北海道ツーリング1997

 

 

 

 

 

期間:1997年9月11日(木)〜9月23日(火)

 

 

北海道ツーリング1997 その2:1997年9月18日(木)〜9月23日(火)

1997年9月18日(木)

 4時に起きる。外は小雨なので望岳台ツアーは中止となる。二度寝して7:30に起きると雨は上がっていた。今日はバイクで三国峠を越すR273を走ってこようかと思っていたが、やっさんにMTB美瑛ツアーに誘われ参加することに。今日もバイクは休みである。

 参加者は、千葉から来たOさん、当別の農場で住み込みをしていたというYさん、大学生I君、CBRライダーのSN君、Yさんと私の計6人。MTBで出発するが、いきなりOさんが転けるハプニング付きであった。美瑛に詳しいYさんをガイド役にして出発する。新栄の丘を回った後、拓真館へ向かう。ここで遅れて出発してきたU君が加わって計7人となる。拓真館前の休憩所で昼食となり、美瑛駅前で買って来たパンを食べる。拓真館は観光コースに組み入れられていて観光バスが絶えずやってくる。数えると15台ほど停まっていた。美瑛の丘も有名な所は観光バスがやってくるが、やはり美瑛は自転車やバイクで彷徨いて自分だけの風景を探した方がおもしろい。作られた名所は好きではない。

 拓真館を出た後、アップダウンのある坂道を走って『千代田ファーム』に移動する。ここにはウサギや山羊、馬や牛、ダチョウなどいろんな動物が居た。ここでは搾り立ての牛乳を使用したソフトクリームがある。皆でソフトクリームを食べてくつろぐ。ライダーのはずがすっかり観光客だ。この後、水沢ダム前を通って美瑛市街に移動する。洗濯物があるU君が先に帰ったので、6人で『北工房』という喫茶店に寄って再びくつろぐ。

 美瑛駅前に出ると見覚えのあるバイクが止まっていた。行きのフェリーで一緒だったS君のバイクだった。東京の友達と一緒に駅前に座っていた。5日前に別れて広い北海道の小さな駅前で再会するとは驚きだ。S君も驚いていた。こういう再会があるから旅は面白い。

 夕方になったので6人で『マイルドセブンの丘』に移動して夕日を見に行く。しかし、丘の撮影ポイントにはアマチュアカメラマンがずらぁ〜とカメラを構えて並んでおり、こりゃ面白くないと言うことでさらに先の丘に移動する。この丘も撮影ポイントらしく、旭川のアマチュアカメラのグループが来ていた。あいにくと雲があって日の入りは見えなかったが、照り返しで空が赤く染まるだけであった。それだけでも十分だったのだが、常連の方々に言わせると『今一つ』だそうな。

 美瑛は丘の街である。緩やかな坂があちこちにあり、MTBで回るには体力がいる。しかしバイクや車では気付かないような風景を見つけることが出来る。時間と体力に余裕があるならMTBで回ることを勧める。

 宿に戻ると、S君とその友達も到着していた。今夜の宿泊客は19人であった。

 この時、太平洋上で発生した台風20号は、本州に少しも近寄らないまま一気に北上して北海道東部に接近してきていた。後日、大阪の知り合いに『おまえは嵐を呼ぶ男』だと言われる由縁となる・・・

(9/18の走行距離:0km)

 

『千代田ファーム』にいたダチョウの頭のア

ップ。この直後、ダチョウにつつかれかけた。気に入っている写真。

『千代田ファーム』でソフトクリームを食べ

てくつろぐ参加者たち。知らぬ人同士こう

して彷徨くのが面白い。

水沢湖。ダムによって出来たダム湖なのだ

が、水がもう少し綺麗なら大雪山が湖面に

映るそうな。昨日の雨で少し濁っていた。

残念。

1997年9月19日(金)

 翌朝、外は暴風雨・・・台風20号は上陸はせずに北海道東部の太平洋上を北東に進んでいた。その取り巻きの雲が北海道を覆っており、北海道全域で雨となっているのだ。今日もバイクは休み。連泊決定である。

