2007年5月11日(金)

◆急げ!急げ!

 今年もGW明けに四国ツーリングを企画する。今年の主な目的は高知県南国市の掩体壕群の調査とR440地芳峠の走行である。南国市の海岸線近くまで下って北上。最後は新居浜か東予から オレンジフェリー乗船予定なので、今年も四国縦断往復ツーリングとなる。

 四国入りは高松からとした。神戸〜高松を結ぶジャンボフェリーを利用すれば、高松には朝の4時過ぎに到着する。そこから高速を使えば高知には6時半頃には到着するはず。オレンジフェリーで東予入りするなら、東予港に6時過ぎに到着となり、その分滞在時間が少なくなってしまうからだ。大阪高知特急フェリーが存続していれば利用したのだが、2005年(平17年)6月末をもって廃航路となり消滅してしまったことが悔やまれる。

 大凡の計画を立ててツーリング出発当日を迎えた。早めに仕事場から帰宅するつもりが、帰宅間際に急な仕事が舞い込んだため帰宅が遅れ、自宅を出発したのは23時半頃であった。フェリーの神戸港発は24:30。残り1時間ほどである。阪神高速に入り、少し急いで神戸に向かう。途中、路面上に折れたんだ状態で落ちていたマットに乗り上げて転倒しかけるというアクシデントがあったが、24時頃には神戸に到着した。これで大丈夫だと思ったら、減速が間に合わずハーバーウェイの降り口を行き過ぎポートアイランドへ・・・。慌てて引き返し、ジャンボフェリー乗り場に到着したのは24:10であった。すでにバイク・車の乗船が開始されていた。急いで手続きを行い、乗船したのは出港直前の24:25頃。ほんとギリギリであった。

 客室に向かい適当な場所を確保。ほどなくフェリーは神戸港を出港した。出港するとお馴染みの「ジャンボフェリーの歌」が流れて案内のアナウンスが入る。それが終わる頃には就寝モードに入っていた 。

【本日の走行距離:76km】

2007年5月12日(土)

◆早朝の四国縦断

 朝の3時半過ぎ、「ジャンボフェリーの歌」が流れて目が覚める。ダラダラしている間に高松東港に到着。バイクはすぐに下船できない。客室にいても仕方がないので車両甲板に下りてパッキングを始める。到着約5分後の4:15に下船。5月というのに寒い。まだ日の出前だからだろうか。昨日は風があって寒く、トレーナーを一枚着込んで来たのだが、それは正解であった。ターミナルビル前でオーバーパンツをはいてから高松東港を出発した。

 

 

 しばらくすると東の空が明るくなってきた。日の出は意外と早い。明るくなり始めたなと思ったら、15分ほどですっかり明るくなった。高松中央IC近くのコンビニで朝食を購入してから高松道に入り松山方面に向かって走り出す。早朝ということもあり、貸し切り状態だ。しかし昨晩のことがあったので注意して走ることにする。

 坂出Jctまでは交通量はほとんどなく貸し切り状態であったが、Jctを過ぎると大型トラックや夜行バスがいきなり増えた。瀬戸大橋を渡って来たのだ。何台のもの大型トラックや夜行バスを追い抜く。5時半頃には豊浜SAに入り休憩。夏グローブなので手がかじかんできたのだ。ホットの缶コーヒーを買って体を暖め、コンビニで買ったサンドイッチを食べて朝食とする。

 豊浜SAを出発すると、すぐに川之江Jctに到着。松山道から離れて高知道に入る。川之江東Jctで徳島道が分岐すると、高知道は南に向きを変える。ここから四国山地の山々をトンネルで越えてゆく。それゆえ南国ICまでの間に、下りは19本のトンネルがあるとのことで、各トンネルには”No”が掲げられていた。中央構造線を越える法皇トンネル(L=3112m)、笹ヶ峰トンネル(L=4307m)といった全長2500m以上の長大トンネル4本を含めて、トンネルをいくつも越えてゆく。

 川之江東Jctから南は片側1車線であったが、Jctすぐのところで大型トレーラーを1台追い抜くと、幸いにも大型トラックやトレーラーは走っていなかったため、マイペースで走ることができた。19本目のトンネルを越えて、午前6時半に南国ICに到着。休憩時間を含めても約2時間で南国まで移動できた。

