>>その1

>>東北&北海道TOURING2003 その2

●八甲田周辺の温泉巡り

 『銅像茶屋』を後にしてr40を少し進む。脇道に入り向かったのは温泉宿の八甲田温泉『遊仙』。今日は日曜日ということもあってか訪れている客は多い。駐車場も車で一杯だった。車を止めてタオルを持って温泉へ向かう。

 温泉は内湯と露天風呂がある。内湯は円形の浴槽で、仕切で「熱い湯」と「温めの湯」の2つに分けている。泉質は含土類石膏茫硝泉(がんどるいせっこうぼうしょうせん)。浴槽を含めて内湯の床は温泉の鉱物成分がこびり付いて赤茶色に着色している。  一方の露天風呂は岩風呂風で、底に成分が沈殿していて黄色くなっていた。どちらも入浴すると肌がヌルヌルしてきた。肌によい泉質なのだろう。女性風呂と宿泊者向けの温泉浴室には「ラムネ温泉」と呼ばれる酸性明礬泉の浴槽があるのだが、こちらは入っていない。露天風呂に入ると白樺林を眺めて入ることが出来るので、かなりくつろいで入ることが出来た。もう少し長居したかったのだが、人が多くてゆっく

りしていられなかったので30分ほどで温泉から出て出発した。どうも人で混雑してる温泉は苦手だ。

 次に向かったのが谷地(やち)温泉。r40〜R394でR103に出る。R103とR394との交差点付近にある狭い林道のような道を進むと、突き当たりにあるのが谷地温泉。開湯400年という歴史のある温泉で、もともとは湯治場だった温泉だそうだ。山中にある一軒宿の温泉なのだが、日帰り入浴も可能。こちらも人気のある温泉のようで、駐車場は満杯。私と入れ替わりで車が1台出て行ったので、すんなりと止めることが出来た。

 温泉宿はかなり年季の入った木造の建物で、廊下をギシギシ音をたてて歩いて行く。天井にはむき出しで電気コードが走っている。階段も中央部は反っていたりするなど、そこかしこに秘湯そして歴史を感じさせる温泉宿だ。やがて浴室へ着く。実はこの温泉は男女混浴だったりする。ヽ(゚∀゚)ノ 女性専用風呂もあるのだが、男性は混浴浴室に入ることになる。

 脱衣所から浴室に入る。浴室は木造で床や浴槽はブナを使用しているとのこと。浴槽は2つあって、脱衣所寄りがぬるめの湯で「霊泉」とよばれる単純硫化水素泉、奥がやや熱めで乳白色の硫黄泉の湯となっている。内湯で2つの源泉湯があるという珍しい温泉だった。打たせ湯(こちらも混浴)もあるらしいのだが、そちらは入っていない。

 「若いね〜ちゃんと混浴出来るかな」と期待したのだが、残念ながら若いね〜ちゃんはいなかった。(´・ω・`) ショボーン いるのはおばはんだけ・・・。せっかくの混浴が・・・_| ̄|○

 気を取り直して湯に入ろうとしたのだが、「霊泉」と呼ばれる方の浴槽は10人ぐらいのグループ

に占拠されていた。よく来る常連グループのようで顔見知りのようだ。おっさん4・5人とおばはん5・6人が世間話に夢中になっていた。「ぬるめ」なので長時間入って居ることが出来るためになかなか出てこない。片隅から入ろうかと思ったが、「我々のもの」というような感じでさりげなくガードしてよそ者の入浴を拒んでいる。こうなると無理にでも割り込んでやるのだが、おばはん達がしっかりとバスタオルを巻いて入浴しているのを見て入るのをやめた。

 

 「バスタオルについた雑菌が湯の中で繁殖するやろが!」ヽ(`Д´)ノ

 

 断っておくが、裸でないから入浴しなかったのではない。バスタオルを巻いたり水着を着て入浴すると、ぬるま湯の温泉の場合はタオルなどに付着した雑菌が繁殖して衛生的に劣悪な湯になるためだ。テレビや宣伝チラシで、女性モデルやタレントがタオルを巻いて入浴しているのがそもそも間違いなのだ。それが当たり前だと思いこんでいる人も多い。以前、北海道の某混浴無料露天風呂で水着を着て入ってきたバカップルが、地元の強面のおっちゃんに「水着を着て(温泉に)入るな!出て行け!」と一喝されるのを目の前で見たことがある。これもその類の連中だろう。

