東北&北海道ツーリング1998

 

 昨年(1997年)のツーリングで北海道に完全にハマってしまいました。今年も是非走りに行こうとツーリングの計画を立てます。地図とフェリー航路の時刻表を見比べると、うまく組み合わせれば東北まで足を延ばすことが出来ることに気が付きました。

 北海道をメインとするため、北東北の一部しか回ることが出来ませんが、私にとっては初めての東北ツーリング。函館から青森に渡り、下北半島・津軽半島を周って八戸からフェリーで北海道へ移動するという日程を組みます。

 北海道は95年・97年のツーリングで行けなかった道東・納沙布岬まで足を延ばすことにしました。初の東北と道東、さてどうなることやら・・・。

ツーリング期間:1998.09.04〜09.19

2000.05.14UP/2004.11.22 更新

●東北&北海道ツーリング1998(その1)

1998年9月4日(金)

 出発当日。午前中で仕事を終わらせて帰宅。帰宅してすぐにパッキングを済ませ、19時少し前に自宅を出発する。阪和道〜近畿道〜中国道〜舞鶴道で一気に舞鶴へ向かう。大阪市内のゴミゴミした都会から離れるにつれ、精神的にも肉体的にも疲労しきっていた都会での日常から解放されるのが分かる。これから約2週間、世間の喧噪を忘れて自由気ままに旅をする。こういうことを知っている者達は本当に幸せ者だと思う。

 22時少し前に舞鶴港の新日本海フェリー乗り場に到着。北海道に向かうバイクや車などで駐車場は大混雑していた。早速手続きに向かうが、窓口も大混雑。窓口で10分ほど待たされた。本日の23:30初の小樽行きは満員御礼。予約しておいて正解だった。

 22:30頃より乗船開始。車両甲板にZRX400が固定される。他にも30台近くバイクがいる。見本市のようだ。新日本海フェリーでは、バイクの荷物を全て下ろさねばならないので荷物を下ろし必要なモノだけ持って客室フロアに向かった。2等客室での雑魚寝はいろいろおもしろいのだが、睡眠確保を優先してしまい今年は2等寝台を予約した。

 1998年8月末の北朝鮮のテポドン発射による混乱などで、日本海航路は休航になるのではという最悪の事態を想定していたが、船は23:30小樽に向けて無事出航した。

(9/4の走行距離:189km)

【写真】車両甲板ではバイクはこうして固定される。

新日本海フェリーでは荷物をすべて下ろさないといけない。

1998年9月5日(土)

 2等寝台の最大のメリットは、他人に邪魔されずに眠れること。デメリットは、ほとんどベットに居ることになるので他のライダーとのコミュニケーションがとりにくいというところ。今年は、去年のようにはいかず、1人でウロウロすることになる。小樽までの約28時間は、何もやることがない。寝て、起きて、コースを考えて、寝る。時々食事を挟むが、基本はこの繰り返し。小樽までの道のりは長い・・・

(9/5の走行距離:0km)

【写真】フェリーから見た夕陽。雲があって残念。昼と夜が同居する瞬間。

1998年9月6日(日)

 午前3時過ぎに船内の照明がつけられて起床。下船の準備をする。そして午前4時に小樽港フェリーターミナルに到着。車両甲板に移動し下ろした荷物を固定する。4:20に船より下船。1年ぶりに北海道の大地に下りる。どこの長距離フェリーから下りる時もそうなのだが、タラップから下りるこの瞬間は、期待と不安が入り交じった妙な気持ちになる。ターミナル前でパッキングをし直して荷物を固定し、4:45頃、小樽市街に向かって走り出した。

 早朝の小樽市街を抜けてR5で函館方面に向かう。日曜日の早朝なのでトラックや車は走っておらず快走出来る。すでに運転モードは北海道モードに入っている。道の駅『ニセコビュープラザ』で軽い朝食を作って食べる。

 時刻は6:00。ようやく日が昇った。R5から離れてr66を東へ向かい、虻田郡真狩村の『細川たかしの歌う銅像』に寄った。あの「細川たかし」が羊蹄山をバックにヒット曲を歌うという銅像なのだ。正確には銅像の台座から音楽が流れる仕組みになっている。台座だけで1億ほどしたとかで、凄い銅像を作ったものだと関心する。