【写真】高知東港に到着。

◆掩体壕とトーチカ

 南国ICからR32に下りて南に向かい、R55に入って東(南国市方面)に向かう。7時前ということもあって、高知市街方面はぼちぼち通勤の車が目立つようになっていた。R55からr31(県道前浜植野線)に入り南に向かう。やがて高知龍馬空港の滑走路をアンダーパスすると南国市前浜地区に入る。r31沿いに南に進むと、県道の周囲に広がる水田の中にコンクリ製の建築物がいくつかあることに気が付く。これらが旧帝国海軍高知飛行場の掩体壕群だ。

 高知飛行場は戦争末期の1944年(昭19年)3月に開設された偵察要員育成のための飛行場であった。戦後の米軍進駐後は民間の高知空港となり現在に至っている。現在残る掩体壕は飛行場の施設で、無蓋・有蓋含めてかなりの数が建設された。

米軍からの返還後、払い下げられた誘導路などの施設は瞬く間に農地となり消滅したものの、同じく払い下げられた掩体壕は、全ての無蓋掩体壕と有蓋掩体壕2基が撤去されたものの、大型掩体壕1基を含む7基が残ったのだ。これら7基は朝鮮戦争時の金属価格高騰の際も破壊されることなく残り、現在に至っている。

 

 

 県道にほど近い場所にある掩体壕を撮影し、周囲を見ると少なくても4つの掩体壕の姿が見えた。あちこちの掩体壕を見てきたが、一つの地区にこれだけの数が密集しているとは思わなかった。さっそく掩体壕を見て回ることにした。こういうときはバイクは便利だ。車だと止める場所や走る道路が限られるが、バイクはあまり気にしないで良い。細い農道や里道を走り回って7基の掩体を見て回った。

 そのうちの1基に道路が貫通している掩体壕があった。もともと道路があった場所に作られたそうで、払い下げられた後は道路が復活。その際に掩体壕後部をぶち抜き、人や車が行き来できるようにしたそうだ。全国に残る掩体壕の中でも、通り抜けられて、なおかつ自分のバイクや車を壕内に止めることができる掩体壕はここだけだ。ZRXを壕内に入れて撮影。いつかは掩体壕型のガレージを造ってみたいものだ。

 

 

 一通り回り終えたのが9時頃であった。快晴で気温もぐんぐん上昇している。あまりにも暑いのでトレーナーとオーバーパンツを脱いで、浜改田地区の海岸線近くにある海軍のトーチカを探しに向かう。20分ほどウロウロしてやっと見つけた。トーチカは飛行場とは関係のない施設のようで、本土決戦に備えて建設されたようだ。上陸してくる米軍を迎え撃つためのもののようだったが、もし上陸してくるとなれば激しい艦砲射撃と爆撃によって、あっという間に破壊されていたことだろう。今は農機具を収納する倉庫として使用されていた。この後、もう一つの小さいトーチカと、空港ターミナル近くの指揮壕(?)を確認してから南国市を離れて高知市街へと向かった。

【上写真】高知の掩体壕群の一部。右のが奥にある大型機用掩体壕。

【下写真】トーチカ近くの防波堤から太平洋を撮影。これで四国を縦断したことになる。

◆檮原へ

 空港の周囲を回る道路を走ってR55に出る。今度は西に向かう。給油してからR32経由で南国ICへと向かった。最初は高知市街を通り抜けるつもりだったのだが、交通量が多くなってきたので高知道経由で市街地をパスすることにしたのだ。

 南国ICから高知道に入る。IC横にある県警南国分駐所では、覆面・ノーマルPCが出発準備中だった。交通安全週間初日ということで、所長(?)の訓辞があったのだろう。隊員達も張り切っている様子。捕まらないように注意しなければ。

 南国ICからすぐの南国SAに入り休憩。少し早めの昼飯を食べる。出発して本線に入ると、前方をノーマルPCが走っていた。休憩中に南国分駐所での所長訓辞が終わって出動したようだ。南国ICから南は片側1車線なので、数台前方のノーマルPCについて走るような形で走った。ノーマルPCが高知ICで下りると、後方と側道などで待機しているPCに注意しながら走る。とは言っても対向2車線道なので前の車に合わせて走ることになるため、速度は法定速度前後をキープしながらの走行となった。

 10:20頃に須崎東ICに到着する。とりあえず檮原まで移動するのだが、その前に部分開通したR494バイパスの調査を行う。ウネウネした急カーブ・急坂が連続した旧道を走ってバイパスに出て、今度はバイパスを走ってR56に戻った。再びR56に戻ってR56バイパス経由でR197に入り檮原に向かった。

 

 