 温泉で雑菌が繁殖して不衛生になる原因は濾過(本来あってはいけないのだが・・・)が悪いのではなく、こういう認識の欠如にも原因があるのだと思う。なのに某省の役人どもは、天然温泉にすら塩素を入れて殺菌することを義務づけようとしている。日本の温泉を破壊するつもりなのかと、小一時間問いつめたい・・・(以下略

 よほど体の抵抗力が低下しない限りは大丈夫なのだが、なんか気持ちが釈然としない。そのままに奥にある熱めのお湯につかる。こちらは硫黄泉で乳白色の湯。少し熱めなので雑菌は死滅するのでこちらの方が安全だ。しかし長く入っていることが出来ず、20分ぐらいで脱衣所に引き上げた。

 R103を青森市街方面に向かう途中、酸ヶ湯温泉があった。3湯目にと考えていたが、駐車場が満杯になっているのを見て入浴する気が無くなり、素通りして青森市街に向かった。

【写真上】:八甲田温泉『遊仙』。

【写真下】:谷地温泉。

●八甲田丸

 温泉に入ったためか、眠気を感じながらも無事に青森駅前に到着して車を返却する。帰りに乗ろうと思っている列車までまだ1時間半もあるので、青森駅すぐ横にある『青函連絡船メモリアルシップ〜八甲田丸〜』に向かう。1988年(昭63年)3月の青函トンネル開通により役目を終えた青函連絡船に関する博物館である。博物館といっても立派な建物というのではなく、連絡船『八甲田丸』を丸ごと博物館にしたものだ。船はかつての青函連絡船用の第二岸壁に係留されている。コンクリートなどで岸壁と固定しているのはなく、ロープで係留されているだけなのだ。船内(館内)に入ってもわずかな揺れを感じたりするので、船内にいることを感じさせてくれる。

 連絡船の乗下船口が出入り口になっている。入口正面にチケット売り場があり、ここで入場券を購入する。このフロアは『船楼甲板』と呼ばれており、階数で表示すると2階となる。現役時代は普通客室になっていたフロアで、普通椅子席と普通桟敷席(いわゆる雑魚寝ルーム)、団体用桟敷席があったところだ。

 現役時代の案内所が防災センターとして残っているだけで、設備はほとんど撤去されていた。唯一現役時代のままだったのが、グリーン座席のある遊歩甲板に向かう階段。この階段はそのまま利用されており、登るとそこから上の階は有料エリアの『青函連絡船記念館』となっている。

グリーン椅子席や寝台室は一部を残して撤去されており、他のスペースは青函連絡船についての展示室となっていた。

 記念館は3階『遊歩甲板』→4階『航海甲板』→1階『車両甲板』→B1階『第2甲板』→1階『車両甲板』→2階『船楼甲板』という順序で乗下船口に戻ってくる。その間に青函連絡船に関する展示室や船のブリッジ、エンジンルームなどを見ることが出来る。

現役時代には見ることが出来なかった箇所に入ることが出来るので大変興味深い。『車両甲板』には、キハ82やマニ50形客車、DD16や控車など、各種の車両が展示されている。これらの車両は船で運んだ時のように固定されている。

 車両を見ていたらかなり時間が過ぎていた。気が付くと列車の出発時刻に近づいて来たので『記念館』を出ることにした。岸壁に戻り『八甲田丸』を前から撮影し青森駅に向かった。

