呂で有名だ。混浴露天風呂は、乳白色のお湯が入った大きな岩風呂だ。入浴したときは誰もおらず貸し切り状態となった。広い露天風呂をたった1人で独占。空は快晴。さんさんと太陽が輝いている。何とも気持ちの良い露天風呂だ。男女別の内風呂にも入浴し、松川温泉『峡雲荘』の湯を楽しんだ。

 松川温泉を出た後、すぐ近くにある松川地熱発電所に立ち寄る。巨大な壺のような冷却棟が立っている。この中では高温の蒸気を冷やしているのだ。松川温泉の駐車場や露天風呂に入っていると、晴れているにもかかわらず空から霧雨のような細かい水滴が絶えず落ちて来ていたのが不思議に思っていた。実はこの冷却棟から運ばれてきた水滴だったのだ。

 この地熱発電所では地熱を利用した発電所。ほとんど無公害の発電システムで、この松川地熱発電所だけで約7万世帯の電気をまかっているという。発電所内には資料館があって無料で入場できる。地熱発電所の説明や使用された大きな発電用タービンが展示されている。改めて

マグマや自然の力が凄いことを認識した。

 資料館で土産として木鹸(もっけん:木を温泉に浸けて石鹸のようなものにしたモノ)が売っており、珍しいので買ってから松川地熱発電所を後にした。

網張温泉

 r212沿いにあった橋から紅葉を撮影しr23(県道西根八幡平線)を東に向かう。八幡平とお別れである。R282に入ると南に向かい淡々と2車線道を走って行く。次の目的地は、松川温泉の岩手山を挟んだ南側にある網張温泉。99年9月のツーリングの際にも入ろうと思って向かって行ったのだが、向かう途中で大雨となり行くのをやめた温泉だ。

 網張温泉に向かうために岩手山の麓を通るr278(県道鵜飼滝沢線)をのんびりと走ろうと考えた。99年9月の時も同じ事を考えたが道を間違えてしまいr16(県道盛岡環状線)に入りR46に出てしまい大きく迂回してしまったのだ。今回はちゃんと地図で確認してから向かった。R4から滝沢ICへの道路を過ぎた最初の信号で右折すると、狭い2車線道に入った。そのまま進んで行くと道は緩やかな坂道となり西へむかった。しばらく走るとどうも様子がおかしいことに気付く。越えるはずの東北道が右側に平行して見えるのだ。やがてr16の標識が現れた・・・またしても道を間違えてしまった。99年の時と同じく、大きく迂回して行かねばならなくなった。

 r16からR46へ入る。整備された道を淡々と西へむかう。盛岡市街方面から網張温泉へは、r219(県道網張温泉線)で小岩井牧場の前を通って行くのが早いのだが、99年の時と同じくr212経由で行くことにする。r212に入り、のんびりした農村地帯を淡々と走る。やがて岩手山が間近に見えてくる。南側から見る岩手山はまた別の姿をしていた。

 道なりに進むと網張温泉に到着。駐車場にバイクを停め、休暇村岩手の本館建物脇から登山道っぽい道を歩いて行く。アップダウンのある道で、ライダーブーツを履いて歩くと少し歩きづらい。8分ほど歩くと白樺林の中にぽつんと露天風呂があった。網張温泉『仙女の湯』である。

脱衣所付の男女別露天風呂で、女湯は周囲を囲まれているので安心して入ることが出来る。湯船は滝のすぐ近くにあり、滝の音と白樺のざわめきを聞きながら入る温泉は格別だ。湯は単純硫黄泉。乳白色のお湯は旅の疲れを癒してくれる。源泉のままなのか、少し熱めでしばらく入っていると逆上せてしまった。外に出てしばらく体を冷やした後、自然の中の露天風呂を後にした。

小岩井牧場

 13時過ぎに網張温泉を出発する。r212からr219に入り南下する。鬱蒼とした森の中を15分ほど走ると小岩井牧場に到着した。この小岩井牧場は、私にとって忘れられない場所である。99年9月の時に、あの賀曽利隆さんとニアミスした所なのだ。雨の中だったので、早く盛岡市街に行きたい一心で牧場を通り過ぎたため会い損ねてしまったのだ。(注3)