 かつては『行くな(197)国道』とまで言われた四国随一の悪路であったR197も、改良・整備が進んで今では快適な2車線国道となった。檮原までの約45kmの道のりは、交通量も少なかったこともあって非常に快適であった。思った以上に早く移動することができ、11:45には檮原のR197・R440交差点に到着した。

【写真】今は快適な2車線国道となったR197を行く。

◆3度目の正直

 一昨年は土砂崩れによる通行止め、昨年は悪天候で走行を断念したR440地芳峠であったが、今年の天候は快晴であり、災害による通行止めもない模様。どうやら今年こそは檮原からR440で地芳峠を越えることができるようだ。まさしく『3度目の正直』である。

 檮原市街のR440は、沿道の民家などを立ち退かせて拡幅工事の真っ最中であった。つい2年前までは狭い2車線道で通り抜けていたのだが、町並みは大きく変わろうとしていた。町中を通り抜けると高規格2車線道となる。一気に檮原町下本村のr304(県道上郷檮原線)との交差点まで走る。一昨年はこの少し先で土砂崩れが起きていて引き返したのだが、今年訪れて見ると、いつの間にかバイパス工事が着々と進んでおり、高規格の2車線道がもうじき供用開始というところまで完成していた。

バイパス道路の脇を通る1車線狭路のR440も、現役国道としての期間はあとわずかなようだ。

 

 

 この付近のバイパス道路はループ橋で標高をかせぐようだ。将来は旧道となる狭路の上を、ぐるりと円を描くように高架橋が建設中であった。高架橋を見上げながら狭路坂道を進んでゆく。ほどなくすると道は高規格2車線道となった。かつての狭路を拡幅した区間のようだ。R197〜地芳峠間を前回走ったのは1997年(平9年)6月のこと。そのときは延々と狭路坂道が続いていたのだが・・・。10年の歳月は道を大きく変えてしまった。かつての悪路時代の面影はなくなっていた。

 高規格2車線道は、建設中の地芳トンネル(仮称)南側までであった。ここまでの区間は先に供用されたようだ。トンネルはまだ建設中で未供用。なので通行するバイクや車はトンネル前から狭路道に誘導される。ここから悪路区間の始まりだ。

【写真】R440悪路区間を行く。この付近ももうすぐ旧道となる。

◆地芳峠へ

 トンネル前からは狭路の山道区間に入る。ここから峠までの区間はバイパストンネルが整備されるので、狭路のまま残ることになりそうだ。R440は快適な2車線道から、急坂・急カーブが連続する路面の荒れた1車線幅の悪路となる。ウネウネと山中を進む1車線狭路を走ることになる。これぞ「四国の道」である。

 

 

 土曜日ということもあって車の通行量が多い。案の定、山道の運転を知らないサンデードライバーや街乗り専門ドライバーが運転する車が次から次へとやってくる。平気でセンターを割ってこちら側に進入してくる。対向車とカーブで接触しそうになったこともあった。全くカーブに設置されているミラーを見ているのかと小一時間・・・(略 )。

 さて10年ぶりということもあってダラダラと撮影しながら走ったため、地芳峠に到着したのは13時前のことだった。実に1時間ほどかけて走ったことになる。10年ぶりに走ったR440地芳峠南側の狭路区間は、トンネル前〜峠間は全く変わっていなかった。

【写真】トンネル南口から狭路となった。

◆地芳峠

 愛媛県上浮穴郡久万高原町(旧:柳谷村)と高知県高岡郡檮原町の間にある標高1080mの峠。カルスト台地にある峠で、峠では尾根を通り抜けるr383(県道四国カルスト公園縦断線)と交差している。

 1000m級の峠ゆえ、冬季は路面凍結・積雪があり通行止めになることもある。そのため、1999年(平11年)度より峠を貫く地芳トンネル(仮称)が建設中となっている。地芳トンネルはR440地芳道路の一部となる全長約3kmの長大トンネルとなる予定。

 R440地芳道路は、愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷〜高知県高岡郡檮原町下本町に建設される全長8.9kmの高規格道路。全通すれば現在の走行距離23.5kmが8.9kmに大幅に短縮され、走行時間は34分も短縮されて11分となる予定。

R440地芳峠。左の道はr383で、天狗高原に向

かう。

地芳道路の案内看板。ルートの説明や効果につ

いてかかれている。

峠にある”地芳峠”の看板。文字が薄くなってい

る。このまま消えてしまうのだろうか?