【写真】:メモリアルシップ『八甲田丸』乗下船口。現役時代を彷彿とさせてくれます。

青函連絡船記念館 〜青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』〜

●青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』

 青函連絡船の歴史を伝えるべく、青森駅の旧青

函連絡船用第二岸壁に係留された連絡船を利用し

て、1990年に開設された記念館です。船は青森

県にゆかりのある船名ということで『八甲田丸』が選

ばれました。

 船は外見などはほとんど手を加えられることなく、

現役時代に近い姿を保っています。往事の雰囲気

を知る方には懐かしい姿でしょう。

 経営的にはかなり厳しい状態だそうですが、青森

の歴史を語る上ではなくてはならないのが『青函連

絡船』。その歴史を伝える貴重な生き証人なので末

永く活用して欲しいものです。

 なお、函館港には『摩周丸』が記念館として係留

されています。

●青函連絡船記念館

 外見と違って船の内部は大きく姿を変え、『青函

連絡船記念館』(有料)となっています。

 順序としては、2階→3階→4階→1階→B1階→

1階→2階となります。各階は階段とエレベータで

移動します。

>>B1階:第2甲板

 船の底部に位置するフロアです。ここは船の心臓

部にあたるエンジンルームとなっています。現役時

代には見ることが出来なかった主機室や発電室な

どを見学出来ます。

>>1階:車両甲板

 車両といっても乗用車やトラックのための甲板で

はなく、鉄道車両や貨車を積むフロアです。連絡船

での営業車両の航送は行われていなかったので、

本州〜北海道間の貨物車両がほとんどでした。

 フロアには4本のレールが敷かれており、現役時

代はここに貨車が載せられ固定されていました。

 今は、現役時代に貨車の出し入れに活躍したDD

16型DLや控車、マニ50型客車、貨車数両、そし

て北海道で大活躍したキハ82型気動車が展示さ

れています。

 後部にはなぜか『ねぶた』が展示されています。

>>2階:船楼甲板

 乗下船口のあるフロアです。現役時代は普通椅

子席と普通普通桟敷席、食堂(ならびに調理室)、

シャワー室などがあったフロアです。

 今ではそのほとんどの設備は撤去されており、現

在は防災センターとなっている旧案内所と記念館

へ上るための階段が往事の面影を残してます。

 現在はレストランと多目的ホールになっています

が、レストランは不定期営業だそうです。このフロア

は無料開放されています。

>>3階:遊歩甲板

 現役時代はグリーン席や寝台室があったフロアで

す。喫茶室も設けられていました。船の後部には乗

用車(航送自動車)を積む車両甲板がありました。

(ちなみに車両甲板は吹きさらしです。)

 現在はフロア全体が『青函連絡船記念館』となっ

ています。後部左舷は「津軽海峡文化コーナー」と

なっており、リアルなマネキン人形によって大正時

代の風俗(連絡船の風景?)が再現されています。

右舷側は3D立体シアターとなっています。

 前部は青函連絡船の歴史についての展示室で、

歴代の連絡船の模型、明治〜昭和に至る青森駅

の写真や待合室の復元模型、機関車模型や写真

、いろいろな資料などが展示されています。

 現役時代の一人がけグリーン座席も2列残されて

おり座ることが出来るほか、寝台室(入室は出来な

い)も残されています。

>>4階:航海甲板

 船の頭脳・中枢とも言うべきブリッジがあるのがこ

のフロアです。現役時代は一般乗客が立ち入るこ

とは不可能なエリアでしたが、現在は立ち入ること

が出来ます。

 通信室などは入ることは出来ませんが、ブリッジ

内は往事の姿のままとなっています。操船シュミレ

ーションゲームなどがあって結構楽しめます。

 ブリッジから外の甲板上に出ることが出来ます。

煙突内部を上って煙突展望台に上ることも可能で、

連絡船最上部からは青森駅はもちろんのこと、津

軽海峡や青森市街を眺めることが出来ます。

●ご案内

 青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』

所在地:青森駅すぐ横。駅より歩いて約5分です。

◆開館時間 9:00〜19:00

                 (入場は18:00まで)

◆見学料金:他博物館共通の割引券あり。

  大人500円/中高生300円/小学生100円

◆休館日:不定期。要問い合わせ。

◆пF017−735−8150

◆HP:こちら

●蟹田へ戻る

 青森16時40分発の普通蟹田行きに乗車する。復路は701系電車3両編成。朝に乗った電車で見かけた女子高生の姿も見かけた。帰宅するのにちょうど良い時間帯の電車なのだろう。淡々と北に向かう電車。西日が強く車内はかなり明るい。電車は一駅一駅止まりながら客を降ろして行く。やがて眠たくなり寝てしまう。目が覚めると蟹田駅に到着する直前だった。