 週末と言うこともあり、牧場には多くの観光客が押し寄せていた。駐車場は車で満杯。バイク専用スペースにバイクを停めて昼飯でも食べようかと思ってぶらりと牧場に向かった。入場料は500円。昼飯を食べるために別に500円も支払うのはアホらしいので、入場するのをやめて辺りをぶらぶらと歩き、ゲート前の自販機コーナーで缶コーヒーを飲んで小岩井牧場を後にした。

 後日分かったことなのだが、同じ日・同じ時間の小岩井牧場に、なんと勤務先の同僚が東北旅行で来ていたという。入場していれば劇的な(?)出会いがあったのかもしれない。

遠野YH

 R46を盛岡市街へ向かう。市街を抜けてR4を経由してR396に入る。R396は盛岡市と遠野市を結ぶ3ケタ国道。道路は整備が進んだ快適な2車線道だ。静かでのんびりした昔懐かしい農村風景が残っている。そんな農村をいくつも通り過ぎて行く。

 小峠TNを越えて遠野市に入る。柳田国男『遠野物語』で有名な所だ。遠野市街に入りR340にスイッチ。市街から少し進んだ所にある遠野YHに到着したのは16時過ぎ。すでに日は傾いており、秋の夕暮れという空であった。遠野YHは99年9月の時にも宿泊した。この時は2泊してぶらり遠野観光を楽しんだ。その時、あまりにも居心地がよいので、今回もお世話になったという訳だ。

 さて今日の宿泊客は5人だけ。それも全て男である。ペアレントは心底残念がっていたが、夜の宴会では結構盛り上がり、世代が近いと言うこともあって下ネタからキャンディーズの話題、さらには遠野の民俗学についてなど、いろんな幅広い話題で盛り上がった。久々の宿での談話であった。

(注3):賀曽利隆さん

 ツーリングライダーの間では『神様』と崇められている方です。50歳を越えてもバイクでの日本一周やユーラシア大陸横断などを行っている鉄人です。病

気や事故などで何度か『死』の寸前まで行かれたこともあったのですが、危機一髪で乗り切り生還されています。別名『不死身のカソリ』とも言われていま

す。

 99年9月7日、賀曽利さんは『日本一周・東日本編』の最中で小岩井牧場近くを走っておられたようです。偶然同じエリアにいたのですが、ニアミスしてし

まい会うことが出来ませんでした。小岩井牧場で賀曽利さんと出会い、同日遠野YHで私と会ったU氏について、賀曽利さんは著書『日本一周・バイク旅4

万キロ』(下巻)のp62で触れられています。

 同書の小岩井牧場付近についての記述を読んでいると、場所は違えど同じ時間に同じエリア内にいたので、妙にリアルに感じてしまいます。

■松川地熱発電所

 火山近くにある地熱貯留層と呼ばれる地層に井

戸を掘ると、地下の高い圧力や温度によって蒸気

や熱水が噴き出します。この蒸気の力を利用して

タービンを回し、電気を作るのが地熱発電です。

 松川地熱発電所は、1966年(昭41年)に完成

した日本最初の商業用地熱発電所。ここで生み出

される電気は23500kW。それだけの電力を生

み出しておきながら、排出される二酸化炭素は火

力発電所の1/10〜1/100ぐらいなのです。ま

さしく『地球にやさしい』発電所なのです。

 地球そのものがボイラーとなるので、半永久的に

原料は尽きることはなく、石油などの燃料を必要と

しないのです。

 上写真は駐車場から撮影した松川地熱発電所。

左にある大きな壺のような建物が冷却棟で、高さ

46m、直径45mもあります。

 タービンを回した高温の蒸気は、復水器と呼ば

れる装置で冷却水と混ぜられて水になります。

ところがこの水(循環水)は高温のまま。このままで

は再利用できないので、冷却棟内で空気で冷やさ

れて冷却水となり、組み入れられた川水と共に復

水器に回される仕組みになっています。

 冷却棟は自然通風式なので、冷却水などが水蒸

気となって外に出て行きます。松川温泉などで空か

ら降ってくる霧雨は、ここから出された水蒸気なの

です。

 ちなみに、松川地熱発電所には、『蒸気井』と呼

ばれる蒸気を取り出す井戸が10本あり、だいたい

深度1000〜1500mまで掘られています。発電

所内におけるパイプラインの全長は約2400m。

 蒸気条件は、圧力3.5kg/㎠、温度190℃、蒸

気消費量200t/hだそうです。(パンフレットより)