 銅像を見た後、r97を南下してR37に出て長万部に向かう。 長万部でカニ飯を食べようと思ったのだが、店が開いておらず喰いそびれてしまう。仕方ないのでR5〜R230で美利河方面に向かう。奥美利河温泉に向かうつもりだったが、r999が土砂崩れ通行止めなので、瀬棚郡今金町のR230沿いにある種川温泉に寄った。今ツーリング1湯目の温泉である。

 種川温泉を出てr232でR229に入る。今度は日本海沿いに南下する。車が少ないので80k/h位で流す。温泉に入ったのと寝不足のためか集中力が途切れる。そのためか、瀬棚郡北檜山町若松という町に入り最高速度が50k/hになったのに気付かなかった。町中まで来ると目の前に赤い逆三角形の旗を持った人間がいきなり飛び出してきた。慌てて急ブレーキをかけてバイクを停めて、文句を言おうとして喰ってかかろうとしたら警官だった・・・。そう、ネズミ取りである。

 結果>>>28k/hオーバー。罰金15000円。

 あやうくツーリング初日で本土強制送還になるところであった。北海道では町の入口前後(制限速度が40や50k/hとなる)ではネズミ取りをしていることが多いことをすっかり忘れていたのだ。以後、町の入口では気を付けることにしよう。それにしても初日から15000円の出費は痛い・・・。

 ツーリング初日に捕まったことで落ち込みながらも臼別温泉に寄る。ダート道の行き止まりにある無料露天風呂。地元の方々が維持・管理をして下さっている。ログハウス風の脱衣場もあるきれいな温泉だ。ここで室蘭に住んでいるオフライダーのYさんと会い、先ほどの話をすると、道東も取り締まりが多いので気を付けようとのこと。肝に銘じておく。Yさんと温泉に浸かりながらいろいろと話す。親切にもあちこちの穴場情報を教えてくれた。写真を撮り、(写真を送るため)住所を聞くというツーリングでの儀式をして別れた。

 R228沿いの道の駅『上ノ国もんじゅ』で14:30頃に昼飯を食べる。上ノ国から松前経由で函館に行こうと考えたが、函館港19:30のフェリーに乗ろうと思い、r5に入って急いで函館に向かうことにする。

 ところがr5稲穂峠のワインディングでついに疲れがピークに達し、走っている最中に頭が真っ白になりすぐに判断できない状況に陥った。『あ〜カーブだぁ・・・・・・・・・・・曲がらな!』という感じ。それでもどこかで冷静に状況判断している自分がいて『眠ったらあかん。事故るぞ!』と叫び続けている。葛藤しながらr5稲穂峠を越えて木古内に到着して、やっと目が覚めた。峠越えは睡

魔との闘いであった。無理しないで休めば良かったんですけどね・・・

 木古内から海沿いにR228を走り、16:30頃に函館港に到着する。しかし19:30発の青森行きと続く大間行きのフェリーは共に満杯で乗ることが出来ない。明日の3:00発青森行きに乗ることにして函館市街に向かった。

 夕方から函館市街に出るが、とくに行く当てはないのでバイクでウロウロする。函館山には上ろうという気もしないので、函館市郊外にある湯ノ川温泉公衆浴場に向かう。ここの管理人のおばちゃんとしばらく話し込む。ツーリングで函館に来たというと、「道中で食べてね」とお菓子を頂いた。ありがとう。

 温泉を出た後、函館港にある煉瓦倉庫群に立ち寄る。ライトアップされた煉瓦倉庫はいい雰囲気がする。しかし周りはカップルだらけ。歩いていない時を待って写真を撮るが、男が一人だけで黙々と写真を撮っているとむなしくなったので早々に出発する。

 行くところがないので函館港に帰る。フェリーの手続き開始までフェリーターミナルの待合所の固椅子で待つことにした。湯の川温泉街にあったローソンで買ったコンビニ弁当を夕食として食べた後、ただひたすら待つことになった。大間行きのフェリーの手続きが終わるとターミナルは閑散とする。やることもないので固椅子で寝ることにする。函館の夜は長い・・・

(9/6の走行距離:445km)

【写真上】羊蹄山をバックに細川たかしの銅像が熱唱します。

【写真中】道の駅『もんじゅ』から見た日本海。晴れていて気持ち良い。

【写真下】夜の函館煉瓦倉庫群。ライトアップされており、幻想的な雰囲気が漂う。

1998年9月7日(月)

 日付が変わって9月7日午前3時、乗船手続きを済ませてフェリーに乗船する。2等客室に場所を確保。歯を磨いた後シェラフに入り込むとすぐに寝入ってしまった。6:30頃にFTで知り合った大阪のライダーに起こされるまで熟睡していた。