  蟹田駅から宿へ歩いて向かう。18時前に宿に着く。風呂に入り夕食を食べ、簡単な記録を書く。気が付くと23時だったので寝ることにする。明日は下北半島に渡ることにしよう。

【写真】:帰りに乗った701系電車。隣の列車はEF81牽引の特急『日本海』です。

☆2003年9月1日(月)

◆青森県蟹田町〜(フェリー)〜青森県脇野沢村→青森県大間町→青森県むつ市→青森県脇野沢村

  →青森県むつ市 /◆天気:晴れ/◆走行距離:228km

●陸奥湾(平舘海峡)横断

 今日から9月である。青森地方ではもう少し早いかも知れないが、東京や大阪などでは二学期が始まるようだ。世間一般では月曜日らしい。通勤・通学時間となる8時前後は、旅館でのんびりと朝飯を食べていた。今日から移動を再開する。天気予報では晴れるらしいが薄曇りだ。まぁ、そのうち晴れるだろう。

 お世話になった中村旅館を後にして、すぐ近くにある蟹田港に向かう。ここから下北汽船のフェリーで下北半島に渡るのだ。下北汽船は1998年9月のツーリングで一度利用している。その時は埠頭工事のため漁港に設けられた仮埠頭からの出航だった。 

 乗船券を購入してから専用埠頭に移動する。すでにフェリーは到着しており、乗船する車が数台並んでいる。フェリー『かもしか』は船首を岸壁に着けて停泊していた。9時過ぎに乗船開始。船首からそのまま船尾に向かって乗船。ZRXは手際よく固定される。陸奥湾(平舘海峡)は結構揺れるようだ。

  9時20分蟹田港出航。フェリー『かもしか』は陸奥湾(平舘海峡)を東西方向に横断し、津軽半島の蟹田と対岸の下北半島の脇ノ沢を結んでいる。津軽半島〜下北半島間を青森市街を経由せずに移動出来るので、長距離ツーリングでは重宝出来るフェリー航路だ。近年、収支悪化

などで地方のローカルフェリーが次々休航や廃航となっている中、下北汽船はよくがんばっていると思う。

 フェリーは青函間を行き来する東日本フェリーや貨物フェリー、貨物船や漁船などの間を縫って進んで行く。まだ下北半島の陸地は遠い。

 客室に戻り20分ほど寝る。目が覚めると、遠くに見えていた下北半島の陸地がかなり近づいていた。甲板に出て海を眺めて

いると、フェリーの右側方向に見慣れない灰色の船がゆっくりと動いていることに気が付いた。海上自衛隊の護衛艦のようだ。大湊地方隊(第25護衛隊、第27護衛隊)所属の艦の一隻だろう。

これから津軽海峡に出て行くのだろうか。

 鯛島前を通り過ぎると脇ノ沢の町が近づいてくる。この鯛島には、坂上田村麻呂と地元娘との悲しい物語があるそうな。

 10時20分、フェリー『かもしか』は脇野沢港に到着。1時間の陸奥湾(平舘海峡)横断の旅は終わった。

【写真上】:下北汽船フェリー『かもしか』。蟹田港にて撮影。

【写真下】:これが鯛島。鯨に見えるのですが・・・

●下北半島北上

 脇野沢港に下りる頃には晴れてきて青空が広がってきた。フェリーには乗用車6台と乗客が10名ほど乗船していた。入れ替わり蟹田に向かう乗用車数台と乗客が待っていた。

 脇野沢からは下北半島を時計回りに回ることにする。10時25分頃に出発。青切符の反則金を郵便局で納めたという思い出がある町中を抜けてR338を大間方面に向かって走り出す。町を抜けると道は2車線のまま、何もない山中へと入って行く。やがて急勾配・急カーブが連続するワインディング道路となるが、道は整備された2車線道なので『3ケタ国道』としては走りやすい部類に入る。