 出発組が出て行くと暇になる。Yさんと私で、連泊するOさんと昨日は黒岳に登山に行っていたUTさんを誘い、UTさんのレンタカーで美瑛・富良野をうろつくことにする。UTさんの車で白銀荘を目指す。雨+風のなか白金温泉に向かう。

 こんな天気の中でも『ツール・ド・北海道』が開催されており、白金温泉では選手が通過するまで待たされる。車の外に出て見ると小雨になっていたが霧が発生していた。やがて広報車とパトカーが通過すると、トップ争いの外人選手2人がやって来た。声援を送ろうと思ったが、一瞬の間に目の前を過ぎて行く。交通整理の警官の話では、選手は平地なら40k/h、下りなら60〜80k/hを出して走るとか。感心していると3位争いの集団が通過。以後、選手とサポートカーがバラバラと通過して行く。日本人選手が『前がみえねぇぇぇぇぇ・・・』と叫びながら霧の中に消えて行く。全選手が通過するまで約20分ほどかかったが、選手が通過する度に皆で暖かい拍手を送った。

 交通規制が解除されて白銀荘に着いたのは12時頃。白銀荘は建て替えられたそうで、以前の旧館に泊まったことのあるUTさんとやっさんは驚いていた。小雨の降る中露天風呂を3人で貸し切り。(Oさんは女性なのでいない。)ぼけ〜と小雨の中30分ほど浸かる。

 温泉を出た後、富良野に移動。『北時計』という喫茶店で昼飯を食べる。この後、富良野チーズ工房に寄り、遅れながら風呂上がりの牛乳を飲む。美瑛市街に戻り、『木のいい仲間』に寄ってお茶して『星の庵』に帰った。

 『星の庵』に帰ると、18日に出発したはずのTやんが戻って来ていた。乗って来た自前のインテグラにカマを掘られた(追突された)とかで、むち打ちになって帰って来たのだ。『大丈夫か?』と気遣ったのは最初だけ。大丈夫だと分かれば、あとはそれを話のネタにしてしまう私らは極悪人だろか?いえいえ、それが関西人のノリっちゅうもんです。

 今夜も宴会は盛り上がりました。

(9/19の走行距離:0km)

雨の中、『ツール・ド・北海道』は開

催されていた。霧の中選手達が駆

け下りて行く。そりゃすごい速さじゃ

った。写真は中盤の選手グループ。

富良野にあるチーズ工房に寄る。

ここでもソフトクリームを食べた。

1997年9月20日(土)

 台風20号は北海道の遙か東に抜けて北海道は快晴となった。今日はバイクで移動する。気が付くと、この宿に4連泊もしていたのだ。長期連泊組は今日で皆出発する。居心地の良い宿だっただけに離れるのが辛い。9:30頃にやっさんと一緒に出発する。

 Yさんとしばらく美瑛を彷徨いた後、美瑛市街でやっさんと別れてR237を富良野に向かう。富良野からR38で狩勝峠を越して十勝清水へ。R274〜r85でR273に向かう。然別湖を過ぎたr85幌鹿峠では、カーブを曲がると目の前に鹿がいた・・・おぉ、さすが北海道だ。感心している場合とちゃう。スピード出していたら事故ってましたで・・・

 R273に入る。94年頃まで深砂利ダートだったらしいR273も今では全面舗装された快適な国道となった。樹海の中を突っ切る一本道。めちゃ気分が良い。やがて三国峠のパーキングに到着する。士幌のキャンプ場でキャンプしているライダーグループに、今晩地元の人が歓迎会を開くのでどうかと誘われたが日程の都合で行けず断ってしまう。残念。このグループのうち、CBR1100ブラックバードに乗るU君は、なんとCBRで岩間温泉とヌプントムラウシ温泉まで行って来たという。さすがに川渡りはしなかったそうだが、大型で行けたのならZRX400でも行けるということだ。