◆変わりゆくR440

 20分ほど峠で休憩してから出発する。地芳峠を越えると愛媛県に入る。地芳峠から北側の区間は、2006年(平18年)秋のツーリングで走っている(地芳峠まではR439〜r48〜r383経由)。なので約半年ぶりの走行となる。このときは数名での走行となったので、ほとんど撮影できなかった。なので今回は思う存分に撮影しながら下ってゆくことにする。

 

 

 峠北側の区間は峠から約8km、r36(県道野村柳谷線)との中久保交差点までは南側と同じく狭路の急坂・急カーブが連続する悪路区間であった。r36との交差点北側、バイパス道路が接続する付近から北側(R32寄り)は高規格道路と未整備の狭路道が混在していた。愛媛県側でも地芳トンネル開通に向けて、着々と準備が進んでいるのだ。やがて高規格道路を進むようなり、豪快なトンネルを2本ぬけてループ橋を回り、R 33交差点に到着。R440単独区間の走行を終えた。

【写真】整備されたR440を行く。将来的には全区間こうなるのだろう。

◆R439

 14時頃にR33交差点を出発。柳谷地区のR440旧道を調査してからR33に戻って高知方面に向かう。愛媛県上浮孔郡久万高原町柳谷から高知県吾川郡仁淀川町にかけての県境前後はダム湖沿いを進む。どことなく紀伊半島のR168を思い起こさせる区間であるが、そこは2ケタ国道と3ケタ国道の違い。カーブが多いものの、R33は整備された2車線道でダム湖沿いをひたすら進んで行く。交通量は少なかったので、思った以上に調子よく走ることが出来た。おかげで寄ろうと思っていた温泉に向かう県道に入り損ねてしまったが・・・。

 仁淀川町川口に到着。引き返すのもなんなので、このまま予定通りR439に入る。一部に未整備区間が残るものの、R33〜R194間のR439は改良が進み、実に快適に走ることが出来る道路になってしまった。昨年秋に 改良された快走区間を走ったこともあり、今回は現道と旧道の両方を走ってR194まで移動した。

 R194・R439交差点付近の旧道沿いに温泉があったので立ち寄ろうかと思ったが、混雑しているようだったのでパスしてしまい、そのままR194を北上して道の駅『633美の里』で休憩。店で販売していた寿司を食べて腹ごしらえをする。今日は快晴ということもあり、道の駅は多くの地元ライダー達で賑わっていた。寿司を食べながらこれからのルートを考える。時間は15時ということもあり、このままR194を北上して西条経由で新居浜に向かうことにした。時間はまだまだ余裕があるので、途中にある温泉のどれかに立ち寄って、ゆっくりと休むことにして出発した。

R32〜R194間のR439に残った最後の悪路区間。昔はこんな感じの道

が延々と続いていた。

旧道から現R439を見る。1車線狭路の旧道に対して、2車線高規格道の

現道が山間を突っ走る。

◆郷の峯峠旧道

 R194とR439との交差点近くのGSで給油。そのままR194に進むつもりが、どういうわけか交差点を右折してR439に入ってしまった。「何が起こったか自分でもわからなかった・・・(略 」である。おそらく3ケタ国道走行ライダーの習性であろう。ならばこのままR439を走って、郷の峯峠旧道の調査をすることにした。引き返すならそれからでも遅くはないのだ。

 

 

 改良が進み高規格の快適2車線国道となったR439を爆走。R194交差点から15分ほどで郷の峯トンネル西口にある旧道分岐点に到着 。2車線道の現道とはおさらばして、1車線狭路の旧道に入る。この道を走るのは2001年(平13年)7月以来、6年ぶり2回目。前回はKSRUで走破している。

 郷の峯峠を越える旧道は、かつての悪路時代のR439の風景をを色濃く残す旧道で、ウネウネと曲がりながら急坂で上って行く1車線狭路は「四国の山道」らしい道であった。やがて郷の峯峠に到着。四国縦断道の一つであるr6(県道 高知伊予三島線)との交差点がある。杉林の中を進む1車線狭路の県道。思わず走りたくなったが、時間の都合もあるのでぐっと我慢する。いつかはr6を走って四国縦断ツーリングをしてみたいものだ。

 

 

 峠では4WDに乗ったおっさんに話かけられた。R439を郷の峯峠まで向かう途中で追い抜いた車で、旧道分岐点で撮影中に追いつき止まっていた車なので良く覚えていた。わざわざ旧道を走って追いかけて来たわけで、何となく『怪しい』と感じた。顔には出さずに適当に会話して早々にその場を去ったが、そのおっさんは峠にある空き地に車を入れていたが、いったい何だったのだろう?