●松川地熱館

 松川地熱発電所内にある資料館です。ここでは

地熱発電の仕組みや、実際に使用されていた発

電機の実物が展示されています。

 地熱を利用するだけあって、タービンはめちゃくち

ゃ大きく、これを回す力のある蒸気を生み出す自

然というモノを、改めて『凄い』と認識させられま

す。

 地熱館内には土産物コーナーがあり、木鹸(もっ

けん)と呼ばれる珍しい石鹸のようなモノが売って

います。是非、一度見学して見て下さい。

◇開館時間 午前9時〜午後4時

◇休館日 12月29日〜翌年1月3日

 (臨時休館日あり)

◇入場料 無料

◆アクセス

 東北道松尾八幡平ICよりr45〜r212で、バイク

・車であれば約30分で到着します。

 すぐ近くに松川温泉『峡雲荘』があります。温泉

の後に訪れるのも良いでしょう。

 地熱館に展示されているタービンと操作盤。

   

【2002.08作成】

2001年10月28日(日) 【岩手県遠野市『とおのYH』→宮城県仙台市『仙台メープルYH』:210km】

お見送り

 午前6時半頃に目が覚める。朝食の前にぶらりと周囲を散歩する。霧が発生しており、少し違った遠野の風景を見ることが出来た。今日は朝からどんよりとした曇り空だ。天気予報では東北地方は昼頃から下り坂になるとのこと。昨日まで晴天続きだったので残念だ。

 朝食の後、パッキングを済ませて出発準備を終える。しばらく玄関先であれこれ話しながら、先発組を見送る。ペアレントとヘルパーさん達の『いってらっしゃぁ〜い!』という大きな見送りの声援を受けて皆出発して行くのだ。こういう『お見送り』をするYHは少なくなってきている。こ

うして『お見送り』をしてくれるのは大変うれしい事なのだ。「また来てみよう」という気になってしまうものなのだ。

 午前9時半過ぎ、私もその『お見送り』を受けて遠野YHを出発した。今回は行程の都合で1泊だけだったが、また遠野YHに泊まり遠野巡りをしようと思いながら遠野を後にした。 

総走行距離30000km達成

 明日の仙台FT12時発の太平洋フェリーに乗船することにしていたので、今日は仙台で泊まることにしていた。目的地は仙台なので、ふつうに走って行けば昼過ぎには到着する。時間はあるが内陸経由か海沿いを走るかで迷った。しばらく海を見ながら走っていないので海岸沿いに進むことにし、とりあえずは陸前高田まで向かうことにする。

 遠野市街に出てからR283に入りR340にスイッチする。R340は岩手県八戸市と岩手県陸前高田市を結ぶ東北縦断3ケタ国道。遠野市以南の区間は整備が進み、ほとんどが広い2車線幅の快適な道になっていた。淡々と農村や小さな町を通り過ぎて行く。

 陸前高田市の市街に到着したのは午前11時過ぎ。R45との交差点の手前で、メーターが『29997km』を示していた。もうすぐ『30000km』だ。このままR45に入ると橋やトンネル、バイクを停めるのが困難な場所でメーターが『30000』をしてしてしまうかもしれない。メーターの写真を撮影するために、わざわざR340に戻り道幅の広いR340BP区間を1往復する。そしてついにメーターの数字が『30000.0』を示した。交差点入口直前で、ギリギリ歩道に入ることが出来た。そうして左写真を撮影。ZRX1100を納車してから2年6ヶ月少しでの『30000km』達成であった。次に狙うは『40000.0』のメーター撮影である。(注4)

雨の仙台

 陸前高田市市街で『30000km』を達成すべくウロウロしている間に、遠野YHで出会ったZZR1100ライダーさんとすれ違った。R45に入るが交通量が多いので、大人しく車列に入りダラダラと南に向かって進んで行く。数台前に先ほどのZZR110

0の姿があった。やがて先行する車が1台また1台とR45から去って行き、気が付くと2台が併走し始めていた。

 宮城県本吉町にある道の駅『大谷海岸』で休憩のために立ち寄る。YHではほとんど話さなかったZZRライダーさんとしばらく雑談する。千葉から来たライダーさんはこれから郡山に向かうという。なんでも親戚一同で旅行に来ているので顔を出さねばならないらしい。「宿泊費はタダなんだけど、もしかしたらハメられて見合いさせられるかも知れないよ」と笑って話してくれた。

