九州ツーリング1998

 

 

 

 

 

期間:1998年3月28日(土)〜4月5日(日)

 

 

 

 

1998年3月28日(土)

 96年3月下旬〜4月上旬以来2年ぶり2回目の九州ツーリングである。本来なら出発は3月27日(金)の予定だったが、雨で出発する気になれず1日遅らせた。昼過ぎから自宅のガレージでパッキングを始める。今回は雨の時のことを考えて、市販のコンテナを改造して取り付けてみた。

 18時頃に自宅を出発。阪神高速湾岸線をひた走り、19時過ぎには六甲フェリーターミナルに到着した。この時期にバイクで長距離ツーリングに出かけるのは私ぐらいで、他は帰省する大学生ライダーとオフライダーだけ。オフライダーは、自衛隊演習地のダートをオフバイクとジープで走りに行くという大阪の団体さんの人であった。

 20:00六甲フェリーターミナルを離れて、ダイヤモンドフェリーは九州大分に向かった。

(3/28の走行距離:54km)

1998年3月29日(日)

 どうも2等船室の雑魚寝は眠れない。周囲の人達の鼾と隣の人の寝相の悪さで眠りを妨げられた。おかげでほとんど眠れなかった。ダイヤモンドフェリーの2等船室(自由席・禁煙ルーム)は狭すぎるのだ。眠ったのかどうか分からないまま6:30に目が覚める。しばらく甲板でボ〜とする。今日は晴れそうだ。

 8:05大分港に到着。荷物の固定をし直して8:20大分港を出発した。R210に入る。大分市街を抜けるまでは車が多い。R442に入り野津原町でr412に入る。今回の九州ツーリングは温泉ツーリングでもある。温泉王国九州で出来る限り多くの温泉に入ることを目的にしている。で、九州初の温泉は長湯温泉。まずは、ここの河原の無料露天風呂(カニ湯)に入る。道の上からも川向かいにある旅館からも丸見えだが、気にしないで橋の下で素っ裸になり温泉に入る。青空の下で入る露天風呂は実に気持ち良い。家族連れが道の上から見ていたが気にしないでのんびり浸かる。

 長湯温泉を出た後、r47で竹田に向かう。沿道の桜はすでに満開。九州は春である。竹田からR57に入り西へ向かう。交通量は多いが流れは良く順調に進む。滝室坂を下り12時少し前にR265にスイッチする。今回の影の目的である『国道265号線全区間走破』にトライする。ここからひたすら九州のほぼ中央を南下するのだ。

 R265に入り、阿蘇山を見ながら2車線のワインディングを走る。ちょうど阿蘇の野焼きの日に来たようで、あちこちで草原の枯れ草に火が付けられいた。箱石峠の北側は結構煙たかった。箱石峠を越して南に進んで、高森温泉に寄る。クアハウス風の温泉で設備も整っていた。これだけ設備があれば入浴料は1000円位なのだが、温泉王国九州だけあって入浴料は安かった。

 高森温泉を出てからも、ひたすらR265を南に向かって走る。快適な2車線国道が続く。とても南九州を縦断する3ケタ国道とは思えない。R218から分岐する交差点に、『⇒五ヶ瀬ハイランドスキー場』の看板があった。日本最南端の本格的スキー場だそうだ。スキー場があるからには、冬場の国見峠付近は結構積雪があるのだろう。

 国見峠は近年国見TNが開通し、それまでの1車線国道は旧道となった。後日、三角港で会った旧道を走ったというチャリダーの話では、道の荒れ方はひどく小さな土砂崩れはそのままだという。大きな土砂崩れがあったそうだが、現場で復旧工事をしている人達にクレーンで自転車を運んでもらって現場をパスし、旧道を走破したという。もしかしたら今では国見峠の旧R265はとんでもない状態になっているのだろうか。

 R265は国見TNまでの区間は快適な2車線区間だった。国見TNを過ぎるといきなり3ケタ酷道になる。1〜1.5車線のワインディングをだらだらと進む。途中で、樹齢800年という八村杉を見に行く。根の周囲19mという超巨大な杉の木なのだ。十根川神社の御神木ということになっているのだが、他にも大きな杉が何本かあった。ちと急な1車線道を走るが、時間があれば見に行くことをお勧めする。神社前で近くに住む4歳ぐらいの子供としばらく遊ぶ。よほど貧粗に見えたのか、おやつのドーナツをくれた。ありがとう。