 7:00に青森港に入港。東北の地にバイクで初上陸だ。記念写真を撮ってすぐに出発。R280で津軽半島の東海岸を北に向かって走り始める。北海道と違い、本州では街(人家)が途切れることがない。街の間は確かにまばらになるが峠を別にして長くても2kmぐらい。北海道は大きいとつくづく実感する。朝の通勤・通学時間帯なので、青森市内に向かう車や通学する学生の姿が多い。世間では月曜日なのだ。曜日の感覚が消失してしまっている。毎日が日曜日?すでに世捨て人である。

 R280を海岸沿いに北上するのに飽きたので、蟹田からr12〜r14でショートカットして今別に

出る。三厩から海岸沿いのワインディング国道であるR339をウネウネと走って、目指す龍飛崎に9:00頃に到着した。

 龍飛崎では、まずR339階段国道を訪れる。階段が国道という3ケタ国道の中でも異色な存在の国道だ。361段ある階段を1往復するとかなり疲れる。一度下りて上る時、途中の踊り場でおばあさんが座っていた。カゴを担いで上るのを見ていたので、気になって話しかけてみた。お年はなんと80歳。下の集落に住んでいて、中腹にある畑に向かうため、カゴを背負って階段を毎日上り下りしているという。それもなんと40年間続けているという。雨の日も雪の日も毎日上り下りしている元気な方で、とても80歳には見えないおばあさんでした。

 おばあさんによると、今でこそこうして整備されたが以前は石組みの階段だけでかなり足場が悪かったとか。その時代から上り下りしていたのだから凄い。時々せっかく来たのだからと自転車を押して上るチャイリダーがいるとかと思うと、驚くことにバイクを押して上るライダーも極希にいるという・・・無理はしない方がいいのだが・・・

 おばあさんに挨拶して階段を上まで上る。バイクに乗って階段国道の反対側にある海岸に下りてみる。龍飛崎野営場があるが人の気配はない。ここは綺麗な海岸で、穴場的なキャンプ場のようだ。

 その後、近くにある青函トンネル記念館に寄る。青函トンネル完成までの歴史や使用された機械や材料、掘り出された岩などが分かりやすいように展示されている。それだけなら普通の博物館なのだが、ここではなんと工事に使われた坑道を下って地下まで下りることが出来るという。幸い20分後にケーブルカーが出発するとのことなので、1060円支払って東北の農協団体のツアーの人達と一緒に体験坑道ツアーに参加した。

 海面下140mの体験坑道駅に到着すると、そこは地下要塞のような雰囲気。係員の誘導で一周20分ほどのコースを歩く。さすがにさらに地下にある龍飛海底駅には降りらなかった。迷路のような坑道のほんの一部を見ただけだったが、こんなモノを作る人間って凄いと思ってしまう。ここは訪れる価値のある所だ。

 12時頃に記念館を出発する。13時過ぎに蟹田の陸奥湾フェリー乗り場に到着。13:50発の脇ノ沢行きフェリーに乗り込むが、乗客は私とベスパでツーリングしているおっちゃんと車に乗っている夫婦の合計4人だけ。もしかして大赤字ではないかと心配する。陸奥湾を横断するのでツーリングには非常に便利なフェリーなので、無くならないことを祈る。

 15:50頃に対岸の下北半島の脇ノ沢に到着。ここの街で、昨日の罰金15000円を渋々支払う。非常に痛い出費だ。R338を取り締まりに警戒しながら大人しく走る。むつ市街に入ってどこかの民宿に泊まろうと考えたが、時間があるので尻屋崎に向かう。しかし時間が遅くなってしまっ

たのでむつ市街に引き返し、明日のことも考えてR279を北上して、下風呂温泉の『長谷旅館』に泊まることにした。

 『長谷旅館』は井上靖の小説『海峡』の舞台になった温泉旅館で、廊下には井上靖の写真やら小説の宿の部分のコピーやらが飾ってあった。井上靖ファンならたまらない旅館なのだろう。

 バイクを宿の玄関前に停めて置くわけにも行かないので、宿の女将にバイクを停める場所を聞くと、「今夜は雨が降るかも知れないので、(バイクが)濡れたらいけないね。宿の倉庫に入れて下さっていいですよ」とのこと。ありがたく宿の倉庫にバイクを置かせていただいた。めちゃ親切な旅館である。