 予定では北見付近まで行くつもりだったが、R39に入り給油するために層雲峡に向かうと、寒くなって来ていたので層雲峡YHに泊まることにした。層雲峡YHは黒岳の麓にあるYHなので、この時期は登山客で大賑わいである。宿泊客の約8割は登山客で、YHの玄関は登山靴だらけだった。私もたまたま1名キャンセルが出たから泊まれたのだ。部屋は相部屋。私とJR利用の大学生以外の4人は登山に来た人達だった。うち2人は定年退職した同じ学校の元小学校校長と元教師。夕食後、元教師を中心に宴会が始まる。YHは禁酒・喫煙なのだが、何故か酒がありたばこを吸っていた。元教師曰く。『ヘルパーが来たら、酒はお茶と言い張りたばこは隠す』だそうだ。宴会では、猟師でもある元教師の熊を狩りに行った時の話で盛り上がる。なかなか聞けそうにない実体験を話してくれた。

 酒が回り二人の元教師は寝てしまったので、20時過ぎに残り4人で層雲峡温泉に入りに行く。ホテルの温泉だったが、それなりに楽しめた。YHに戻ると、最近のYHでは珍しいミーティングが開かれた。ミーティングと言っても、ここのYHの場合は登山情報を伝えるというモノであった。登山者のふりをしてミーティングに参加するが、ここはYHというより山小屋という印象を受けた。

(9/20の走行距離:291km)

4連泊した『星の庵』。いよいよ出

発。朝から快晴である。

出発前に皆で記念撮影する。

層雲峡に寄る。『流星の滝』だと思

うのですけど・・・

1997年9月21日(日)

 登山組は朝の4〜5時にかけてバタバタと出ていったので、朝起きると部屋にいたのは私と大学生だけであった。玄関にも昨晩あれだけあった靴がなくなっており、YHは閑散としていた。みな登山に出かけたのであろう。

 8:00にYHを出発する。R39を東に向かい、雨の石北峠を越して北見に向かう。雨だったのは石北峠付近だけであった。途中の道の駅『おんねゆ温泉』で世界最大の鳩時計を見る。壁掛けのハト時計を巨大にしたモノだと思っていたが、そうではなかった。残念。

 留辺蘂からR242で南下する。車は皆無で快走できる。足寄でR241へ入り帯広方面へ移動する。途中でr88で芽登温泉に向かおうとしたが、途中から雨が降っていたので引き返しナイタナイ牧場へ向かう。一周約14kmの周遊道路に入り広大なナイタナイ牧場を走るが、残念なことに頂上付近のレストハウス周辺は霧の中であった。

 ナイタナイ牧場を出た後、近くの亀の子温泉に入る。露天風呂もある温泉だ。ゆっくりと露天に浸かっていると、雨が降り出してきた。バックに防水シートをかけていなかったので急いで温泉を出る。防水カバーをかけた後、あくせくとレインジャケットを着てとレインパンツを履く。雨の中を出発するが、3kmほど走ると雨は止んでしまい、帯広市街に入ると曇っている程度であった・・・北海道の天気はよ〜分からん。

 帯広からR38に入る。途中から大阪ナンバーのZZR1100の後ろについて走る。2車線区間でキレた車とバトルになる。こっちは普通に走っていたのに、車が何故キレたのか原因は分からない。最後は前を走っていたZZRとバトルしていたようだ。車のドライバーは事故を起こせばどうなるか分かっているのだろうか。途中の信号で車を抜いて大型トレーラの前に入ったので、それ後は追って来なかった。その後、狩勝峠のパーキングでZZRライダーとバトルの一件で話が盛り上がった。ああいう自分勝手なドライバーはどこにでも居るということだ。

 狩勝峠を17時頃に出る。今日の宿も決めてあった。『星の庵』である。夕食の時間に間に合わないかも知れないので、R38の樹海を急ぐ。車が走っていなかったので80〜100k/hで爆走し、富良野手前ではすり抜けしまくった。その甲斐あって、夕食が始まる5分ほど前に『星の庵』に到着した。

 宿泊客は一新していた。OさんやTやんは21日朝に出発して行ったのだ。夕食の後、近々富良野で個人経営の民宿を開くというHさんやヘルパーさんらと一緒に白金温泉に向かう。温泉でHさんと話す。Hさんは昔から美瑛か富良野で宿を開きたいと思っていたそうだ。4年かけてようやくその夢を実現する訳だ。自分の夢を実現する・・・なかなか出来ることではない。夢を持ちそれを実現する。非常にうらやましいことだ。