 椎葉村の上椎葉に着いたのは16時頃だった。このままパスして先まで行こうとしたが、やめにして宿『二鶴旅館』に泊まることにした。夕食までの間、付近を散策する。椎葉村は平家伝説のある秘境の村。周りは高い山々に囲まれており、下界と全く隔離されている。平家落人の悲話を伝える鶴富屋敷(入場有料)を眺めるだけにして、山道を日向椎葉湖まで歩いてみる。40年ほど前に出ダム湖でかなりの集落が水没したらしい。

 宿に戻ると、福岡から来たBMWのおっちゃんライダーとえびの高原から北上して来た千葉のライダーが来ていた。客はこの3人だけ。3人で一緒に並んで山菜中心の夕食を頂いた。

 食後、各々が部屋に入ってしまったので、あまり話すことなくこの日は終わってしまった。

(3/29の走行距離:178km)

ダイヤモンドフェリーで大分港に到

着。2年ぶり2回目のバイクでの九

州上陸である。

山火事ではなく『野焼き』です。阿蘇

の春の風物詩。

十根川神社の全景。杉はめちゃ大き

い。神社事務所の周囲の杉を見れ

ばその大きさが分かるでしょう。

上椎葉ダム。1953年(昭28年)頃

に出来た戦後初の本格的ダム。

1998年3月30日(月)

  朝食後、2人のライダーを見送ってから9:00少し前に出発する。R265全区間走破2日目だ。急勾配・急カーブが続く1車線国道を延々と走る。飯干峠を越したのだが、椎葉村がマジに山奥にあることを実感する。昔はダートだったこの道を皆走っていたのだ。飯干峠を越してもまだ椎葉村。椎葉村は広い。椎葉村から西米良村までは一ノ瀬川沿いの谷間の平坦な1.5〜2車線区間。峠越えに比べれば楽なものである。

 R265は、R219から分岐して南に向かう。3つめの難所である尾股峠に向かう。飯干峠と同様の急勾配・急カーブの連続する1車線道路を延々と走る。路面が荒れているので非常に神経を使う。山奥を走るがいつまで経っても同じ様な風景が続く。いくつもいくつもカーブを曲がり続け、やっとのことで分水嶺を越えて下り区間に入る。

 下りは上り以上に機を使う。路面に砂利や落石があるからなおさらだ。また同じ様な道を延々と進む。いつの間にか尾股川沿いの谷間の1車線道路となるが、ブラインドカーブが連続する。路面にはコケが生え、落石があり砂利も浮いている。路肩は一部崩壊しているなど、九州の3ケタ国道の代表にふさわしい路面状態だった。いつまで経っても同じ風景と同じ様な道が続くので、だんだんと頭がぱぁぷぅになってくる。判断能力が落ちてきた。西米良村から須木村に入る頃には、頭が真っ白けになり何も考えられなくなった。これは危ないと思い休憩する。山深い所で川のせせらぎ以外何も聞こえない。誰もいないし誰も通らない。事故したら終わりである。

 須木村田代ヶ八重に出ると、ダム工事のため道は立派な2車線道路となっていたが、輝嶺峠区間に入ると1〜1.5車線ワインディングに戻る。輝嶺峠はそうハードではなかったが、ダム工事現場への車が多く交通量が多かった。

 須木村市街に到着。ここから先は2車線区間快走国道が続く。途中で、陰陽石という謎の石を見に行った。これは実際に見て下さい。陰陽石近くの陰陽石温泉(子宝温泉)に入り、峠越えの疲れをとる。そして小林市に到着しR265全区間走破は終わった。

 小林市市街からr1(えびのスカイライン)でえびの高原に向かう。2車線ワインディングの快走道路を走って行く。途中のえびの市市営露天風呂に寄るが、湯温が低くて入浴出来なかった。96年にも寄ったのだがその時もダメだったので、すでに2回連続入れなかった。土産物屋の前で宮崎に住むライダーと30分ほど話す。温泉と走って楽しい道が近くにあるのはうらやましいことだ。