 旅館の晩飯はめちゃ豪華。1人では食べ綺麗な異様な量だったが、ここ2日ほどまともな食事をしていなかったのですべて平らげる。食後は、宿の温泉に入って疲れをとって寝た。

(9/7の走行距離:232km)

【写真上】青森港に到着後、記念撮影。バイクでの東北初上陸。

【写真中@】龍飛崎の階段国道から見た津軽海峡。快晴だと北海道が見える。

【写真中A】蟹田から陸奥湾フェリーに乗る。フェリー乗り場は工事中のため、近くの漁港から乗船した。

【写真下】ここが『長谷旅館』。料理は旨かった。

1998年9月8日(火)

 9:30に宿の主人と女将に見送られて旅館を後にする。R279を北上して20分ほどで大間崎に到着する。『本州最北端大間崎』の碑の辺りをウロウロするが、土産物屋が建ち並び演歌を大音量で流しているので騒々しいので、早々に立ち去ることにする。大間崎では、観光で訪れたじーちゃんに「わしが若い頃は戦争中で、こんなこと(日本中を彷徨くこと)は出来なかった。若い間に思いっきりうろつきなさい」と言われた。こういう方々の犠牲で今の我々があることを忘れてはいけないのだ。

 大間崎を出た後2車線のR279を南下し、大畑からr4に入って無料混浴露天風呂の奥薬研温泉に寄る。今ツーリング5湯目の温泉。この温泉は元々営林署の人達が作った温泉なのだ。横にある建物も営林署の物だそうで、善意で入浴させて頂いているのだ。

 奥薬研温泉では大畑に住む温泉好きのにーちゃんとしばらく話していたので長湯してしまう。温泉を出た後、大畑に戻らずに1.5車線ワインディングのr4を走って恐山に向かった。

 恐山ではそこかしこから湯が湧き出ている。硫黄の臭いが充満する荒涼とした世界は、俗世から切り離された霊場という雰囲気が漂っている。三大霊場の残る2つ、比叡山や高野山とはまた

違う雰囲気だ。500円の入山料を支払って門をくぐる。普通ならこのまま奥の院に向かうのだが、私はいきなり道をそれて外れにある温泉に向かった。そう、霊場である恐山には混浴温泉があるのだ。

 外れの荒涼とした所にある木造平屋建ての掘っ建て小屋が恐山温泉。湯が少し熱かったが、霊山で入る温泉はまた違った感じのする温泉であった。温泉を出てからようやく奥の院に行き、『地獄巡り』と呼ばれる一周40分のコースに入るが、途中で道を見失ってしまう。ウロウロしていると奥の院への参拝道に戻ったので、そのまま門を出て駐車場に戻った。

 食堂で昼食を食べて出てみると、雲行きが非常に怪しくなってきた。今にも雨が降りそうな気配だ。濡れては困るカメラバックに防水カバーをかけ、雨具を着ようとした瞬間に雨が降り出した。最初は小雨だったのだが、一分もしないうちに大粒の雨がドサーッと降って来た。近くの休憩所の前までバイクを移動させて濡れた服を着替える。夏用ジャケットがずぶぬれになったので、予備で持ってきていた秋冬用の分厚いジャケットに着替えて雨具を着込む。荷物も全てカバーを取り付けて、万全の雨対策を取り終えて出発しようとしたら、雨は上がった・・・。

 脱ぐのは面倒なので、雨具を着たままで出発した。路面ウェットのワインディングを注意深く走

って青森県むつ市市街へ下る。市街を抜けた後、r6(県道むつ尻屋線)に入り尻屋崎に向かう。実は昨日、尻屋崎を目指してr6を走ったのだが、尻屋崎への到着時間が遅くなるので途中で引き返していたのだ。今日はリベンジという訳だ。r6の路面は完全ドライで雨の降った形跡はない。着膨れしたライダーの乗るがZRX400が尻屋崎に向かう。

 日鉄鉱業という会社の工場を過ぎたところで尻屋崎に向かう道に入る。道の入口にはゲートがあり、馬がでれないような仕組みがしてあった。15:30頃に尻屋崎に到着。

 ここでは寒立馬を放牧しているのだが、人慣れしているのか逃げようとしない。しばらく写真を撮っていると、群馬から来たというライダーがやって来てしばらく話し込む。彼はこれから恐山に向かうという。