 クネクネとした道を走っていると右側に海があることに気が付いた。平舘海峡はR338の左側に見えるはずだという先入観があったため、最初は太平洋でR338はそれほど標高を稼いだのだと思っていた。よくよく考えると、R338から太平洋は見えないはず。では「あの海は何?」と疑問がふくらみ、方向が分からなくなってしまった。(^^;) 一度止まって地図を見て考える。見えたのは陸奥湾だった。地図を見て北に向かって進んでいると思いこんだための誤解だった。R338はウネウネと曲がりくねりながらも、こまめに北西に北東に進行方向を変えていたのだ。うっかりしていると方向感覚を失ってしまう、R388はそんな道である。(^^;)\(-_-)<アメフラシダケヤ・・・

 道ネタの取材も兼ねていたので時々止まっては写真を撮影していた。ふと山の切れ間から見える平舘海峡を海自の護衛艦がゆっくりと移動しているのが見えた。それも3隻もの護衛艦が移動している。それから以後、海自の護衛艦を見ながらの移動となった。

 青森県下北郡佐井村に入ると、道はアップダウンを繰り返す。河口近くのわずかな平地に集落があるので、山の中腹を走るR338は集落の近くになると標高を下げる。集落への道が分岐すると急勾配の上り坂で標高を稼いで山の中腹に戻るということを繰り返すのだ。佐井村牛滝や福浦といった集落は、R338が開通するまで交通手段は船しかなく、まさしく『陸の孤島』だったそうだ。今でも下北汽船の高速船が沿岸の集落と青森港を結んでいる。

 展望台から仏ヶ浦の奇岩を眺めて北上を続ける。下北半島の西側には奇岩が多く、道沿いにも数個の奇岩が立っていたりするなど風景には飽きない。その一つである『願掛岩』を過ぎると

佐井村の中心町に入る。そこから先は整備された2車線道を淡々と進み、脇野沢の町から約80km弱で青森県大間町の町に到着した。約3時間の道のりでした。

【写真上】:R338沿いにあった『海峡ライン』と書かれた記念碑。

【写真下】:仏ヶ浦駐車帯の展望台から見た仏ヶ浦。遊覧船で来る所だそうです。

★願掛岩

 青森県下北郡佐井村佐井の町から南(脇野沢寄り)約3kmの付近にある大きな岩石で、見方によっては男女が抱き

合っていように見えるそうです。写真右の出っ張りのある岩が『願掛岩』です。その岩の右半分の折れ曲がった岩が女

性(女がんかけ)と見ると、左半分の大きな岩が男性(男がんかけ)と見えるとか。男がんかけが海抜103mで、女がん

かけが海抜90mだそうです。

 地元では信仰の対象となっていたとか。記録によると、願掛岩の前にある稲荷社と八幡社が並び立つ鳥居に桜の枝

を鍵として掛け、想い人に想いが通じるようにと願を掛けるという風習があったそうです。また、この岩は山や里の豊

穣、海の幸などを恵んでくれる神々への感謝を表す祈願所でもあったとのこと。

 とても大きな岩なのですぐに分かります。その大きさ・迫力から止まって見とれてしまいました。村の景勝地となってお

り、観光スポットにもなっています。脇野沢方向から北上してくると、遠くから見えてきます。

●問い合わせ>>青森県佐井村観光協会

 пF0175−38−4515

●大間崎

 大間の町中を抜けて大間崎に向かう。大間崎は本州最北端の岬で、竜飛崎よりも北に位置する。天気は快晴で、北海道の陸影がはっきりと見える。対岸は亀田半島(渡島半島の東側)で、対岸には汐首岬がある。大間崎と汐首岬の間は、本州〜北海道間の最短距離だそうで、青函トンネルの候補にもなったルート。それとは別に津軽海峡を渡る連絡橋を建設しようという動

きもあったそうだ。もしもこの地が選定されていたら、大きく姿を変えていたかも知れない。

 バイクを止めて大間崎を散策。たまたま観光客は少なくひっそりとしていた。大音量で演歌を流していない静かな岬だった。数軒の土産物屋が客引きをしている。店先で売られているイカの姿焼きが無性に食べたくなる。腹が減っていたのだ。時間は13時。ちょうど良い時間なので、近くにある食堂に入って海鮮ラーメンを食べる。イカの頭が一匹分まるまると入っている。他にもエビやホタテ、ワカメなど新鮮な海の幸が入っているラーメンだった。(゚д゚)ウマー  腹を満腹にしてから大間崎を後にした。

【写真】:大間崎にある『マグロ一本釣りの像』。1998年3月建立。

マグロは400kg級の実物大だそうです。Σ(゚Д゚)<デカイ!

