◇零戦
零式艦上戦闘機。日本帝国海軍の主力戦闘機です。あまり飛行機に興味のない方でも、『ゼロ戦』と聞けば分かるぐらいに有名な、太平洋戦争におけ
る日本の代表的な戦闘機の一つです。
1940年(昭15年)7月に帝国海軍艦上戦闘機として制式採用され、以来5年間、海軍の主力戦闘機として活躍します。大東亜(太平洋)戦争初期は
圧倒的な強さを誇り、「向かうところ敵なし」という状態でした。
しかし、1942年(昭17年)アリューシャン列島に不時着・大破した機体をアメリカ軍が捕獲・修理。徹底的なテストを重ねてデータを得、対抗機を誕生
させたこともあり、戦争中期以降は徐々に劣勢となりました。生産機数は一万機ほどもあったことから、戦争末期は250キロ爆弾を積み、海軍の特別攻
撃機の主力として散っていきました。
長く生産されたこともありバリエーションは多く、初期の一一型、空母搭載を考慮した翼となった二一型、翼端の形を変えた三二型、エンジンの形状を
変えた五二型、戦闘爆撃機型の六三型などが登場。それぞれの型でも改良を重ねて何種類かのタイプ(甲乙丙)が作られています。
日本や世界各地に比較的多く残っており、アメリカなどでは(レプリカも含めて)飛行可能な零戦もあり、熱狂的なファンがいるようです。
●展示機の経緯
展示されている零戦は五二型丙。操縦席に防弾板を装備し、機種の機銃を廃し主翼の20ミリの外側に13ミリ機銃を増設し、小型ロケット弾を発射可
能にしたタイプ。
展示機は1945年(昭20年)5月、沖縄作戦(菊水作戦?)中にエンジントラブルのために、鹿児島県沖の甑島(こしきじま)列島の下甑島、下甑村に
ある手打湾沖に不時着・沈没した零戦です。手打港沖約500m、水深35mの海底から1980年(昭55年)6月に知覧町が主体となって引き揚げられま
した。
展示機は復元されることもなく、引き揚げ当時の姿のまま展示されています。 |