 ライダーさんはもう少し休憩するというので、挨拶して別れ南に向かう。宮城県本吉町からはR346に入り、宮城県の内陸を縦断することにした。R45は交通量が多くペースが上がらないので避けることにしたのだ。R346は東北地方南部の農村地帯を通り抜けるが、岩手県や秋田県といった北部とは違う農村の風景・雰囲気がある。南部の農村はどことなく都市郊外の農村地帯という感じを受けた。

 13時過ぎに道の駅『よねやま』に到着し休憩する。南を見てみると重たそうな雲がかかっている。この付近は雨は降ってきてはいないのだが、もしかしたらこの先で雨が降り出すかも知れないと思い、荷物を濡れないようビニールなどで包み防水のアンダーズボンだけはいて出発した。

 案の定、宮城県南郷町に入った付近から雨が降り出した。最初はパラパラと降ってきていたが、やがて雨脚は強くなってきた。途中で停まって、ツーリング出発直前に購入したゴアテックス製のレインジャケットを着込み、ブーツカバーを取り付ける。レインジャケットは初めて使用す

るのだが、さすがはゴアテックス。撥水性・防水性は抜群だった。

 雨の中を走ると気分は憂鬱になる。ダラダラとR346を南下し、宮城県松島町から再びR45に入る。ところが日曜日ということもあって松島海岸付近は大渋滞が発生していた。一大観光地の松島海岸を通り抜ける区間は、道路を拡幅することもままならず路肩の狭い2車線道のままなのだ。そんな所を車やトラックが通る上に、観光客の車や観光バスが押し寄せるために渋滞が発生していたのだ。対向車も多いことから抜くに抜けず車列に入ってゆっくりと進まざる得ない。松島海岸に寄ろうかと思ったが、あいにくの雨と渋滞で立ち寄る気はなくなり、ただただ渋滞から解放されたいとだけ考えていた。

 松島海岸を抜けると渋滞は解消された。しかし雨は相変わらず強く降っている。先ほどの渋滞で疲れ果てている上に雨ということで、徐々に疲労が蓄積され始めていた。温泉でもあればよいのだが、残念ながら本日のルート上に温泉はないのだ。危ないことに塩竃市街で集中力が途切れてしまい、右折しようとした交差点で直進車とぶつかりそうになった。

 集中力を高め、R45を仙台に向かって走って行く。道幅も片側2車線の4車線道路となるが、路面が轍が出来ている箇所あったり、横断歩道やマンホールの蓋などがあるため、雨の中走るのにも気を遣う。ようやく仙台市内に入るが、雨脚はさらに強くなる。こうなるとどこにも寄りたくなくなる。仙台市街中心部に直行し、早くも15時30分頃に『仙台メープルYH』に到着した。 

仙台メープルYH

 大雨の中YHに到着したが、ペアレントは不在であった。疲れた表情であまりにもみすぼらしい格好に見えたのか、ここの息子さんが『この部屋に入っていいですよ』と言ってもらえた。ありがたい。雨の中を待つのは辛すぎる。とりあえず濡れた荷物をバイクから下ろし玄関先に置いて雨水を拭き取る作業を始める。それが終わるとずぶぬれのジャケットなどを全て脱いで軒先に吊して干させてもらった。やがてペアレントが帰宅。手続きを行う。『仙台メープルYH』は今年2回目で、今年の9月8日に宿泊していた。1月ちょっとの再訪なので覚えて下さっていた。

 夕食前、風呂に入り冷えた体を温める。雨の中走ってきたので暖かいお風呂は何ともありがたいモノだった。風呂から出ると夕食。宿泊客で夕食を食べるのは私だけ。隣のテーブルではペアレントの家族が夕食を食べている。その横で1人食事を食べていると、なんか居候のような気分になってしまう。

 部屋に戻る。私の他に2人が同室でいたが、1人はベットに横たわって携帯でひたすらメールを打ちまくっている。もう1人は持ち歩いているノートパソコンにデジカメを繋いで、画像の編集作業に没頭されていた。旅行関係のホームページを持っていて、「リアルタイム、毎日更新」でもしているのだろうか?どうでもいいことだが、なにも旅先でサイトの更新作業などしなくてもいいのに・・・何をしに『旅』しているのやら。小一時間問いつめたい・・・