●ひたすら走る

 大間崎を出発した後、再び大間の町中に戻る。大間のフェリー乗り場に立ち寄り時刻表をもらってから町を離れる。R279に入り、今度は下北半島の北東海岸を南下して行く。西海岸を行くR338とは違い、整備された2車線道が続く快走路。北東海岸は起伏は少なく平坦な地が多いので平坦な道が続く。少しワインディングが残っている木野部峠を過ぎると大畑の町が見えてくる。R279は町を迂回するように進み、やがて青森県むつ市に入る。この付近まで来ると交通量が多くなり、車列に入って淡々と進むしかなかった。

 15時過ぎ、むつ市田名部に到着。宿に入るのはまだ早いので、道サイトのネタ集めということで、R338に入り脇野沢に向かう。16時過ぎ、夕暮れ近い脇野沢港に到着。これで下北半島の頭の部分(北側の三角形の部分)を1周したことになる。すぐに引き返して陸奥湾を右に見ながらむつ市街へと向かう。この区間のR338は平坦な2車線道が続くローカル国道区間。町→海岸→町の繰り返しだ。淡々と進んで行く。

 城ヶ沢海水浴場前を過ぎて海自大湊基地前を過ぎると市街に入る。市街のGSで給油。店員と話す。町のすぐ北側にある山の上にはレーダーサイトがあって、旧ソ連が引き起こした大韓航空機撃墜事件(1983年9月1日)のとき、撃墜を確認したレーダーサイトだそうだ。(稚内のレーダーサイトだったような

気もするが・・・) 偶然だが、今日は事件から丸10年経った日だった。そういう日だから、その話をしてくれたのだろうか?

【写真】大湊にある海自基地前にて。門前にはT6テキサンが展示されていた。

●初めてのビジホ

 18時前に本日の宿である『むつパークホテル』に到着する。ツーリングではYHや民宿などを利用してきたのだが、今回初めてビジネスホテルに泊まることになった。出発前にむつ市周辺で宿泊先を調べたのだが、一番手頃な値段と立地条件が良かったのでここにしたのだ。

 ホテルは2001年(平13年)3月末で廃線となった旧下北交通線(元JR大畑線)の田名部駅前にある。駅周辺にはスーパーや銀行、繁華街があり、青森を結ぶバスターミナルもある。JR大湊線の大湊駅や下北駅周辺ではなく、田名部駅周辺が中心地のようだった。鉄道と駅の廃止によりなんとも中途半端な場所になってしまったようで、町は少し活気がないように思えた。

 さて、ホテルにチェックインする。仕事の出張で来たスーツ姿のサラリーマンが多い中、汚いジャケットを着た私は少し浮いていたように思える。(^^;) 部屋に入り、洗濯物をコインランドリーに入れてから町に出て、近くの中華料理屋で夕食を食べた。

 他に行くところもがないので、食後すぐにホテルに戻る。洗濯物を回収して、部屋で三脚に紐を張って即席の物干しを作って洗濯物を干す。そのあとテレビを見ながら記録を付ける。誰とも話すことなく一人の時間を満喫する。何が何でも他の旅人と話したいという気持ちが薄れてきている。一人でのんびりしたいことが多い時間が多くなってきた。歳をとるごとに、旅のスタイルが変化してきているようだ。23時過ぎ、疲れから眠たくなり寝ることにする。

☆2003年9月2日(火)

◆青森県むつ市→青森県百石町→青森県野辺地町→青森県むつ市→青森県大間町〜(フェリー)〜

 北海道函館市/◆天気:晴れのち曇り/◆走行距離:275km

●下北半島東海岸南下

 8時半過ぎにホテルを出発する。むつ市街を抜けてR338を青森県下北郡東通村方向へ進んで行く。R338は太平洋に出るとそのまま海岸線を南下して行くことになる。下北半島の首部分の東海岸を淡々と南下して行く。道は原野の中を進んで行くので、どこか本州離れした、どことなく北海道を走っているような感じになる。