 今日の宿は、えびの高原キャンプ場。旅館であった千葉のライダーが滅茶苦茶寒かったと言っていたので、軟弱者の私はケビンを借りることにする。荷物を置いて、白鳥温泉上湯(第一白鳥温泉)に向かう。ここの天然蒸し風呂(天然サウナ)は半端ではない。 

 キャンプ場では、私1人だけ離れたケビンで泊まることになった。周りは真っ暗。部屋の明かりを消すと暗闇となる。1人寂しく晩飯を食べて電気をつけたまま22時頃に寝た。

(3/30の走行距離:166km)

 

田代ヶ八重ダムの建設現場。谷底の川沿

いの道が旧R265。付け替え道路は上の

道路で現R265。

r1に入ると正面に韓国岳が見えてくる。

えびの高原は寒いとかで軟弱な私はケビン

に泊まった。夜は非常に怖かった。

1998年3月31日(火)

 この日は朝の5時頃に寒さで目が覚めた。テントだったら寒くて眠れなかったかも知れない。6時頃までゴロゴロしてようやく起きる。朝食を食べた後、キャンプ場内のえびの高原温泉に入り朝風呂とする。

 9:00少し前にキャンプ場を出発。r30を下りR221を北上する。人吉ループの天馬橋が工事中で片側交互通行となっていた。臨時信号で対向車の通過を待っていると、『かくれ里温泉入口』という看板を見つけてしまった。時間があるので、その看板通りに進んでみる。旧R221を走り林道に入りしばらく行くと山中に突然温泉が現れた。矢岳温泉という温泉で、キャンプ場もある本当に隠れた温泉であった。開いてすぐに入ったので一番風呂だった。

 R221に戻り人吉に向かう。人吉温泉の公衆浴場に入ろうかと思ったが、先ほど温泉に入ってきたのでパスする。人吉市街を抜けてR445にスイッチして川辺川沿いに北上する。最初はのんびりとした2車線国道だったR445は、北上するにつれてだんだんと立派な高速並みの2車線国道に進化して行った。やがて川辺川と川沿いの1.5車線の旧R445を足下に眺めながら山の中腹を走っていた。そう、川辺川ダム建設による付け替え道路なのだ。自然保護団体や市民団体などが建設反対を訴えているダムなのだが、すでに本体工事が始まっている(?)ようで谷底では大型機械が忙しそうに働いている。付け替え道路は全通しておらず途中までしか出来ていなかった。五木村に入って少し入った所で谷底に下りて、川沿いの1.5車線国道に合流した。清流の川辺川を見ながら1〜1.5車線のワインディング道を進むと五木村市街に到着した。

 『五木の子守唄』発祥の地である五木村の中心街は、数年後は全てがダム湖の底に没してしまう。生えている草木も道端に立っているお地蔵様も道も何もかもが・・・一番風呂だった五木温泉も沈んでしまう。信じられない出来事なのだが、数年後には現実のことになる。果たしてダムは必要なのだろうか?温泉の管理人は、ダムで川辺川の氾濫が治まることを期待しており、それを信じてダム建設に賛成したと言っていた。こういう問題を客観的に見るのは難しい・・・

 五木温泉を出てr25を走って大通峠を越して五木村から東陽村を抜けて宮原町に入る。R3は混むので、海沿いのr14を走ってR266にスイッチする。ここから八代海を見ながらシーサイドの2車線快走国道を走って西へ進む。久々に見る海だ。15時過ぎに三角港に到着する。このまま天草諸島に渡ろうかと思ったが、気が変わりフェリーで島原に渡ることにする。

 フェリー乗り場で、日本大学の学生だというチャリダーに出会う。彼は、東京からフェリーで紀伊勝浦に渡った後、以後39日間ず〜っと自転車でツーリングしているという。近々長崎空港から帰るとか。いつでも思うのだが、こういう旅をしている人は目が生き生きしている。きっといい経験となるのだろう。