 部屋にいて会話はなく、メールとパソコンのキーボードを打つ音しか聞こえない。めちゃくちゃ面白くないので、談話室に行き記録をつけながらペアレントとあれこれ話していた。

 こうして日常を旅先にまで持ち込む旅人が間違いなく爆発的に増えている。YHやとほ宿でも『個人の時間・空間』を重視し、同室においても他人と接し話すことすらしないで寝てしまう人が多い。話し接するのが面倒だと考えるのか単に接し方・話し方を知らないだけなのだろうか?時代の流れだなのかなぁ?だとしたらそれは寂しいこと。『旅』が『旅』でなくなる。旅先で他人とコミュニケーションとれないで、仕事の取引先の人とコミュニケーションとれるのかなぁ?旅と仕事は別問題なのかね?こう書いてぼやいている私は古いタイプの『旅人』なのですな。

 23時半頃に部屋に戻ると、二人は寝ておりました・・・もう何も言うまい。私も寝よう。いろいろと考えさせられる仙台の晩でした。

注4:ちなみに『10000.0』は自宅近くの路上で達成。『20000.0』は三重県上野市内の名阪国道道路上にて達成しました。記念すべき『キリ番』なの

   で、共に写真を撮影しました。

2001年10月29日(月) 【宮城県仙台市『仙台メープルYH』→仙台FT:55km】

松島や。ああ松島や。松島や〜い。

 翌朝7時頃に目が覚める。昨日干していたジャケットなどを回収しに外に出ると、空は晴れていた。昨日大雨を降らせた低気圧は東の海上に抜け、今日の東北はさわやかな秋晴れだそうだ。残念ながら今日の12時20分発のフェリーに乗らなくてはならないので、秋晴れの空の下を走ることが出来るのは仙台FTまでとなる。

 朝食を食べて出発準備をする。その間に同室の2名はそそくさとYHを出て行った。ほとんど話さずに終わった。一体どこから来てどこに行くのか?謎の多い2人であった。

 ペアレントに挨拶して9時過ぎに出発する。時間があるので松島海岸に寄ってから仙台FTに向かうことにした。昨日走ったR45を走るのは面白くないので、仙台市街からr8(県道仙台松島線)に入り松島へ向かう。r8はR45とほぼ平行している。月曜日の午前中だったが、走っている車はR45よりも少なく流れは良かった。

 45分ほどで宮城県松島町愛宕に到着。松島海岸に向かおうとR45に入った途端、長い車列が・・・ 渋滞である(T T) 観光バスの他にトラックや工事車両などの姿が見える。考えてみれば、今日は平日の月曜日。『仕事』されている方の車が走っているのだ。

 しばらく待ってみるが、車列は一向に動く気配を見せない。このままいるのはイラつくだけなので、松島海岸に行くのをあきらた。対向車が来ないことを確認してUターン。脇道に入り小さな山を越えてr8に戻る。仙台市街に向けて走るが、松島海岸ICから三陸自動車道に乗り込み仙台FTを目指した。

仙台FT

 三陸自動車道仙台港北ICで下りる。そこから仙台FTまではわずかな距離だった。高速に乗っていた時間は15分ほど。渋滞気味のR45を走るよりは遙かにアクセスが良い。

 午前11時前に仙台FTに到着する。すでに名古屋FT行きのフェリー『いしかり』は接岸しており、忙しくトレーラの積み込み作業が行われていた。待機場にはすでに数台のバイク・車が停まっている。『なにわ』『和泉』『姫路』など関西ではおなじみのナンバープレートを久々に見ることが出来た。バイクは4台、それと荷物満載のママチャリが1台待機していた。

 チケットを購入し待機場に戻る。隣に停まった50歳代のハーレーのライダーと少し話すが、すぐに乗船開始の案内が流れたのでバイクのエンジンを掛けて待機する。

 11時40分頃に車両甲板への乗り込みが始まった。車両甲板に乗り込にバイクが固定される。これで東北の地ともお別れだ。気が付くと隣にママチャリが停まっていた。持ち主はすでに移動していたので話し損ねた。どうやらママチャリで『旅』されているようだ。

 二等寝台に荷物を置いてからカメラを持って甲板へと上がる。今日は快晴。青空が広がっている。今回のツーリングでは昨日1日だけ雨に降られただけで、他の日は快晴の良い天気に恵まれた。