 東通村南部の白糠地区の集落を抜け、物見崎を越えると青森県上北郡六ヶ所村に入る。放射性廃棄物再処理施設などがあることで有名な村だ。R338は六ヶ所村内で、その再処理施設などをぐるりを回るように取り囲んでいる。道路の地下、とんでもなく深い所に放射性廃棄物が眠っているのだ。((((;゚Д゚)))) そんな施設を受け入れているので六ヶ所村内の道路は大変整備されていた。

 青森県三沢市まで下ってくる。南下するにつれて交通量が増え、町中を通り抜ける時間が長くなる。写真を撮影しながらのんびりと下っていく。三沢市四川目付近まで来ると、上空に戦闘機

が飛んでいることに気が付いた。形からしてF16かと思ったが、三沢基地の空自F2かも知れない。しばらく見ていると『ゴォォォォ』というジェット音が響いてきて、灰色の機体が通り過ぎていった。と、いうことは米空軍のF16かもね。それにしても大きな音だった。

【写真】東海岸を行くR338。何もない原野を走る3ケタ国道。

●下北半島一周達成!

 11時過ぎに青森県上北郡百石町のR45との交差点に到着する。ここで迷った。予定では十和田湖・八甲田経由で青森に抜けて函館に渡るつもりだった。ところが西の方角に広がる十和田湖・八甲田方面は曇り空。雨が降っているのかどうか分からないが、天候は今ひとつのようだ。で、大間に抜けて函館に渡るという第2プランで行くことにした。

 第2みちのく道路という有料道路を北上して三沢市街へ。r8(青森県道三沢十和田線)に入ろうとしたら、三沢市街で道を見失い迷ってしまった。ウロウロしてようやくr8に入ることが出来た。R45の東側を走るr8はバイパス的存在の道。地図を見ると三沢と野辺地を結ぶ最短ルートのようだったので走ってみた。交通量はさほど多くなく、一部にワインディング区間のあるローカル県道だった。 

 12時過ぎに野辺地に到着。ここからR279に入り北上する。下北半島の首部分の西海岸を北上することになる。東海岸を行くR338と比べると、西海岸を行くR279の交通量はかなり多い。トラックの姿が目立つ。それでも信号が少ないので流れはある。気が付くと一人で走っていた。マイペースで淡々と走って行く。やがて大型トレーラーを先頭にした10台ほどの車列に追いつく。これが遅い。40〜50k/hぐらいで走っている。これには参った。イライラし始めたのが分かったので、コンビニに入って車列から離れる。昼飯を食べて気を落ち着かせてからまた走り出した。

 13時半過ぎ、青森県むつ市市街にあるR338との交差点に到着。8時半過ぎに通過した交差

点だ。約5時間で帰ってきたことになる。とにかくこれで下北半島を周遊する国道をすべて走ったことになる。また『8の字』のルートで下北半島をぐるりと一周したことになる。∩( ・ω・)∩ バンジャーイ

【写真】むつ市街のr4分岐点付近にて撮影。恐山は時間の都合でパス。

また訪れてみたい場所です。(1998年に一度訪れています)

●下風呂温泉『大湯』

 むつ市街で給油してからR279を北上。淡々と北上して下風呂温泉に立ち寄る。昨日今日と温泉に入っていないので、東北から立ち去る前に入っておくことにしたのだ。下風呂温泉には1998年9月のツーリングで温泉宿に宿泊しているが、このときは宿の温泉だけ入って公衆温泉浴場には入っていなかったのだ。

 さて下風呂温泉の公衆温泉浴場は2つある。ZRXで細い坂道を上り、その上りきった所にある「新湯」に向かう。ところが「新湯」は休み。もう一つの公衆温泉浴場「大湯」に向かう。