【上写真】上八川川に架かっていた鯉幟。5月らしい風景。

【下写真】昔ながらの山間の農村地帯を行く旧道。

◆新高須トンネル旧道

 残る狭路の旧道区間を走り終えてR439郷の峯トンネル東口前に出た。このままR194に戻ろうかと思ったが、R439を東に向かうことにした。郷の峯トンネルから東、高知県長岡郡大豊町のR32交差点までの区間も2001年7月に走って以来なので6年ぶりのこと。1997年(平9年)6月に初走行しているので、今回で3回目の走行となる。この区間はほぼ整備・改良が進んだ2車線道区間。単調な道が続く。淡々とマイペースで走って高知道の大豊ICに到着した。

 

 

 ここまで来たので、新高須トンネル旧道の調査を行う。とあるサイトで旧道トンネルが残っていることを知ったので、是非とも見ておきたかったのだ。来年以降に訪れようと思っていたら、いきなり来てしまった。旧道トンネル自体は健在であったが、廃トンネルとなり坑口は閉鎖されていた。倉庫か何かに転用(払い下げ?)されたようだった。

 廃トンネルとなったがゆえに、地図上からは消されてしまった。なので地図をいくら探しても”新”高須トンネルに対する旧トンネルが見つからなかったわけだ。

【写真】新高須トンネル旧道となる高須隧道。現トンネルの上にあった。

◆二等指定?二等寝台?

 時刻を見ると17:30頃。もう十分に快走路と狭路そして旧道を走った。満足である。あとは帰阪するだけだ。大豊ICから高知道に入り北に向かう。高松に出てジャンボフェリー利用で帰ろうかと思ったが、寝台でぐっすりと眠りたいのでオレンジフェリーに乗って帰ることにした。大阪まで自走するだけの気力と体力はすでにないが、新居浜か東予までならまだ保つだろう。

 川之江Jctで松山方面に向かう。高松方面から来てJctを高知方面に向かったのが数日前のことのように思える。新居浜ICで松山道を下りて、あとは市街をウロウロと走る。そして新居浜のフェリーターミナルに到着したのは18:40頃であった。もうだめ。もう乗れない。それもそのはず、朝からここまでなんと14時間もの間バイクにのりっぱなりだったのだから。よく走ったものだ。あとはもうフェリーに乗るだけである。

 新居浜からオレンジフェリーに乗船する人は少ない。この日もバイク・車合わせても20台もいなかっただろう。ほとんどは東予から乗船するようだ。ターミナルで2等寝台を確保する。 20時過ぎにフェリー『オレンジ8』が入港。20時半頃に乗船すると、20:40には東予に向けて出港した。

 荷物を持って2等寝台に向かう。ところが指定された寝台はなぜか上段。下段に人が入る様子はない。東予から乗ってくるとしても、ふつうは下段から埋めていくはず。おかしいと思いつつも、私のベットに置かれた他人の荷物をのけて自分の荷物を置く。

 それよりも疲れをとりたい。まずは風呂に行く。新居浜からだと風呂を利用する人は少ない。

貸し切り状態でフェリーの風呂を満喫。風呂から上がるとレストランで夕食を食べる。 しかし、その間も寝台の件が頭から離れない。気になったので受付に行くと「これは2等室ですね」と言われた。申込書には2等寝台に○をしたはずだが・・・。そういえば受付の女性の名札には『研修中』と書かれていたな。どうやら見落としたようだ。事情を説明し、1000円を追加して寝台に変更する。係員と一緒に部屋に移動。係員は私が散らかしていたベットを片づけていた。仕事増やして済みません。m(_ _)m

 隣の部屋に移動して、正式に一夜のベットを確保。いつも通りの位置に荷物を置いて横になる。そして東予入港前に寝てしまった。かなり疲れていたようだ。

【本日の走行距離:497km】

【写真】新居浜港で”オレンジ7”を撮影。

2007年5月13日(日)

◆無事帰阪

 結局、南港入港直前まで熟睡していた。14時間もバイクに乗りっぱなしなので相当疲れていたようだ。5:50、定刻通りに南港到着。6時過ぎに車輌甲板に下りて下船する。予報では雨という話だったが、空は曇り。雨は降りそうにない。6:20頃に南港を出発。日曜の朝なので交通量は少ない。南港通り経由のいつものルートで自宅に到着したのは6:40頃 。無事にツーリングは終了。今回は高知の掩体壕、R439とR440走行と満足の行くツーリングであった。

 

【本日の走行距離:31km】

【写真】南港FTに到着。ここから自宅に戻る。

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