 今回のツーリングで心残りは、八幡平の籐七温泉に入ることが出来なかったことだ。樹海ラインを走ることが出来なかったのも残念だ。まぁ逃げやしないので、またいずれ訪れてやろうと心に決める。

 12時20分、フェリー『いしかり』は仙台FTを定刻に出港し、名古屋FTへと向かった。

太平洋フェリー

 いつものことなのだが、帰路(復路)のフェリーの中ではやることがない。しばらく船内でだらだらと過ごす。14時頃に名古屋港発のフェリーとすれ違う。9月のフェリーではその時間帯に『船長トークショウ&ブリッジ見学会』が開かれ、ブリッジからすれ違うフェリーを見ることが出来た。名古屋行きのフェリーでも開催されるだろうと思って待っていたが、どういうわけか一向に開催する気配がない。アナウンスすらないのだ。実は9月11日のアメリカ同時多発テロの後、シージャックを恐れた国土交通省から、ブリッジ見学会は当分中止するように言われたため、開催されないのだった。同時多発テロの影響がこんなところにまで響いているのだ。

 となると、やることはなくなった。ベットに戻り寝ることにする。夕食まで寝てウロウロするを繰り返す。バイキング形式の夕食で、腹一杯に食べる。晩に行われるライブショーは予定通りに開催されたので会場に入る。ピアニストとプロの女性歌手が登場。ピアノ演奏とピアノに合わせ、プロの女性歌手が宇多田ヒカルの曲や英語の曲を歌ってくれた。これがうまい。思わず聞き入ってしまった。歌うことで飯を食べているだけある。乗客を退屈さえない催しがある太平洋フェリーは、私の東北ツーリングには欠かせないフェリーなのだ。是非ともブリッジ見学会を早期に再開してもらいたいものだ。

 ライブショーの後、やることもないので23時過ぎには寝ることにした。明日はいよいよ最終日。晴れることを祈ろう。

◆仙台港での写真

 右の2枚の写真は、仙台港に停泊中にフェリー

に舞い降りてきたカモメです。甲板の手すりに舞い

降りてきた所を撮影したのですが、人慣れしてい

るのか、1.5mほどまで近づいても逃げなかった

ので、デジカメの望遠モードで撮影しました。

 鳥のことはよ分からんのですが、右が成鳥なん

でしょうかね?

 もったいので掲載しました。(2001.10.29撮影)

2001年10月30日(火) 【名古屋FT→自宅:333km】

名古屋FT

 朝6時半に目が覚める。朝食の後、荷物をまとめて下船口前に移動する。昨日、仙台FTで会ったハーレー乗りのおっちゃんと出会い少し話す。

 おっちゃんは三重県伊勢市に住む貨物船の乗組員。大阪まで自走し、自分の会社の貨物船に頼んでバイクを乗せてもらい東京まで移動。その後、東北まで気ままに自走して太平洋フェリーで名古屋に戻るという。数年ぶりにライダーに復帰したそうで、復帰早々に東北ツーリングを楽しんだというわけだ。おっちゃんは、『バイクに乗れるのは子供が生まれるまでやで』とかなり意味深な話をして下さった。そうなるのかぁ・・・

 フェリー『いしかり』は午前9時20分に名古屋FTに到着。車両甲板に下りてパッキングを行う。昨日、話損ねたママチャリのおっちゃんと話す事が出来た。聞く所では、会津の山奥からママチャリに荷物を満載して出てきたそうだ。これから地道をひたすら走って和歌山に向かうというのだ。50歳半ばぐらいのおっちゃんは、のんびりと自転車漕いで出発して行った。ママチャリに乗った兄ちゃんには会ったことがあるが、おっちゃんは初めてであった。旅の無事を祈ろう。

 フェリーから下りて、再度荷物を固定する。アメリカンバイクに乗った2人連れのにーちゃんライダーに頼まれて、フェリーをバックに写真を撮影する。その後、私も出発する。

久々の市街走行

 このまま高速に乗って自宅に向かえば、昼過ぎには到着する。そのまま帰ったのでは勿体ないので、少し寄り道して帰ることにした。

 名古屋FTから北に向かい、名古屋の港国道R154を走る。4〜6車線幅の広い道幅の道だった。R1に入り名古屋市街中心部に向かう。熱田神宮の近くでR19に入り、名古屋市街を走る。名古屋市街の道路は広い。6〜8車線ぐらいはあり、大阪のように二重・三重の違法駐車はないので流れは良い。久々の市街地走行だが、すぐにカンを取り戻す。いつの間にか、普段通りの走りをしていた。