 『星の庵』に戻り、晩の宴会でもHさんは宿のオーナーと熱心に話していた。開宿は1998年4月。あ、宿の名前を聞くのを忘れた・・・

(9/21の走行距離:440km)

R39石北峠を越える。

峠越え区間だけ雨だった。

これが世界最大の鳩時計。内部はからくり

人形館だった。R39沿いの道の駅『おんね

ゆ温泉』にある。

ナイタイ牧場は霧の中で何も見えなかった・・・しくしく・・・

1997年9月22日(月)

 いよいよ北海道最終日。パッキングをして10:00過ぎに『星の庵』を出発する。美瑛から裏道を走って富良野に抜ける。さらにR237で占冠を通って日高に抜け、そこからR274で日高山脈を越す。R274は大型トレーラーやトラック・車が非常に多い。勾配の急な坂が連続するワインディングなので、先頭を大型車に走られると抜くのに苦労する国道だ。それさえなければ走って爽快な国道なんですけどね・・・

 夕張から千歳に抜けてr16を走って支笏湖に抜ける。16日に走ったコースを逆に走り、16:00過ぎに真狩村の『細川たかしの歌う銅像』前に到着した。北海道土産として『細川たかし煎餅』を買うためだ。『星の庵』でたけやんに銅像と『細川たかし煎餅』の話をしたら帰りに寄るなら買って来て欲しいと言われたので、土産物屋で私の分も含めて3箱購入する。これで心おきなく帰ることが出来る。

 ニセコからR5を走ってひたすら小樽を目指す。小樽には18時過ぎに到着する。小樽運河の浅草橋でどうするか考えていると、15日の樽前荘であったAZさんと再会する。彼女はたまたま今晩のフェリーのチケットが取れたので帰るという。AZさんが比布のライダーハウスで知り合った岐阜のNさんと一緒に小樽で晩飯を食べる。フェリー乗り場に行くと、20日に三国峠で会ったブラックバードライダーのU君とたけやんにも再会する。皆同じ便で帰るのだ。

 22:30バイクの乗船開始。23:35定刻より5分遅れで小樽港を出港。10日前に小樽に着いたのが、1ヶ月ほど前のことのように思える。それほど充実した10日間だったのだ。

(9/22の走行距離:388km)

R276美笛峠を越して西へ向かう。

晩の小樽運河。ライトアップされるとこうも変

わるものなのだ。朝に見る小樽運河は全く

の別物。

出発するフェリーのデッキから小樽の街を

撮影する。いよいよ北海道とお別れだ。

1997年9月23日(火)

 帰りの船の中では、先ほどのグループ(パーティー?)で行動する。行動すると言っても、やることがないのでラウンジでうだうだ話をするだけなんですけどね。AZさんとU君も北海道ツーリング中にお互い出会っており、結構世間は狭いモノだとつくづく感じる。なんやかんやしている内に20:30に敦賀到着。

 ターミナルでパッキングし直した後、U君とNさんと私の3人で走り出す。北陸道を南下して米原ICでNさんが下りると、吹田JCTまでU君と一緒に走る。吹田JCTでU君と別れると、単独走行になって近畿道〜阪和道を走る。走り慣れた道を下りながら日常が近づいて来ていることを感じる。そして日付が変わった24日0:20後頃に自宅に無事到着。北海道ツーリングは終わった。

(9/23の走行距離:224km)

(北海道ツーリング1997の総走行距離:2732km)

敦賀FTに到着。無事に到着ちゅうことで記

念撮影。

無事に自宅に到着。今回の全装備がこれ。

セイフィーサマー北海道97の旗。4色全て

集めました。他に美瑛町の交通安全の旗ま

で貰った。

 今回知り合ったNさんやU君、AZさん、Tやん、Yさんらとは、北海道ツーリングが終わってからも年2回ほど一緒に泊まりがけでツーリングに出かけている。北海道で初めて出会った仲間でこういうつき合いが出来る。だからツーリングはやめられない。こういう旅の面白さを知っている私らは幸せ者だとつくづく思う。

 バイクで北海道ツーリングに行こうかどうか迷っている人は是非行くことを勧めます。視野が広がりますし、出来る時にしておかないと後で後悔しますしね。でもくれぐれも無茶しないで安全運転で。

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