 尻屋崎を出てr248でR338に抜けて下北半島の東側をひたすら南下する。r248に入った途端に雨が降り出した。今度は通り雨ではなく本降りのようだ。雨の中をひたすら八戸に向かって

走る。R338の東通村内は1.5〜狭い2車線だったのが、青森県上北郡六ヶ所村に入った途端に立派な2車線道路になった。理由は説明しなくてもお分かりでしょう・・・

 三沢市に入る頃にはすっかり日が暮れてしまったが、雨は止むどころがかなり激しく降り出した。日没後の雨中走行は大変危険なのでかなり大人しく慎重に走る。夜間走行ということもあり視界も悪い。三沢市の淋代海岸付近を走っているときが疲れのピークだったが、どうにか乗り切る。八戸市に入ると気分的に楽になった。肉体的にも精神的にもかなり疲れた状態で、18:30

頃に八戸フェリーターミナルに到着した。到着後しばらくすると雨は上がった。最後の最後で雨に降られるとは・・・。

 ターミナルの食堂で晩飯を食べるなどして時間を潰す。20時頃に乗船手続きが始まる。21時頃に乗船開始。乗船はバイクが最初なので、いち早く寝る場所を確保できる。乗船後、混まない内に風呂に入り疲れをとる。そして22時、フェリーは八戸港を出発した。わずか2日だけの東北滞在であった。

(9/8の走行距離:242km)

【写真上】恐山奥の院も門前にて。イタコさんには会うことが出来なかった。

【写真中@】恐山では出発間際に大雨にあった。雨が上がった直後に撮影。

【写真中A】かつては農耕馬として大活躍した寒立馬。尻屋崎では放牧している。

【写真下】雨の中、やっとのことで到着した八戸FT。20時を過ぎると続々とバイクが集まってくる。

関東からの自走ライダーが多かった。

1998年9月9日(水)

 翌9月9日6:30に苫小牧港に到着。今回のツーリング2回目の北海道上陸だ。小雨が降っているが、天気予報では晴れてくるとのこと。空も少し明るくなり始めていた。晴れそうだ。

 八戸港で知り合ったN君や岡山から八戸まで陸送で10日かけて来たというライダーらと別れ、7:15頃に苫小牧を出発する。

 平日朝の通勤時間帯なので港付近の道路は大混雑している。R234に入り、すぐに道道に抜けて勇払郡穂別町を通ってR237に入る。R237を北上していると、南下してくるライダーが皆ピースサインを出してくれる。こっちもサインを送り返す。北海道を走っているという実感が湧く。

 沙流郡日高町でR274に入り日勝峠に向かが、当時日勝TNは工事中で片側交互通行となっていた。待っている間、誘導係のおっちゃんとしばらく話す。男爵イモのおいしい店を教えて貰った。ライダーだから話しかけてきたのだろう。車ならこうはいかない。

 10分後、信号が青になり日勝TNを先頭で駆け抜ける。前に車はいないので快適に飛ばすが、TN中央付近から周りが曇り始めた。日勝TN十勝側出口を出ると、そこは視界1m未満の霧の中だった・・・。日勝峠の日高側は快晴だったのに十勝側は濃霧。北海道の自然は怖い。濃霧の中をゆっくりと走って麓に下りて峠方向を振り返って見ると、頂上付近は雲がかかっていた。納得。

 十勝清水に出た後、帯広を抜けてR38をひたすら東に走る。R38ではかなり長い距離をトラックの後について走る。いつまで経っても同じトラックが前を走っていると、だんだんと頭が真っ白になってきた。『やばいな〜』と思いかけた時、トラックが急ブレーキをかけた。間一髪でブレーキをかけたので大丈夫だったが、危うくカマを掘る所だった。長距離・長時間同じトラックの後ろを走るのは危険だ。疲れているのだろう。

 道の駅『しらぬか恋問』で休憩していると、苫小牧港で別れたN君と再会する。彼は襟裳岬経由で来たという。この先、厚岸まで一緒に走る。厚岸の道の駅で休憩をとる。彼は今日中に納沙布

岬まで行くというのでここで別れた。R44を東に走り厚岸郡浜中町茶内でr559〜r808経由で霧多布岬に向かった。この日の霧多布岬は霧はなく快晴だった。さらにアゼチ岬にも寄って日没の写真を撮ろうとしたが、あいにくと雲が出て日没写真は撮れなかった。