 島原への三角・島原国道フェリーで島原に渡る。18時少し前に島原港に到着。日大のチャリダー君は、今晩島原の公園にキャンプするという。

 島原を出発して海沿いに南下する。水無川沿いの雲仙普賢岳土石流の被災地区を通る。土石流(火砕流)に飲み込まれ埋もれたままの家があちこちに見える。あれから2年も経つのに、今だに屋根だけを出して埋もれているのだ・・・土には雑草が生えて始めており時間が流れたことを物語っている。普賢岳噴火後の島原に初めて訪れたのだが、思わずバイクを停めて呆然としてその風景を眺める。1995年1月の阪神淡路大震災の後、ボランティアとして現地入りした時の、変わり果てた神戸の街を見た時と同じ感じであった。テレビで流される被災地の状況は、やはり現地に行かないと分からないのだ。

 R57を普賢岳を見ながらワインディングを走って雲仙温泉に向かった。今日の宿は、国民宿舎『青雲荘』である。一人一晩の宿泊だけなのに、8畳の風呂・トイレ付きの広い部屋に通された。今までのツーリングで一番豪華な部屋である。

(3/31の走行距離:186km)

R221えびのループにて。巨大すぎ

て全景が収まらない・・・

川辺川のダム建設予定地。こんな

所です。

五木村市街。ダム完成後、ここはダ

ム湖の底に沈む。

三角からフェリーで島原に渡る。R

57から見た雲仙普賢岳。不気味に

そびえ立つ。

1998年4月1日(水)

  翌4月1日、発達中の低気圧が通過したため朝から大荒れの天気。起きた途端に出発する気が失せてしまい、連泊を決定する。下手れな私・・・フロントに行き手続きをした後、別棟の4畳の部屋に移動させられる。やることがないので、テレビを見る。新年度ということで、新社会人のインタビューとか新外為法施行といった内容ばかりで面白くなくない。テレビを見る→寝る→温泉に入る→テレビを見る・・・の繰り返しの1日だった。

(4/1の走行距離:0km)

1998年4月2日(木)

 4月2日、低気圧は東に去り、風が残るものの雨は上がっていたので出発することにする。天気が回復しそうなので、南下して天草に向かうことにする。R389を南下して口之津港へ。あまりにも目立たない港だったので行き過ぎてしまった。

 10:30発のフェリーで下島鬼池港に渡る。R324で下島の海岸沿いを走る。苓北町市街で、今回のツーリングで初めて他のライダーに出会った。うれしいのでピースするとサインを返してくれた。苓北町からR389にスイッチし、海岸沿いに南下を続ける。車はほとんど走っておらず、天草灘を見ながら快晴の下60〜70k/hで快走する。気分爽快になれる。都呂々という所で休憩していると、仕事でカブで走って来たサラリーマンに話しかけられる。この時期のツーリングライダーは珍しいらしい。

 1.5〜2車線の海岸沿いのワインディングを走って、12時頃に大江天主堂に到着する。非常に大きな天主堂で、内部に入ると厳粛な気持ちになれる。無宗派である私がそう思うのだから、どこか神聖な雰囲気があるのだ。

 天主堂を出た後、下田温泉に向かうためにR389を北上する。道から見える海がめちゃ綺麗なので、途中の十三仏展望台に寄り道して写真を撮る。風が強いが快晴で爽快な気分になれた。

 13時頃に下田温泉に到着する。ここで温泉に浸かるが、お湯は熱めなのでのぼせてしまった。下田温泉を出た後、r24を東に向かい天草下島横断道路(有料)を走ってR266にスイッチする。瀬戸大橋を渡って上島に渡り、R324で上島の北側の海岸沿いをひたすら走る。車やトラックなどの通行が多いが、流れは良いので気にはならない。

 R266に戻り、松島橋〜前島橋〜中の橋〜大矢野橋を渡る。橋からの眺めは非常に良かいのだが、この日は横風が非常に強くて景色を眺める余裕は余りなかった。横風があるとバイクはセンターライン寄りに流されてしまうのだ。大矢野島を縦断し、天草五橋の1号橋である天門橋を渡って九州本島に戻った。