 R22に入り北に向かう。広い道を淡々と1時間ほど走ると岐南町に到着し、今度はR21で西へ向かう。岐阜市に入ってR157で北に向かうが、このままR157温見峠を越してみようかと考えてしまう。その思いを抑えてR303に入る。

R303

 今回はR303八草峠を越えて滋賀県北部に出て湖西を下るコースを走って帰ることにしたのだ。R303八草峠は、2000年11月に走ろうと訪れたのだが、バイクのガス不足と八草峠が工事通行止めのために断念していたので、今回がまさしくリベンジということになる。

 岐阜市街を過ぎて岐阜県糸貫町までR157との重複区間を走る。糸貫町からR303単独区間に入り、峠に向かってひた走る。岐阜県揖斐川町に入ると左側に名鉄谷汲線の廃線跡が見えてくる。つい最近まで電車が走っていたのだが、すでに架線は取り外され踏切は線路側が封鎖され、レールはすでに赤錆ていた。

 揖斐川町の町中を過ぎると、R303は山中に入って行く。整備された2車線道を快走して行く。岐阜県横山村に入り、横山ダムを越える。ここまでは2000年11月に走っているので、ここから先は初めて走る区間となる。道は坂内村まで整備された2車線道だった。坂内村の町を過ぎると広狭混在の未整備区間に入る。至る所でR303八草BPが建設中であった。

 14時過ぎに八草TNに到着。全長3025mの高速道路並の立派なTNだ。TN入口の手前からは峠を越える旧道が分岐している。走りたかったが荷物満載のZRX1100では難しい。KSRUでないと走ることはできないだろう。いずれは走ってみたい旧道である。

 立派な八草TNを快走する。TNの中央部で滋賀県に入るが、10月末とは言えトンネル中央部はかなり寒かった。冬場は間違いなく路面凍結するようなTNだ。

 滋賀県に入ると未整備区間にはいる。1.5車線幅の狭路を進むと、関西電力の水力発電所建設現場に出た。八草TNの西側(滋賀県側)は、水力発電所の建設工事と一緒にR303BP建設工事が進められている。一部では橋脚が姿を現していた。

 数年先にはBPが全線開通してR303は快適なワインディイングロードに変わってしまう。それは同時に大型トラックの通行が可能になることであり、敦賀〜名古屋間の最短ルートの一翼を担うR303はトラック街道になってしまうのだ。静かな山間の集落を繋いで走るR303は過去の話となる。関西で言うと、R173のような感じの道になってしまうのかも知れない。

 そんなことを考えながら、すでに2車線道となっている滋賀県内のR303を走る。滋賀県木之本町でR8と合流。これでR30

3の未走行区間を走ったわけで、全区間を走破した事になる。

若狭街道

 R8を少し北上してR303で滋賀県マキノ町に抜ける。このまま湖西を下って行っても良かったのだが、ここまで出てきたということもあり山を1つ越えてR367に出て京都市に下ることにした。

 R367は若狭街道に沿うルートを走る。京都から花折峠を越えて朽木・熊川を経て若狭の小浜に向かう道筋は「鯖街道」とも言われるが、このルートは「若狭街道」と呼ぶのが正しいそうだ。「鯖街道」は京都と若狭・小浜を結んだ街道の総称であり、実

に何ルートもの山越えの街道が存在したのだ。そういう意味では周山街道(現R162)も「鯖街道」の1つとなってしまうのだ。いくつもルートがある中で、R367が沿って進むルートが「鯖街道」と名乗るにふさわしい歴史的背景を持っているために、そう呼ばれているらしい。 

 狭い2車線道檜峠を越えると朽木村に入る。朽木村市場地区を過ぎると安曇川に沿って進んで行く。このルートは、16世紀後半に、越前の朝倉義景と近江の浅井長政の挟撃を避けるべく撤退した織田信長が南下したルートなのだ。何気ない道でも、少し調べるとこんなことが判明するので面白い。

 道はやがて山間へと進む。一部に狭路があるが、概ね整備されており快適な2車線道となっていた。やがて1970年(昭45年)に開通した花折TNを抜けると、R367の山場である花折峠のワインディングに差しかかった。17時前のことだった。