 この日は民宿『きりたっぷ里』に宿泊した。宿泊客は私と愛知県の消防士S君の2人だけ。この日はヘルパーのDさんが最終日ということで送別会も兼ねた夕食会となり、特製丼やバーベキューなど豪華な夕食となった。ここの名物のジャンボ寿司は食べられなかったが、この送別会もまた豪華な夕食であった。

 食後の団らんでは、この宿の隠れた名物である宿の主人による『足指マッサージ』を受ける。どういうものかは書きません。実際に訪れて体験して下さい。

(9/9の走行距離:424km)

【写真上】穂別町は化石が出たということで、町の街灯には恐竜のモニュメントが付いている。写真は首長竜。

【写真中】霧多布湿原沿いの柵に抱きつく。特に意味はない・・・

【写真下】『きりたっぷ里』の方々と宿泊者とで記念撮影。アットホームな宿でした。(9/10撮影)

1998年9月10日(木)

 翌10日、7:00頃に起きる。朝食を宿の主と主の母親、ヘルパーと客2人の5人が同じ食卓で食べる。まるで家族のようだ。北海道の民宿ではこういう民宿が多い。

 9:00過ぎに宿を出発する。r123交差点でS君はR44方面に向かった。私はR44には出ないで、海岸沿いを進むr142を東に走る。何もないローカル道道。のんびりと走る。

 根室市落石で落石岬に向かう。道は途中でダートとなり、末端は遊歩道を歩かねばならない。約1kmほどサカイツツジの自生地の中を歩くと落石岬に到着する。落石岬は灯台以外何もない岬。眼下の断崖に波がぶつかる光景は凄い。何も手を加えていない、そのままの岬が残ってい

る。これからもこうあって欲しい。

 r142に戻り東に向かう。根室市街で日本最東端の駅であるJR根室本線東根室駅に寄る。周囲に何もないローカル駅であった。この後、r35を走って日本本土最東端の納沙布岬に向かう。納沙布岬一帯は観光地化されており、土産物屋や食堂が建ち並び、観光バスがひっきりなしに訪れる。最果ての地に来たという気になれなかった。残念ながら納沙布岬ではN君に会うことは出来なかった。

 根室市街に戻りR44で西に向かう。ネズミ取りがひんぱんに行われている国道だ。初日に捕まって以来、やたらと警戒するようになったのでカンが妙に鋭い。R44では取り締まり現場を何カ所か予見できて無事に通過する事が出来た。

 厚床からR243で北上するが、途中の別海町内で脇道にそれて牧草地の中を走り回る。カバーのしていない牧草ロールを発見する。牧草ロールは以外に大きく飛び乗るは結構大変だったが、ロールの上からの風景はまた違って見える。ちなみに牧草ロールは牧草を丸めただけなので、牛の糞やらいろんなものが混ざっていた。

 牧草地が大半を占める別海町には、新酪農村展望台がある。ここからの眺める景色は、周囲360度全てが牧草地というモノ。鋼鉄製の素朴な展望台だが、土産物屋もなく訪れる人はほとんどいないのでゆっくり出来る。お勧め。

 別海町から中標津町経由で標津町に入る。天裕川北温泉は休業中だったので標津温泉に寄る。温泉を出てR335に入る頃は日没後となってしまい、暗い夜道を北東に向かって走る。数台の車に抜かれたが気にせずマイペースで走り、18:00頃に本日の宿である民宿『モシリバ』に到着した。

 『モシリバ』はログハウスの一軒宿。宿の中は、そこかしこで木の香りがする。しかし、ここの窓やドアがどうも開けずらい・・・実は、このログハウスはオーナー自身が1年半ほどかけて作ったという手作りログハウスだったのだ。さすがに建物の基礎と水道・下水・電気は業者にして貰ったそうだが、それ以外は全てオーナーの手が入っているという。開けずらいのも納得。

 夕食はちゃんちゃん焼き。同室になった大阪のO君と一緒に食べる。この周辺は熊が多く出没するとかで、オーナーの熊遭遇話などを聞きながら食後を楽しむ。21時頃に一端部屋に上がったが寝てしまう。24時頃に目が覚めるが、O君も爆睡していた。起こすわけにもいかないので、私もそのまま寝た。

(9/10の走行距離:268km)

【写真上】海岸沿いに走るr142にあった直線区間。道東の道には直線区間が多い。

【写真中】別海町の牧草地にあった牧草ロール。結構大きい。道東らしい風景。

【写真下】別海町の新酪農村にて。とにかく広い。周囲は全て牧草地だった。

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