 R57は大型トレーラなどの通行が多いためR266で松橋に抜ける。熊本市街をパスしたかったので、松橋ICから熊本ICまで九州自動車道を走る。熊本ICで下りてR57に入って阿蘇に向けて走る。阿蘇周辺は、昨日は暴風警報が出るほど風が強かったらしいが今日は風はそうきつくない。気温は阿蘇に近づくにつれて低くなり寒くなってきた。山中はまだ寒いようだ。

 そんな中、菊池郡大津町内のR57路上でZRX400は総走行距離40000kmを突破する。大型バスが通過する中、路肩にバイクを停めて記念写真を撮って一人ではしゃぐ。次は50000kmだ。

 この日は阿蘇YHに泊まろうと思ったが、何気なく訪れたJR豊肥本線阿蘇駅前にある国民宿舎『なかむら』に温泉(坊中温泉)があるというので、そのまま泊まることにした。

 島根の英会話学校教師のカナダ人が泊まっており、カナダ人と日本語で色々と会話する。妙な気分だ。2年前に阿蘇YHに泊まった時は、日本人は私と他3人だけで後10人ほどはドイツ人だったという経験がある。阿蘇のYHや宿は外国人が多い。

(4/2の走行距離:256km)

ここが口之津港。静かな港。

下島にある大江天主堂。大きい。

十三仏展望台。晴れた日の眺めは

大変良い。お勧めの場所。

天草1号橋。フェリーはこの下をくぐ

って行く。

1998年4月3日(金)

 この日は快晴。パッキングを済ませて9:30頃に国民宿舎を出発する。阿蘇登山道路で火口を目指す。2車線のワインディングを走って草千里へ。草千里付近は余りの人の多さで停まる気になれずそのままパスしてしまう。ガスが出ているので、今日は火口付近は立ち入り禁止。そのため皆草千里に集まったのだろう。阿蘇町営道路のゲートまで行って引き返す。そのまま赤水に抜ける。今年は火口まで行けなかった。残念である。

 阿蘇はツーリングのメッカということで、今まで会えなかった分やたらとツーリングライダーに会った。ここまで来て、ようやくツーリングしている気分になれる。

 赤水からr23を走る。2車線ワインディングを走って三重ノ峠を越えてミルクロードに入る。阿蘇の外輪山を周遊するミルクロードはお勧めの道。r339の区間では草原の中を突っ切り、まるで北海道の道のような錯覚に陥る。(タイトルバックの写真はその草原の写真)続くr12区間は荒涼とした原野の中を突っ切る区間だが、全区間で阿蘇山を眺めながら走れる。晴れた日は非常に気持ちよく走れる道である。

 r12からR212にスイッチして北上する。南小国町にある満願寺温泉の河原の混浴露天風呂に寄る。道上から丸見えの共同湯。端に集落の共同洗い場があり、若い主婦が洗い物を終えるまで待ってから入った。川のせせらぎを聞きながら完全に世間から隔離された時間を過ごす。幸せだと感じる一瞬だ。

 満願寺温泉を出た後、R387沿いの奴留湯温泉にも寄る。集落内の共同湯。湯はぬるいので長湯する。誰も入っていなかったので完全に貸し切り。200円で存分に温泉を楽しんだ。

 小国町からR442で『やまなみハイウェイ』に向かう。途中に黒川温泉があるのだが、先を急ぐのでパス。この付近は温泉がありすぎてどこに入るかマジに困る。『やまなみハイウェイ』を北上して牧戸峠を越す。寒ノ池地獄温泉に寄るが、冷泉は5月以降からでないと入れないと言うので冷泉を断念する。

 途中から車の少ない高原道路のr621に入り筌の口温泉に向かう。筌の口温泉も集落内の共同湯。ここの温泉は結構熱い。すでに2つ入って来ていたこともあり、15分ほどで温泉を出る。出ると、高知から来たチャリダーと出会った。これでツーリング中に出会ったチャリダーは8人ぐらいになる。時期的に多い時期なのだろうか?