 「大湯」は平屋建ての公衆温泉浴場。男女別の入口があり、入口横に自動券売機がある。入口から入ると番台があって広々とした脱衣場があった。(私的に)必須条件のコーヒー牛乳も売っている公衆浴場らしいところだ。浴室は広く。ここには乳白色の硫化水素泉の入った浴槽が2つある。脱衣室よりの手前が熱め(44〜46℃)、奥が適温(40℃前後)の浴槽。まずは奥にあるぬるめの浴槽に入る。わずかに硫黄臭がする白濁する湯は気持ちよく、疲れを癒すにはちょうど

良い温度だ。5分ほど浸かっていた。逆上せてきたので外に出て体を冷やす。今度は手前の熱めの浴槽は入ってみようとした。

ところがこれが思った以上に熱くて入ることが出来なかった。地元の常連らしきおっちゃんらは平気な様子・・・。やはり普段から入っているからだろう。

 30分ほどして温泉から出る。脱衣室でお決まりのコーヒー牛乳を飲む。この瞬間がたまらない。ヽ(゚∀゚)ノ やはり温泉にはコーヒー牛乳だろう。大満足の温泉でした。

●さらば東北

 下風呂温泉を出て淡々と海岸沿いに進むR279を北上する。15時過ぎ、大間のフェリー乗り場に到着する。これで16時10分発のフェリーに乗船し、今日中に北海道に上陸可能になった。

 しばらくすると1台2台とバイクや車が集まってくる。バイクは全部で6台やって来た。うち1台、群馬から来たライダーは大間まで地道で1泊2日でやって来たという。元気だねぇ〜。

 さて問題は函館での宿であった。携帯(Docomo)のi−modeで検索してみると、湯の川温泉に温泉民宿があることが分かったので電話してみる。部屋は空いているというので予約しておく。これで問題は解決。予定外のことだったのだが、こういう時はi−modeは大変便利である。

 15時半過ぎ、函館からの東日本フェリー『ばあゆ』が到着した。バイク・車が下りてる。16時前から乗船が始まる。16時10分、フェリーは大間港を出港。東北から離れ北海道へ向かう。

15時半過ぎ、函館からのフェリー『ばあゆ』が到

着する。接岸のため旋回中の姿。

フェリーへは後部から乗船する。函館・大間ルート

は本州〜北海道の最短ルート。

大間港を出港。左舷に弁天島の大間崎灯台が見

える。

●北海道上陸 

 フェリーに乗ってから寝る。目が覚めるとすぐ近くに函館山が見えていた。しばらくするとアナウンスが流れた。17時50分、フェリーは函館港に接岸。大間港から1時間40分で到着したことになる。しばらくしてから下船。ZRX1100での2年ぶりの北海道上陸である。フェリーをバックにして記念撮影を行う。大間で会った群馬ライダーと会い挨拶してから函館港を出発した。

 R228に出て函館市街へ向かう。JR線を越えるとR5へ入る。気が付くと先ほどの彼も付いて来ていた。行く方向は同じ様だ。函館駅前で私は左折してR278に入るが、彼は直進して函館山方面に向かった。抜きざま挨拶してくれたので、こちらも挨拶を返す。やっとツーリングらしくなっ

てきたように思う。

 R278に入り湯の川温泉に向かう。すでに日は暮れて周囲は暗くなっていた。海岸近くをしばらく走ると、やがて大きなホテルや旅館が軒を連ねる湯の川温泉街に到着した。ここには1997年9月のツーリングで訪れている。6年ぶりの訪問だ。その時に晩飯(函館港のターミナルで食べた)を買ったローソンがある交差点を曲がる。住所を見る限りではこの付近にあるようだ。

 すぐ次の交差点角に小さな看板があるのに気が付いたが曲がり損ねた。その次の交差点を曲がり、住宅街に入って大きな邸宅前でUターン。曲がり損ねた交差点を入ると本日の宿である温泉民宿『湯っ多里』(ゆったり)に到着した。時刻は18時半であった。

【上写真】フェリーから撮影した函館山。北海道に到着したのだ。

フェリー内で固定されているZRX。見慣れた光景

になってしまった。

函館到着後、フェリー『ばあゆ』をバックに記念撮

影。ZRX、2年ぶりの北海道上陸。

とても広い函館FT。6年前の1997年9月のツーリ

ングは、ターミナルで仮眠していた。

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