バイク事故

 と、言っても私が事故に遭ったのではない。正確には『事故に遭ったライダーに事故直後に会った』ということになる。

 花折TNの京都側の道は2車線幅の急勾配・急カーブが連続するワインディング。荷物満載なのでゆっくりと走って行く。最初の急な右カーブに差しかかると路肩にバイクが横たわり、その横でにーちゃんが立っていた。対向車線側には軽自動車が止まっていて、携帯電話でなにやら話していた。事故のようだ。

 呆然として立っているにーちゃんに話しかけると、『大丈夫です・・・』と答えた。擦り傷があるが頭は打っていないようだ。知らないフリをして去るのは気が引ける。坂のカーブの途中だったので止まるわけにはいかないので、少し先の見通しの良い所でバイクを止めて事故現場に駆けつけた。

 バイクか車のどちらかがセンターラインをはみ出して接触事故を起こしたのだと思っていたが、実はバイクがスピードを出し過ぎでカーブを曲がりきれずに自爆したのだという。彼が乗っていた新車のCB400Fourはガードレールの下に食い込み、エンジンのクランクケースは割れオイルやガソリンが漏れている。彼は転けた時に投げ出されたが、骨折はしておらず傷を負ったぐらいであった。車の運転手は事故の相手だと思っていたが、たまたま通りがかったライダーでもある郵便局員だった。見るに見かねて止まり、警察に連絡してくれたのだ。バイクには『レッドバロン』のシールが貼られていた。そこで購入したと言うことで、『レッドバロン』に連絡して事故ったバイクを回収するように連絡するよう勧めるが、携帯を持っていないというので私の携帯電話を貸して連絡させた。

 やがて警察と救急車が到着した。彼は救急車に乗せられ病院に運ばれた。実況見分が終わる。バイクをこのまま置いておく

と、2次事故が起こるので撤去作業をする。バイクはガードレールの下に深く食い込んでいたので、私も手伝ってバイクを引っ張り出し近くの草むらに置いておく。漏れたオイルとガードレールは問題ないということで、やがて警察は去って行った。郵便局員も去り、現場にはバイクの破片が残っているだけだった。『レッドバロン』にもう電話して詳しい場所を連絡しておく。

 すっかり日が暮れてしまった。「彼はもうバイクに乗れない(乗せてもらえない)かも知れない」と思いつつ、17時20分頃に現場を出発した。

 この間約40分。その間に何台もの車が現場を通り過ぎて行った。おっちゃんらが乗った車が1台だけ止まって『大丈夫か』と声をかけてくれたが、止まってくれた車は1台もなかった。『バイクが事故ってる』とか『暴走族が事故っている』という感じで見ているだけだった。バイクも数台通り過ぎたが、1台たりとて止まるバイクはいなかった。同じライダーなら止まらないまでも、声をかけて欲しかった。

 『助け合い』の気持ちが消えてしまったのだろうか。皆、あまりにも冷たすぎる。誰も走っていない山中で1人だけで事故を起こしたときの寂しさ・不安というものは計り知れない。表現しようもないぐらい凄いものなのだ。そんな時、声をかけてくる人や助けれくれる人がどれほどありがたいか・・・ 実際に事故などに遭わないと分からないのだろうか?

 『助けないと助けてもらえない』、『助けられたから助けてあげる』ものだと思っていたから、寂しい現実を見せつけられたようで寂しい思いをした。

帰宅

 R367で京都市街へ抜けるのを止め、途中TNの北側でR477に入る。すっかり暗くなったR477を琵琶湖方面に走る。夕方の帰宅ラッシュの時間帯なのでR161を走るのは避け、真野ICから湖西道路に入って京都へ向かう。湖西道路からR161西大津BPに入ると交通量が多くなる。

 京都東ICから名神高速に入る。桂川PAで休憩。ここからは良く走るルートだが、ああいう事故を見てしまった後なので慎重に運転する。朝8時に飯を食べて以来、なにも食べていないこともありかなり疲れていた。判断力も鈍っているようなので、かなり慎重に80k/hぐらいで走る。

 吹田JCTから近畿道〜阪和道で南下。岸和田和泉ICで下り、いつもの道を進む。19時45分、無事に自宅に到着。7日に及ぶ秋の長距離ツーリングは無事に終了した。

 さて次はどこに行こうか?(^^)

【東北ツーリング2001終わり】

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つーりんぐれぽーと