 この後、再びやまなみハイウェイに戻り水分峠へ。R210を湯布院に向かう。由布院温泉共同湯に入ろうとしたのだが、人が多いのでパスしてそのまま別府へ向かう。宿は別府YH。YH自体に温泉があるし、近くに観海寺温泉もある。2年前も泊まったYHだ。ここでJRで旅する高校生2人と出会う。年齢を聞くと自分より一回りも年が離れている・・・歳とったもんだ。他にも韓国の人やカナダ人が数人泊まっており、YHの晩は国際色豊かな晩となった。

(4/3の走行距離:187km)

草千里の少し先から撮影した阿蘇。

ご覧の通りガスが発生している。

火口付近は立入禁止。登山道路の

ゲートも閉じられている。

r23三重ノ峠の途中の展望台から

撮影した阿蘇。全景が見られる。

牧ノ戸峠を越してやまなみハイウェ

イを北上する。

1998年4月4日(土)

 今日も快晴だ。もう少し走っていたいのだが、残念ながら今日で大阪に帰らなければならない。パッキングをしてから9時頃に出発する。別府市内を抜けてR500へ入る。途中からr616に入り塚原温泉に向かう。塚原温泉への道は、r616からしばらく進むとダートとなり、温泉手前で1車線の急勾配コンクリート舗装道路となる。坂の入口付近の広場にバイクを停めて坂を歩いて登って行こうかと思ったが、ここまで来たのだからと、そのまま坂に突入する。

 一気に坂道を登るが、途中でコンクリートが剥がれた穴にフロントタイヤがはまってしまう。穴から抜け出そうとしてゆっくりとアクセルを開いてタイヤを出そうとするが、思った以上にパワーが出てしまいバランスを崩して転倒してしまった・・・しばらく呆然とする。とりあえず荷物を道脇に寄せてバイクを引き上げる。車が来ないかと焦りながら、何度かトライしてやっとの事でバイクを引き起こした。転倒現場から抜け出して30mほど行くと塚原温泉に到着。被害は前の右ウィンカーが割れ、ZRX400に傷がついた程度で済んだ。

 塚原温泉に入るが、バイクが気になるので早々に出る。転倒現場付近で割れた右ウィンカーの破片を集めてビニールテープで巻いて応急処置を施す。この作業に約2時間かかってしまう。予定では北九州に抜ける予定だったのだが、時間が無くなってしまったので別府付近をうろつくことにする。

 水分峠で休憩していると、白バイと捕まったライダーがやって来た。しばらく白バイ隊員を囲んで雑談する。白バイ隊員も普段はライダーで、他県に行った時速度違反で捕まったこともあるとか。白バイ隊員も同じ人間でした。

 R210を西に向かい、九重町から南下してR387沿いの壁湯温泉に寄る。洞穴の混浴露天風呂。湯は少し温めだが、なかなか面白い温泉だった。出た後、R387からr680にスイッチして湯坪温泉に向かう。有料の露天風呂だ。近くのGSで入浴料を支払い温泉に入る。誰もいないので貸し切りとなる。

 九州最後の温泉で遊んだ後、やまなみハイウェイ〜R210で湯布院に出る。別府市内は混んでいそうだったので、湯布院ICから大分道で大分まで走り、大分のフェリーターミナルに17時過ぎに到着した。

 いろいろあった九州ツーリングが終わり、また日常に戻らねばならない。帰りもダイヤモンドフェリーで神戸に向かう。2等船室(禁煙)に入るが、疲れていたのですぐに寝てしまい、周囲の鼾は気にならなかった。

(4/4の走行距離:146km)

塚原温泉直前で転倒してしまう。温

泉の駐車場で応急修理する。被害

状況を示す写真。

水分峠にて。やまなみハイウェイの

起点でもある。

大分港に到着。帰りのフェリーの前

にて。

1998年4月5日(日)

 翌朝6:45に神戸・六甲フェリーターミナルに到着。関西に、そして日常生活に戻って来た。神戸市内に向かってR174を走ってから阪神高速湾岸線を走って南下。

 8:40頃に自宅に到着。8泊9日に及ぶ九州ツーリングは無事終了した。明日からいきなり日常生活に戻らねばならない。社会復帰できるだろうか・・・

(4/5の走行距離:65km)

(九州ツーリング1998の総走行距離:1238km)

朝9時前に自宅到着。今回持って行った全装備。

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つうりんぐれぽぉと